サッカーアルゼンチン代表

サッカーアルゼンチン代表スペイン語: Selección nacional de fútbol de Argentina)は、アルゼンチンサッカー協会(AFA)により組織されるアルゼンチンサッカーナショナルチームエル・モヌメンタルをホームスタジアムとしている。

サッカーアルゼンチン代表
国または地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
協会 アルゼンチンサッカー協会
愛称 La Selección (ラ・セレシオン、選抜),
Albicelestes(アルビセレステス、白色と空色),
Gaucho(ガウチョ
監督 ホルヘ・サンパオリ
最多出場選手 ハビエル・サネッティ(145試合)
最多得点選手 リオネル・メッシ(58得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1901年5月16日ウルグアイ
3-2
最大差勝利試合 1942年1月22日エクアドル
12-0
最大差敗戦試合 1958年6月15日チェコスロバキア
1-6
2009年4月1日対ボリビア
1-6
1993年9月5日対コロンビア
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 16回(初出場は1930
最高成績 優勝(1978, 1986
コパ・アメリカ
出場回数 38回
最高成績 優勝14回(1921, 1925, 1927, 1929, 1937, 1941, 1945, 1946, 1947, 1955, 1957, 1959, 1991, 1993)

目次

概要編集

FIFAワールドカップで優勝経験のある世界を代表する強豪国の一つである。第1回大会の1930 FIFAワールドカップより出場しており(決勝戦でウルグアイに2-4で敗れ準優勝)、自国開催の1978 FIFAワールドカップではオランダを3-1で破って初優勝した。メキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは西ドイツを3-2で下して2度目の優勝を果たしたが、イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは西ドイツ代表に0-1で敗れた。1978年大会の優勝監督はセサル・ルイス・メノッティであり、1986年大会の優勝監督はカルロス・ビラルドである。

コパ・アメリカでは大きな成功を収めており、ウルグアイ(15回)に次ぐ14回の優勝を誇る。FIFAコンフェデレーションズカップではキング・ファハド・カップ(前身大会)時代の1992年に優勝し、夏季オリンピックではアテネオリンピック北京オリンピックで2連覇を果たした[1]国際サッカー連盟(FIFA)はFIFAワールドカップ、FIFAコンフェデレーションズカップ、夏季オリンピックを男子の3大タイトルとみなしているが、この3大会すべてで優勝経験があるのは当国とフランスの2ヶ国だけである[2][3]パンアメリカン競技大会では、1951年大会、1955年大会、1959年大会、1971年大会、1995年大会、2003年大会の6回優勝している。

主なライバルはブラジル、ウルグアイ、ドイツイングランドである[4][5]

2007年3月、1993年から毎月公表されているFIFAランキングで初めて1位となり[6]、ドイツ、ブラジル、イタリア(いずれも1993年)、フランス(2001年)に次いで1位を獲得した5ヶ国目の国となった。その際は1ヶ月で1位を手放したが、10月には再び1位となり、2008年7月にスペインに1位を明け渡すまで首位の座にあった。現在は8チームが1位を経験している。1978 FIFAワールドカップの際に初めて非公式サッカー世界王者となり、その後も何度か1位を獲得している。

1990年代以降、FIFA U-20ワールドカップやオリンピックといった育成年代の大会で数多くの優勝を重ねており、他の追随を許さない圧倒的な実績を挙げている。その一方で、フル代表の戦績は近年伸び悩んでおり、ワールドカップでは90年大会の準優勝を最後にベスト4にも手が届かない状態が続いている。日韓ワールドカップでは南米予選を1位で通過してフランスと並び優勝候補の筆頭と目されていたが自慢の攻撃陣が機能せず、優勝候補の一つイングランドに敗れてまさかのグループリーグ敗退に終わった。2006年に開催されたFIFAワールドカップでは、準々決勝で強豪ドイツにPK戦で敗退した。2010年に開催されたFIFAワールドカップでも、準々決勝でドイツに0-4で敗れ、ベスト8にとどまった。また翌年のコパ・アメリカ2011では豪華メンバーを揃えて、自国開催ということもあり大会前から優勝候補の筆頭と目されていたが、格下のボリビアコロンビアに立て続けに引き分けてグループリーグを2位通過、ウルグアイにPK戦の末敗れて準々決勝敗退に終わった。 また、1990年代初めまでは、名前のアルファベット順に背番号を割り当てるという世界でも珍しい伝統があった。

歴史編集

 
アムステルダム五輪で銀メダルを獲得したアルゼンチン代表

記録に残る当代表の初試合は、1901年5月16日にウルグアイとの間で行なわれ[7]、3-2で勝利した。代表結成後最初の数年間は、南米の国との親善試合のみが行なわれたが、1906年にコパ・リプトンという大会が開催され、ウルグアイを破って初の公式タイトルを獲得した[8]。1916年には南米サッカー連盟(CONMEBOL)が組織され、同年に第1回南米選手権(現在のコパ・アメリカ)が自国開催されたがウルグアイが優勝、1921年の第5回南米選手権も自国開催となり、初優勝した。

1924年に行われたウルグアイとの親善試合では、セサレオ・オンサーリがコーナーキックを直接ゴールに決めた。このプレーはゴル・オリンピコ(オリンピック・ゴール)と呼ばれ、現在でも同様のプレーはオリンピック・ゴールと呼ばれている[9]。3度目の自国開催となった、1925年の南米選手権は、2度目の優勝を飾った。1928年開催されたアムステルダムオリンピックは当代表が南米以外の国に赴いて出場した初の国際大会となった。決勝はウルグアイとの南米対決となり、再試合(初戦は1-1)に1-2で敗れ銀メダルを獲得した。1929年には再び南米選手権の開催国となって2連覇を達成。1930年、国際サッカー連盟(FIFA)は第1回FIFAワールドカップを組織し(開催国ウルグアイ)、13ヶ国が招待(アルゼンチン含む)。決勝のウルグアイ戦に敗れて準優勝に終わったが、8得点を挙げたギジェルモ・スタービレが初代得点王となった。第二次世界大戦で中立的な立場を宣言、1934年にイタリアで開催された第2回大会、1938年にフランスで開催された第3回大会に出場しなかった。

1950年、第二次大戦後初のFIFAワールドカップがブラジルで開催されたが、ブラジルサッカー協会との対立から参加を取りやめた。1954年の1954 FIFAワールドカップの参加も辞退したが、1930年代から1950年代にかけて、南米選手権では7大会で優勝。いずれの大会でもスタービレが監督を務めた。1958年にスウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップには24年ぶりに出場したが、低調なプレーでグループリーグ敗退に終わり、スウェーデンの惨事と呼ばれた。1959年には第12回南米選手権に出場して優勝。19年間指揮を執ったスタービレの監督退任後、1991年にアルフィオ・バシーレ監督の下で優勝するまで、30年以上も南米選手権/コパ・アメリカでは優勝できなかった。

1960年にはパンアメリカン選手権英語版に出場して初(そして唯一の)優勝を飾った。チリで開催された1962 FIFAワールドカップでは低調なプレーに終始して早期敗退に終わり、1963年の南米選手権では3位に終わった。1964年にはブラジルサッカー協会創設50周年を記念した親善大会であるリトル・ワールドカップ英語版で優勝し、このタイトルは当代表が獲得した「初の偉大なタイトル」とされている[10]1966 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国イングランドに敗れた。この試合ではミッドフィールダーのラティンが退場処分を受けたが、ラッティンは処分に激怒して不適切な行為を行い、この試合で起こった出来事がイングランドとのライバル関係の発端となった。ラッティンの行為がカード導入のきっかけのひとつとなり、1970 FIFAワールドカップではFIFAワールドカップの舞台で初めてイエローカードレッドカードが使用された。1967年の南米選手権は準優勝に終わり、1970 FIFAワールドカップペルーの後塵を拝し、初めて南米予選で敗退した。

1974 FIFAワールドカップで2次リーグ敗退を喫すると、アルゼンチンサッカー協会(AFA)は国内サッカーの変革を強いられ、セサル・ルイス・メノッティが新監督に就任。自国開催に向けた長期スパンでの準備を開始したが、1975年のコパ・アメリカ1975(名称変更後第1回大会)はグループリーグ敗退となった。自国開催された1978 FIFAワールドカップ本大会ではグループ2位で2次リーグ進出を決め、2次リーグでは得失点差で決勝進出を決めた。エスタディオ・モヌメンタルで行なわれた決勝ではオランダと対戦し、3-1で勝利してFIFAワールドカップ初優勝を飾った。ケンペスは6得点で得点王に輝いただけでなく、大会最優秀選手にも選出された。オランダとはAマッチで8度対戦しているが、勝利はこのときが唯一である(2013年終了時点)。1979年にはコパ・アメリカ1979に出場したが、グループリーグ最下位で敗退した。同年にはU-20代表がFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。このチームの監督もメノッティであり、中心選手としてディエゴ・マラドーナラモン・ディアスなどがいた。1981年にはウルグアイで開催されたスモール・ワールドカップに出場したが、グループリーグで敗退した。

マルビナス紛争の停戦宣言が出されたのは、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ大会期間中である。2次リーグ敗退後にメノッティ監督が退任したが、メノッティ監督指揮下でA代表とユース代表それぞれが世界王者となった。長期的なスパンの計画を実行したのはメノッティ監督時代が初めてだった[11][12]。後任監督にはカルロス・ビラルドが就任したが、就任後すぐのコパ・アメリカ1983はあっさりと敗退した。1986 FIFAワールドカップでは前評判が高くなかったものの、グループ首位で決勝トーナメント進出を決め、準々決勝のイングランド戦ではマラドーナが「神の手」ゴールと「5人抜き」ゴールを決めて勝利した。4年前にマルビナス諸島を奪われていた経緯があったため、この勝利は祝福された[13]。準決勝ではベルギーを下し、決勝では西ドイツを下して2度目の優勝を果たした。活躍を見せたマラドーナは5得点を挙げて大会最優秀選手賞を受賞した[14][15]

1987年に自国開催されたコパ・アメリカ1987ではウルグアイに敗れて敗退。ブラジルで開催されたコパ・アメリカ1989でも良いところなく敗退した。1990 FIFAワールドカップは前回大会優勝国枠で出場し、前評判の悪さに負けず勝ち進んだ。FIFAワールドカップ本大会の舞台で初めてブラジルに勝利した決勝トーナメント1回戦は、歴史上もっとも輝かしい瞬間のひとつとされている[16][17]。準々決勝ではユーゴスラビアを下し[18]。準決勝では開催国のイタリアをPK戦で下したが、決勝のドイツ戦には疑惑のPKによって敗れた[19][20]

大会後にはアルフィオ・バシーレが就任し、コパ・アメリカ1991では32年ぶり13回目の優勝を飾り、6得点のガブリエル・バティストゥータが得点王となった。1992年にはキング・ファハド・カップ1992FIFAコンフェデレーションズカップの前身大会)に出場して優勝。同年にはエクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に出場して2連覇を果たした。これ以後優勝を逃し続けており、優勝回数は14回で止まっている[21]1994 FIFAワールドカップではオーストラリアとの大陸間プレーオフ経由で出場を決め、アメリカで開催された本大会グループリーグでは2連勝したが、マラドーナがドーピング違反を行って大会から追放されると、決勝トーナメントではルーマニアに敗れて大会から去った。1995年にはキング・ファハド・カップ1995に出場したが、決勝でデンマークに敗れて優勝を逃した。同年のFIFAワールドユース選手権ではマラドーナ時代以来となる優勝を果たし、この大会ではその後も1997年、2001年、2005年、2007年に優勝している。オーバーエイジ制度が導入されたアトランタオリンピックでは、決勝でナイジェリアに敗れたものの銀メダルを獲得した。フランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグを無失点の3連勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではイングランドに勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。

2002 FIFAワールドカップ・南米予選では圧倒的な成績で本大会出場を決め、2002 FIFAワールドカップ開幕前の前評判は高かったが、日本と韓国で共催された本大会では「死の組」に組み込まれ、ライバルのイングランドに敗れるなどしてグループリーグ敗退に終わった。2004年のアテネオリンピック圧倒的な成績を残し、国際大会史上初となる全試合無失点で金メダルを獲得した。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したが、決勝でブラジルに敗れて準優勝に終わった。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップではグループリーグで美しいサッカーを見せたが、準々決勝で開催国のドイツに敗れた。コパ・アメリカ2007では決勝まで進んだが、決勝ではブラジルに0-3で敗れて準優勝に終わった。2008年の北京オリンピックにはリオネル・メッシなどが出場し、グループリーグから6連勝を記録して再び金メダルを獲得した。2010 FIFAワールドカップに先立ってマラドーナが監督に就任すると、南アフリカで開催された本大会ではグループリーグを3戦全勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではメキシコに勝利したが、準々決勝のドイツ戦に大敗して大会から去った。コパ・アメリカ2011ではウルグアイと対戦した準々決勝に敗れ、セルヒオ・バティスタ監督が解任されてアレハンドロ・サベーラが新監督に就任した。2014年ワールドカップブラジル大会では、南米予選を首位で突破し、出場した。攻撃陣にメッシアグエロイグアインディ・マリアといった世界クラスの選手を擁し、大会前から、開催国であるブラジル、前回王者であるスペイン、そしてドイツと並ぶ優勝候補の一角に数えられた。グループステージではエースメッシが全試合でゴールを挙げる大活躍で3連勝し、決勝トーナメントに進出した。しかし、一転して決勝トーナメントでは攻撃陣が機能せず苦戦を強いられた。しかし、安定した守備がこれを支え、無失点で決勝進出を決めた。決勝ではドイツと対戦。互角の戦いを見せ、延長戦にまでもつれ込んだが、延長後半に失点し、準優勝に終わった。メッシはこの大会のMVPに輝いた。大会後にサベーラ監督は辞任した。

W杯後はヘラルド・マルティーノ監督が就任。コパ・アメリカ2015では2大会ぶりに決勝に進んだが、決勝では延長戦とPK戦の末にチリに敗れ準優勝に終わった。コパ・アメリカ・センテナリオでは3年連続となる国際大会での決勝進出を果たしたが、前大会の雪辱戦となったチリ相手に再びPK戦で敗れ3大会連続の準優勝となった。また、決勝前に主将のメッシが自国のサッカー協会の職務怠慢ぶりを批判し、大会後はメッシを始めとする主力が次々と代表引退を示唆するなどの騒動に発展した。大会の翌日、セグーラ会長はFIFAから不正疑惑を追及され辞任した。

タイトル編集

A代表編集

主要大会
その他の大会

世代別代表編集

オリンピック代表編集

  • 金メダル (2): 2004, 2008
  • 銀メダル (2): 1928, 1996

主要大会の成績編集

FIFAワールドカップ編集

開催国/年 成績
  1930 準優勝 5 4 0 1 18 9
  1934 1回戦敗退 1 0 0 1 2 3
  1938 不参加
  1950
  1954
  1958 グループリーグ敗退 3 1 0 2 5 10
  1962 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 3
  1966 ベスト8 4 2 1 1 4 2
  1970 予選敗退
  1974 2次リーグ敗退 6 1 2 3 9 12
  1978 優勝 7 5 1 1 15 4
  1982 2次リーグ敗退 5 2 0 3 8 7
  1986 優勝 7 6 1 0 14 5
  1990 準優勝 7 2 3 2 5 4
  1994 ベスト16 4 2 0 2 8 6
  1998 ベスト8 5 3 1 1 10 4
   2002 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 2
  2006 ベスト8 5 3 2 0 11 3
  2010 ベスト8 5 4 0 1 10 6
  2014 準優勝 7 5 1 1 8 4
合計 出場16回/優勝2回 77 42 14 21 131 87

コパ・アメリカ編集


開催国/年 成績
H&A 1975 グループリーグ敗退
H&A 1979 グループリーグ敗退
H&A 1983 グループリーグ敗退
  1987 4位
  1989 3位
  1991 優勝
  1993 優勝
  1995 ベスト8
  1997 ベスト8
  1999 ベスト8
  2001 不参加
  2004 準優勝
  2007 準優勝
  2011 ベスト8
  2015 準優勝
  2016 準優勝

FIFAコンフェデレーションズカップの成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1992 優勝 2 2 0 0 7 1
  1995 準優勝 3 1 1 1 5 3
  1997 不参加
  1999
   2001
  2003
  2005 準優勝 5 2 2 1 10 10
  2009 不参加
  2013
  2017
合計 3/10 10 5 3 2 22 14

パンアメリカン競技大会の成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1951 優勝 4 4 0 0 16 2
  1955 優勝 6 5 1 0 23 7
  1959 優勝 6 5 1 0 20 4
  1963 準優勝 7 3 1 0 18 3
  1967 グループリーグ敗退 3 1 1 1 7 3
  1971 優勝 5 4 1 0 7 2
  1975 3位 3 2 1 0 9 1
  1979 3位 4 2 2 0 3 0
  1983 グループリーグ敗退 2 0 0 2 0 4
  1987 3位 4 3 0 1 11 3
  1991 予選敗退
  1995 優勝 6 5 1 0 10 4
  1999 予選敗退
  2003 優勝 5 5 0 0 10 5
  2007 グループリーグ敗退 3 0 2 1 1 3
  2011 準優勝 5 3 1 1 6 2
  2015 不参加
合計 14/17 60 46 10 6 134 43

夏期オリンピック編集

  • 1908 - 不参加
  • 1912 - 不参加
  • 1920 - 不参加
  • 1924 - 不参加
  • 1928 - 準優勝
  • 1936 - 不参加
  • 1948 - 不参加
  • 1952 - 不参加
  • 1956 - 不参加
  • 1960 - グループリーグ敗退
  • 1964 - グループリーグ敗退
  • 1968 - 予選敗退


FIFA U-20ワールドカップの成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1977 予選敗退 - - - - - -
  1979 優勝 6 6 0 0 20 2
  1981 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3
  1983 準優勝 6 5 0 1 13 2
  1985 予選敗退 - - - - - -
  1987 予選敗退 - - - - - -
  1989 ベスト8 4 1 0 3 3 4
  1991 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 6
  1993 予選敗退 - - - - - -
  1995 優勝 6 5 0 1 12 3
  1997 優勝 7 6 0 1 15 7
  1999 ベスト16 4 1 1 2 2 5
  2001 優勝 7 7 0 0 27 4
  2003 4位 7 5 0 2 12 8
  2005 優勝 7 6 0 1 12 5
  2007 優勝 7 6 1 0 16 2
  2009 予選敗退 - - - - - -
  2011 ベスト8 5 3 2 0 6 1
  2013 予選敗退 - - - - - -
  2015 グループリーグ敗退 3 0 2 1 4 5
合計 14/20 75 52 8 15 147 57

FIFA U-17ワールドカップの成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 グループリーグ敗退 3 1 1 1 5 4
  1987 予選敗退
  1989 ベスト8 4 1 2 1 5 3
  1991 3位 6 2 2 2 5 5
  1993 グループリーグ敗退 3 1 1 1 7 6
  1995 3位 6 5 0 1 12 4
  1997 ベスト8 4 2 1 1 3 2
  1999 予選敗退
  2001 4位 6 3 1 2 12 9
  2003 3位 6 4 1 1 10 4
  2005 予選敗退
  2007 ベスト8 5 2 2 1 7 4
  2009 ベスト16 4 2 0 2 6 6
  2011 ベスト16 4 1 1 2 4 8
  2013 4位 7 4 1 2 13 12
  2015 グループリーグ敗退 3 0 0 3 1 8
合計 13/16 61 28 13 20 90 75

南米U-17選手権の成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 優勝 8 8 0 0 32 4
  1986 4位 7 1 5 1 7 7
  1988 準優勝 7 6 0 1 13 4
  1991 3位 7 4 2 1 10 7
  1993 3位 7 4 1 2 12 6
  1995 準優勝 6 4 1 1 12 4
  1997 準優勝 7 4 1 2 15 6
  1999 4位 6 2 2 2 9 9
  2001 準優勝 7 4 1 2 12 9
  2003 優勝 7 4 3 0 19 5
  2005 グループリーグ敗退 4 1 1 2 6 7
  2007 3位 9 4 4 1 13 7
  2009 準優勝 5 3 2 0 10 4
  2011 3位 9 5 1 3 17 11
  2013 優勝 9 4 3 2 17 13
  2015 準優勝 9 4 2 3 14 9
合計 16/16 117 64 28 25 223 119

南米ユース選手権の成績編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1954 予選敗退
  1958 準優勝 5 2 2 1 16 10
  1964 6位 6 1 2 3 4 5
  1967 優勝 6 2 3 1 9 7
  1971 3位 5 3 0 2 7 3
  1974 4位 5 1 2 2 3 5
  1975 3位 5 2 2 1 7 6
  1977 グループリーグ敗退 4 0 2 2 3 5
  1979 準優勝 6 3 2 1 10 1
  1981 3位 6 3 1 2 11 12
  1983 3位 7 5 1 1 17 10
  1985 グループリーグ敗退 4 1 2 1 5 3
  1987 3位 6 3 1 2 9 9
  1988 3位 8 6 0 2 13 5
  1991 準優勝 7 3 3 1 12 10
  1992 予選敗退
  1995 準優勝 7 5 1 1 10 3
  1997 優勝 9 5 3 1 18 7
  1999 優勝 9 8 0 1 21 3
  2001 準優勝 9 5 3 1 13 6
  2003 優勝 9 6 2 1 15 5
  2005 3位 9 5 4 0 19 4
  2007 準優勝 9 3 5 1 15 8
  2009 6位 9 1 5 3 10 13
  2011 3位 9 6 1 2 15 9
  2013 グループリーグ敗退 4 1 1 2 6 7
  2015 優勝 9 7 1 1 24 7
合計 25/27 167 83 49 35 279 159

歴代監督編集

期間 名前 試合数 勝利 引分 敗北
1924-1925 アンヘル・バスケス
1926-1927 ホルヘ・バルデラマ
1927-1928 ホセ・ラーゴ・ミジャン
1928-1929 フランシスコ・オラサール
1929-1930 フランシスコ・オラサールと
フアン・ホセ・トラムトーラ
1934 フェリペ・パスクッチ
1934-1937 マヌエル・セオアネ
1937-1939 アンヘル・フェルナンデス・ロカ
1939-1960 ギジェルモ・スタービレ
1960-1961 ビクトリオ・スピネット
1962-1963 フアン・カルロス・ロレンソ
1963 アレハンドロ・ガラン
1963-1964 オラシオ・アマブレ・トーレス
1964-1968 ホセ・マリア・ミネージャ
1968 レナート・セサリーニ
1968-1969 ウンベルト・マスチオ
1969 アドルフォ・ペデルネーラ
1969-1972 フアン・ホセ・ピスティ
1972-1974 オマール・シボリ
1974 ブラディスラオ・カップ
1974-1983   セサル・ルイス・メノッティ 85 46 21 18
1983-1990   カルロス・ビラルド 81 28 30 23
1991-1994   アルフィオ・バシーレ 48 25 17 6
1993   レイナルド・メルロ 1 0 0 1
1994-1998   ダニエル・パサレラ 57 34 13 10
1999   クラウディオ・ビバス 2 2 0 0
1999-2004   マルセロ・ビエルサ 83 54 18 11
2004-2006   ホセ・ペケルマン 28 15 7 6
2006-2008   アルフィオ・バシーレ 28 14 8 6
2008-2010   ディエゴ・マラドーナ 25 18 0 7
2010-2011   セルヒオ・バティスタ 12 6 3 3
2011-2014   アレハンドロ・サベーラ 40 25 10 5
2014-2016   ヘラルド・マルティーノ 29 19 7 3
2016-2017   エドガルド・バウサ 8 3 2 3

ユニフォーム編集

ホーム用ユニフォームは国旗に由来する空色と白色の縦縞のシャツ、黒色のパンツ、白色と黒色のソックスである。アウェー用ユニフォームはたいてい紺色のシャツだが、パンツとソックスの色は様々である。何度かはこの通りでないユニフォームを着用しており、そのひとつがブラジルサッカー連盟によって慈善大会として計画された1919年のコパ・ロベルト・チェリーである。この大会ではウルグアイ代表によく似た(縦縞がない)空色のシャツを着用してブラジル代表と戦った[25]ロベルト・チェリーは1919年の南米選手権に出場したウルグアイ代表の控えキーパーであり、チリとの試合中に倒れて死去していた[26]。また、スウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップにはアウェーユニフォームを持参しておらず、地元のIFKマルメのユニフォーム(黄色)を借りて西ドイツ戦に臨んだ。

ファーストキット編集

 
 
 
 
1901
 
 
 
 
 
 
 
1911–1974
 
 
 
 
 
 
 
1930 (World Cup)
 
 
 
 
 
 
 
1975
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1978
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1986
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1990
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1994
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1998
 
 
 
 
 
 
 
1999
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
2016

選手編集

GK編集

DF編集


MF編集


FW編集


記録編集

「期間」は代表で試合に出場した期間であり、末期が抜けている選手は現役代表選手を表す。

出場試合数編集

  • 2017年3月28日時点
  水色は現役選手
順位 名前 出場数 得点数 期間
1 ハビエル・サネッティ 145 5 1994-2011
2 ハビエル・マスチェラーノ 136 3 2003-
3 リオネル・メッシ 117 58 2005-
4 ロベルト・アジャラ 115 7 1994-2007
5 ディエゴ・シメオネ 106 11 1988-2002
6 オスカル・ルジェリ 97 7 1983-1994
7 ディエゴ・マラドーナ 91 34 1977-1994
8 アリエル・オルテガ 87 17 1993-2010
セルヒオ・ロメロ 87 0 2009-
10 アンヘル・ディ・マリア 84 18 2008-

得点数編集

  • 2017年3月28日時点
  水色は現役選手
順位 名前 得点数 出場数 得点率 期間
1 リオネル・メッシ 58 117 0.5 2005-
2 ガブリエル・バティストゥータ 54 77 0.701 1991-2002
3 エルナン・クレスポ 35 64 0.555 1995-2007
4 ディエゴ・マラドーナ 34 91 0.374 1977-1994
5 セルヒオ・アグエロ 33 82 0.4 2007-
6 ゴンサロ・イグアイン 31 68 0.46 2009-
7 ルイス・アルティメ 24 25 0.960 1961-1967
8 ダニエル・パサレラ 23 70 0.33 1976-1986
9 レオポルド・ルケ 22 45 0.488 1975-1981
ホルヘ・サンフィリッポ 22 29 0.724 1956-1962

ギャラリー編集

脚注編集

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  1. ^ “Football gold for Argentina”. BBC News. (2004年8月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/olympics_2004/football/3607296.stm 2010年4月25日閲覧。 
  2. ^ – Argentina on”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  3. ^ – Tournaments”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  4. ^ Wetzel, Dan (2010年7月1日). “War of words renews Argentina-Germany rivalry – FBINTL – Yahoo! Sports”. G.sports.yahoo.com. 2012年6月7日閲覧。
  5. ^ Great Footballing Rivalries : Argentina vs. Uruguay « SportsKeeda”. Sportskeeda.com. 2012年6月7日閲覧。
  6. ^ – Argentina first for first time”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  7. ^ この際のウルグアイ代表の先発メンバーにはアルビオンFCの選手が9人も含まれていたことから、これがウルグアイ代表の初試合であるかは議論がなされており、代表の初試合は別の試合となるべきとする意見もある。出典はHistoria del Fútbol Uruguayo Deportes
  8. ^ Copa Lipton 1905-1992 RSSSF
  9. ^ El gol olímpico cumple 80 Clarín、2004年10月2日
  10. ^ El primer gran título argentine Os Classicos
  11. ^ Grandes técnicos argentinos: César Menotti LaRedó
  12. ^ Historias, curiosidades y estadísticas de la Selección, tras sus primeros 900 partidos El Gráfico、2012年6月
  13. ^ La magia de Maradona tumba a Inglaterra FIFA.com
  14. ^ Mexico 86, el mundial de Maradona Notas de Fútbol
  15. ^ FIFA awards 1982-2010 FIFA.com
  16. ^ Partidos memorables: Argentina 1-Brasil 0
  17. ^ Cinco victorias memorables sobre Brasil Goal.com]
  18. ^ Argentina beats Yugoslavia The New York Times、1990年7月1日
  19. ^ La polémica alemana sobre el penal en la final de Italia 90 Infobae、2006年6月16日
  20. ^ Final Italia 1990: Alemania 1-0 Argentina Geo Futbol.com、2008年10月26日
  21. ^ La última Copa América para Argentina: 1993 Diario Uno、2011年7月4日
  22. ^ Copa Julio Roca RSSSF
  23. ^ 進むべき道が見いだせないアルゼンチン代表 -スポーツナビ: 2011年7月6日
  24. ^ 失望を積み重ねるアルゼンチン -スポーツナビ: 2011年7月21日
  25. ^ "Copa Roberto Chery, Brasil 3 - Argentina 3" IFFHS
  26. ^ "El 3 de Julio de 1919, la Selección de Brasil vistió la camiseta de Peñarol", GloriosoMirasol.com

関連項目編集

外部リンク編集