サッカーアルゼンチン代表

アルゼンチンの男子サッカーナショナルチーム

サッカーアルゼンチン代表(サッカーアルゼンチンだいひょう、スペイン語: Selección nacional de fútbol de Argentina)は、アルゼンチンサッカー協会(AFA)によって構成される、アルゼンチンサッカーナショナルチームである。

サッカーアルゼンチン代表
国または地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
協会 アルゼンチンサッカー協会
FIFAコード ARG
愛称 La Selección (選抜)
Albicelestes (白色と空色)
Gaucho (ガウチョ)
監督 アルゼンチンの旗 リオネル・スカローニ
キャプテン リオネル・メッシ
最多出場選手 リオネル・メッシ(180試合)
最多得点選手 リオネル・メッシ(106得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1901年5月16日ウルグアイ
3-2
最大差勝利試合 1942年1月22日エクアドル
12-0
最大差敗戦試合 1958年6月15日チェコスロバキア
1-6
2009年4月1日対ボリビア
1-6
2018年3月28日対スペイン
1-6
1993年9月5日対コロンビア
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 18回(初出場は1930
最高成績 優勝 (1978, 1986, 2022)
コパ・アメリカ
出場回数 43回
最高成績 優勝 (1921, 1925, 1927, 1929, 1937, 1941, 1945, 1946, 1947, 1955, 1957, 1959, 1991, 1993, 2021)

ホームスタジアムは、首都ブエノスアイレスにあるエスタディオ・モヌメンタル

概要 編集

FIFAワールドカップで3度優勝経験のある世界を代表する強豪国の一つ。第1回大会の1930 FIFAワールドカップより出場しており(決勝戦でウルグアイに2-4で敗れ準優勝)、自国開催の1978 FIFAワールドカップではオランダを3-1で破って初優勝した。メキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは西ドイツを3-2で下して2度目の優勝を果たしたが、イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは西ドイツ代表に0-1で敗れた。1978年大会の優勝監督はセサル・ルイス・メノッティであり、1986年大会の優勝監督はカルロス・ビラルドである。

コパ・アメリカでは大きな成功を収めており、ウルグアイと並び最多15回の優勝を誇る。FIFAコンフェデレーションズカップではキング・ファハド・カップ(前身大会)時代の1992年に優勝し、夏季オリンピックではアテネオリンピック北京オリンピックで2連覇を果たした[1]パンアメリカン競技大会では、1951年大会、1955年大会、1959年大会、1971年大会、1995年大会、2003年大会の6回優勝している。

主なライバルはブラジル、ウルグアイ、ドイツイングランドである[2][3]。2007年3月、1993年から毎月公表されているFIFAランキングで初めて1位となり[4]、ドイツ、ブラジル、イタリア(いずれも1993年)、フランス(2001年)に次いで1位を獲得した5ヶ国目の国となった。その際は1ヶ月で1位を手放したが、10月には再び1位となり、2008年7月にスペインに1位を明け渡すまで首位の座にあった。現在は8チームが1位を経験している。1978 FIFAワールドカップの際に初めて非公式サッカー世界王者となり、その後も何度か1位を獲得している。

1990年代以降、FIFA U-20ワールドカップやオリンピックといった育成年代の大会で数多くの優勝を重ねるなどの実績を挙げている。その一方で、フル代表の戦績は伸び悩んでおり、日韓ワールドカップでは南米予選を1位で通過してフランスと並び優勝候補の筆頭と目されていたが攻撃陣が機能せず、優勝候補の一つイングランドに敗れてグループリーグ敗退に終わった。2006年に開催されたFIFAワールドカップでは、準々決勝で強豪ドイツにPK戦で敗退した。2010年に開催されたFIFAワールドカップでも、準々決勝でドイツに0-4で敗れ、ベスト8にとどまった。また翌年のコパ・アメリカ2011では豪華メンバーを揃えて、自国開催ということもあり大会前から優勝候補の筆頭と目されていたが、格下のボリビアコロンビアに立て続けに引き分けてグループリーグを2位通過、ウルグアイにPK戦の末敗れて準々決勝敗退に終わった。 また、1990年代初めまでは、名前のアルファベット順に背番号を割り当てるという世界でも珍しい伝統があった。

歴史 編集

 
アムステルダム五輪銀メダルを獲得したアルゼンチン代表

20世紀 編集

記録に残る当代表の初試合は、1901年5月16日にウルグアイとの間で行なわれ[5]、3-2で勝利した。代表結成後最初の数年間は、南米の国との親善試合のみが行なわれたが、1906年にコパ・リプトンという大会が開催され、ウルグアイを破って初の公式タイトルを獲得した[6]。1916年には南米サッカー連盟(CONMEBOL)が組織され、同年に第1回南米選手権(現在のコパ・アメリカ)が自国開催されたがウルグアイが優勝、1921年の第5回南米選手権も自国開催となり、初優勝した。

1924年に行われたウルグアイとの親善試合では、セサレオ・オンサーリがコーナーキックを直接ゴールに決めた。このプレーはゴル・オリンピコ(オリンピック・ゴール)と呼ばれ、現在でも同様のプレーはオリンピック・ゴールと呼ばれている[7]。3度目の自国開催となった、1925年の南米選手権は、2度目の優勝を飾った。1928年開催されたアムステルダムオリンピックは当代表が南米以外の国に赴いて出場した初の国際大会となった。決勝はウルグアイとの南米対決となり、再試合(初戦は1-1)に1-2で敗れ銀メダルを獲得した。1929年には再び南米選手権の開催国となって2連覇を達成。1930年、国際サッカー連盟(FIFA)は第1回FIFAワールドカップを組織し(開催国ウルグアイ)、13ヶ国が招待(アルゼンチン含む)。決勝のウルグアイ戦に敗れて準優勝に終わったが、8得点を挙げたギジェルモ・スタービレが初代得点王となった。第二次世界大戦で中立的な立場を宣言、1934年にイタリアで開催された第2回大会は1回戦敗退、1938年にフランスで開催された第3回大会には出場しなかった。

1950年、第二次大戦後初のFIFAワールドカップがブラジルで開催されたが、ブラジルサッカー協会との対立から参加を取りやめた。1954年の1954 FIFAワールドカップの参加も辞退したが、1930年代から1950年代にかけて、南米選手権では7大会で優勝。いずれの大会でもスタービレが監督を務めた。1958年にスウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップには24年ぶりに出場したが、低調なプレーでグループリーグ敗退に終わった。1959年には第12回南米選手権に出場して優勝。19年間指揮を執ったスタービレの監督退任後、1991年にアルフィオ・バシーレ監督の下で優勝するまで、30年以上も南米選手権/コパ・アメリカでは優勝できなかった。

 
アルゼンチン代表 (1964年)

1960年にはパンアメリカン選手権英語版に出場して初(そして唯一の)優勝を飾った。チリで開催された1962 FIFAワールドカップでは終始低調なプレーとなって早期敗退に終わり、1963年の南米選手権では3位に終わった。1964年にはブラジルサッカー協会創設50周年を記念した親善大会であるリトル・ワールドカップ英語版で優勝し、このタイトルは当代表が獲得した「初の偉大なタイトル」とされている[8]1966 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国イングランドに敗れた。この試合ではミッドフィールダーのラティンが退場処分を受けたが、ラッティンは処分に激怒して不適切な行為を行い、この試合で起こった出来事がイングランドとのライバル関係の発端となった。ラティンの行為がカード導入のきっかけのひとつとなり、1970 FIFAワールドカップではFIFAワールドカップの舞台で初めてイエローカードレッドカードが使用された。1967年の南米選手権は準優勝に終わり、1970 FIFAワールドカップペルーの後塵を拝し、初めて南米予選で敗退した。

1974 FIFAワールドカップで2次リーグ敗退を喫すると、アルゼンチンサッカー協会(AFA)は国内サッカーの変革を強いられ、セサル・ルイス・メノッティが新監督に就任。自国開催に向けた長期スパンでの準備を開始したが、1975年のコパ・アメリカ1975(名称変更後第1回大会)はグループリーグ敗退となった。自国開催された1978 FIFAワールドカップ本大会ではグループ2位で2次リーグ進出を決め、2次リーグでは得失点差で決勝進出を決めた。エスタディオ・モヌメンタルで行なわれた決勝ではオランダと対戦し、3-1で勝利してFIFAワールドカップ初優勝を飾った。ケンペスは6得点で得点王に輝いただけでなく、大会最優秀選手にも選出された。オランダとはAマッチで10度対戦しているが、勝利はこのときが唯一である(2022 FIFAワールドカップ終了時点)。1979年にはコパ・アメリカ1979に出場したが、グループリーグ最下位で敗退した。同年にはU-20代表がFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。このチームの監督もメノッティであり、中心選手としてディエゴ・マラドーナラモン・ディアスなどがいた。1981年にはウルグアイで開催されたスモール・ワールドカップに出場したが、グループリーグで敗退した。

マルビナス紛争の停戦宣言が出されたのは、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ大会期間中である。2次リーグ敗退後にメノッティが監督を退任したが、メノッティ指揮下でA代表とユース代表それぞれが世界王者となった。長期的なスパンの計画を実行したのはメノッティ監督時代が初めてだった[9][10]

 
アルゼンチン代表を優勝に導いたマラドーナ

後任監督にはカルロス・ビラルドが就任したが、就任後すぐのコパ・アメリカ1983は早期敗退した。1986 FIFAワールドカップでは前評判は高くなかったものの、グループ首位で決勝トーナメント進出を決め、準々決勝のイングランド戦ではマラドーナが「神の手」ゴールと「5人抜き」ゴールを決めて勝利した。4年前にマルビナス諸島を奪われていた経緯があったため、この勝利は祝福された[11]。準決勝ではベルギーを下し、決勝では西ドイツを下して2度目の優勝を果たした。活躍を見せたマラドーナは5得点を挙げて大会最優秀選手賞を受賞した[12][13]

1987年に自国開催されたコパ・アメリカ1987ではウルグアイに敗れて敗退。ブラジルで開催されたコパ・アメリカ1989でも良いところなく敗退した。1990 FIFAワールドカップは前回大会優勝国枠で出場し、前評判の低さにもかかわらず勝ち進んだ。FIFAワールドカップ本大会の舞台で初めてブラジルに勝利した決勝トーナメント1回戦は、歴史上もっとも輝かしい瞬間のひとつとされている[14][15]。準々決勝ではユーゴスラビアをPK戦で下し[16]。準決勝では開催国のイタリアをPK戦で下したが、決勝の西ドイツ戦には疑惑のPKによって敗れた[17][18]

大会後にはアルフィオ・バシーレが就任し、コパ・アメリカ1991では32年ぶり13回目の優勝を飾り、6得点のガブリエル・バティストゥータが得点王となった。1992年にはキング・ファハド・カップ1992FIFAコンフェデレーションズカップの前身大会)に出場して優勝。同年にはエクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に出場して2連覇を果たした。これ以後優勝を逃し続けており、優勝回数は14回で止まっている[19]1994 FIFAワールドカップではオーストラリアとの大陸間プレーオフ経由で出場を決め、アメリカで開催された本大会グループリーグでは2連勝したが、マラドーナがドーピング違反を行って大会から追放されると、決勝トーナメントではルーマニアに敗れて大会から去った。1995年にはキング・ファハド・カップ1995に出場したが、決勝でデンマークに敗れて優勝を逃した。同年のFIFAワールドユース選手権ではマラドーナ時代以来となる優勝を果たし、この大会ではその後も1997年、2001年、2005年、2007年に優勝している。オーバーエイジ制度が導入されたアトランタオリンピックでは、決勝でナイジェリアに敗れたものの銀メダルを獲得した。フランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグを無失点の3連勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではイングランドにPK戦で勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。なお、この大会で日本が初出場し、ワールドカップで日本と最初に対戦したのがアルゼンチンである。

21世紀 編集

2002 FIFAワールドカップ・南米予選では首位で本大会出場を決め、2002 FIFAワールドカップ開幕前の前評判は高かったが、日本と韓国で共催された本大会では「死の組」に組み込まれ、ライバルのイングランドに敗れるなどしてグループリーグ敗退に終わった。2004年のアテネオリンピックでは、国際大会史上初となる全試合無失点で金メダルを獲得した。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したが、決勝でブラジルに敗れて準優勝に終わった。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国のドイツに敗れた。コパ・アメリカ2007では決勝まで進んだが、決勝ではブラジルに0-3で敗れて準優勝に終わった。2008年の北京オリンピックにはリオネル・メッシなどが出場し、グループリーグから6連勝を記録して再び金メダルを獲得した。2010 FIFAワールドカップに先立ってマラドーナが監督に就任すると、南アフリカで開催された本大会ではグループリーグを3戦全勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではメキシコに勝利したが、準々決勝のドイツに0-4で敗れて大会から去った。コパ・アメリカ2011ではウルグアイと対戦した準々決勝に敗れ、セルヒオ・バティスタ監督が解任されてアレハンドロ・サベーラが新監督に就任した。2014年ワールドカップブラジル大会では、南米予選を首位で突破し、出場した。攻撃陣にメッシアグエロイグアインディ・マリアといった世界クラスの選手を擁し、大会前から、開催国であるブラジル、前回王者であるスペイン、そしてドイツと並ぶ優勝候補の一角に数えられた。グループステージではエースのメッシが全試合でゴールを挙げる大活躍で3連勝し、決勝トーナメントに進出した。しかし、一転して決勝トーナメントでは攻撃陣が機能せず苦戦を強いられた。しかし、安定した守備がこれを支え、無失点で決勝進出を決めた。決勝ではドイツと対戦して互角の戦いを見せ、延長戦にもつれ込んだが延長後半に失点し、準優勝に終わった。メッシはこの大会のMVPに輝き、大会後にサベーラ監督は辞任した。

W杯後はヘラルド・マルティーノが監督に就任。コパ・アメリカ2015では2大会ぶりに決勝に進んだが、決勝では延長戦とPK戦の末にチリに敗れ準優勝に終わった。コパ・アメリカ・センテナリオでは3年連続となる国際大会での決勝進出を果たしたが、前大会の雪辱戦となったチリ相手に再びPK戦で敗れ3大会連続の準優勝となった。また、決勝前に主将のメッシが自国のサッカー協会の職務怠慢ぶりを批判し、大会後はメッシを始めとする主力が次々と代表引退を示唆するなどの騒動に発展した。大会の翌日、セグーラ会長はFIFAから不正疑惑を追及され辞任した。

 
サッカーアルゼンチン代表 (2018年)

2018 FIFAワールドカップ・南米予選では苦戦が続き、第17節でペルーとスコアレスドローで引き分け、大陸間プレーオフ圏外の6位までに転落し、1970 FIFAワールドカップ以来48年ぶりの予選敗退の危機に陥った[20]。エクアドルとアウェーで対戦した最終節ではエクアドルに先制されたものの、メッシが3得点のハットトリックを挙げて予選3位で本大会出場を果たしたと同時に、エクアドルとのアウェー戦では、2002 FIFAワールドカップ・南米予選以来の勝利を挙げた[21]。予選での苦戦ぶりから下馬評が高くない状況で本大会に突入。グループステージ初戦では初出場のアイスランド戦では1-1のスコアで引き分け、続くクロアチア戦では0-3で敗れグループ最下位に転落、続くナイジェリア戦でメッシが初ゴールを挙げて勝利し、2位での突破を決めたものの、第2戦終了の時点で監督を務めるホルヘ・サンパオリの手腕に批判が向けられたり、またアグエロと監督の確執やチームの空中分解が噂された。ラウンド16ではフランスと対戦、この試合でアルゼンチン代表は3得点をあげたもののキリアン・エムバペを中心としたフランスの攻撃陣に苦戦し、最終的に3-4で敗れベスト16で敗退が決まった。

コパ・アメリカ2021では決勝まで無敗をキープし、ブラジルとの決勝戦では、ディ・マリアの先制ゴールを守り切り優勝した。これはメッシにとっての記念すべき代表初タイトルであり、チームとしては11大会ぶり15回目の優勝となった[22]

2022 FIFAワールドカップグループCに入り、サウジアラビアメキシコポーランドと同組になった。初戦のサウジアラビア戦では前半に得たPKをリオネル・メッシが決めて先制するが、後半にサレー・アル=シェフリサーレム・アッ=ドーサリーのゴールで2点を奪われて1-2で逆転負けを喫し、まさかの黒星スタートとなった[23]。 2戦目のメキシコ戦では後半にメッシが先制ゴールを決め、試合終了間際にもエンソ・フェルナンデスがCKから追加点を奪い取って決勝トーナメント進出に近づく[24]。 負ければグループステージ敗退が決まる3戦目のポーランド戦ではアレクシス・マック・アリスターが後半開始数秒で先制ゴールを決めると、フリアン・アルバレスも追加点を奪い取ってグループ首位で決勝トーナメント進出を決めた[25]

決勝トーナメント1回戦2006年大会以来16年ぶりのベスト16入りとなったオーストラリアと対戦。この試合でキャリア1,000試合目の出場となったメッシが得点し、さらにアルバレスもゴールネットを揺らして2点のリードを得た。試合終盤にオウンゴールを献上したものの同点にはさせずに2-1で逃げ切ってベスト8入りを決めた[26]準々決勝グループAを1位通過したオランダと対戦。ナウエル・モリーナとメッシが得点して2-0とするが、83分にボウト・ベグホルストによって1点を返されると、勝利目前の90分+11分にもベグホルストのゴールで同点にされ、90分での勝利を逃し延長戦でも決着はつかずPK戦へ。そのPK戦では最後のキッカーとしてPKを成功させたラウタロ・マルティネスなど4人がPKを成功させてベスト4入りを決める[27]準決勝前回大会準優勝のクロアチアと対戦。前半にメッシとアルバレスがゴールを決めて前半を2点リードで折り返すと、後半にもメッシのドリブルからアルバレスがトドメとなる3点目を奪って決勝進出を決めた[28]

決勝は前回大会優勝のフランスと対戦。前半にメッシとディ・マリアがゴールを決めるが、試合終盤にキリアン・エムバペにPKを決められるとその2分後にもエムバペにボレーシュートを決められて同点にされる。2-2のまま試合は延長戦に突入し延長後半にメッシが3点目を決めて再びリードを奪うが、優勝まであと僅かに迫ったその10分後に味方のハンドによりフランスにPKが与えられ、それをエムバペが沈めて3-3の同点となり優勝を賭けた最終決戦はPK戦に突入。フランスは2人目、3人目が連続でPKを失敗。アルゼンチンはメッシを含む4人が成功。最後はゴンサロ・モンティエルがPKを成功させたところで決着がつき、1986年大会以来36年ぶり3回目のワールドカップ制覇を達成した。これによりメッシは悲願のワールドカップ初優勝を果たし、大会を通じて7得点3アシストの成績を残したことにより史上初となる二度目の大会MVPに輝いた[29][30]

W杯優勝以降も好調を維持するアルゼンチン代表は、親善試合を4試合連続で複数得点かつ無失点で快勝し、2026年W杯に向けた南米予選に突入した。

タイトル 編集

アルゼンチン代表
世代別代表
オリンピック
  • 金メダル (2):2004, 2008
  • 銀メダル (2):1928, 1996

A代表の成績 編集

FIFAワールドカップ 編集

開催国/年 成績
  1930 準優勝 5 4 0 1 18 9
  1934 1回戦敗退 1 0 0 1 2 3
  1938 不参加
  1950
  1954
  1958 グループリーグ敗退 3 1 0 2 5 10
  1962 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 3
  1966 ベスト8 4 2 1 1 4 2
  1970 予選敗退
  1974 2次リーグ敗退 6 1 2 3 9 12
  1978 優勝 7 5 1 1 15 4
  1982 2次リーグ敗退 5 2 0 3 8 7
  1986 優勝 7 6 1 0 14 5
  1990 準優勝 7 2 3 2 5 4
  1994 ベスト16 4 2 0 2 8 6
  1998 ベスト8 5 3 1 1 10 4
   2002 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 2
  2006 ベスト8 5 3 2 0 11 3
  2010 ベスト8 5 4 0 1 10 6
  2014 準優勝 7 5 1 1 8 4
  2018 ベスト16 4 1 1 2 6 9
  2022 優勝 7 4 2 1 15 8
合計 出場18回/優勝3回 88 47 17 24 152 101

コパ・アメリカ 編集


開催国/年 成績
H&A 1975 グループリーグ敗退
H&A 1979 グループリーグ敗退
H&A 1983 グループリーグ敗退
  1987 4位
  1989 3位
  1991 優勝
  1993 優勝
  1995 ベスト8
  1997 ベスト8
  1999 ベスト8
  2001 不参加
  2004 準優勝
  2007 準優勝
  2011 ベスト8[32][33]
  2015 準優勝
  2016 準優勝
  2019 3位
  2021 優勝

FIFAコンフェデレーションズカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1992 優勝 2 2 0 0 7 1
  1995 準優勝 3 1 1 1 5 3
  1997 不参加
  1999
   2001
  2003
  2005 準優勝 5 2 2 1 10 10
  2009 不参加
  2013
  2017
合計 3/10 10 5 3 2 22 14

パンアメリカン競技大会 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1951 優勝 4 4 0 0 16 2
  1955 優勝 6 5 1 0 23 7
  1959 優勝 6 5 1 0 20 4
  1963 準優勝 7 3 1 0 18 3
  1967 グループリーグ敗退 3 1 1 1 7 3
  1971 優勝 5 4 1 0 7 2
  1975 3位 3 2 1 0 9 1
  1979 3位 4 2 2 0 3 0
  1983 グループリーグ敗退 2 0 0 2 0 4
  1987 3位 4 3 0 1 11 3
  1991 予選敗退
  1995 優勝 6 5 1 0 10 4
  1999 予選敗退
  2003 優勝 5 5 0 0 10 5
  2007 グループリーグ敗退 3 0 2 1 1 3
  2011 準優勝 5 3 1 1 6 2
  2015 不参加
合計 14/17 60 46 10 6 134 43

世代別の成績 編集

オリンピック 編集

  • 1960 - グループリーグ敗退
  • 1964 - グループリーグ敗退
  • 1968 - 予選敗退
  • 1972 - 予選敗退
  • 1976 - 予選敗退
  • 1980 - 参加辞退
  • 1984 - 予選敗退
  • 1988 - ベスト8


FIFA U-20ワールドカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1977 予選敗退 - - - - - -
  1979 優勝 6 6 0 0 20 2
  1981 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3
  1983 準優勝 6 5 0 1 13 2
  1985 予選敗退 - - - - - -
  1987 - - - - - -
  1989 ベスト8 4 1 0 3 3 4
  1991 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 6
  1993 予選敗退 - - - - - -
  1995 優勝 6 5 0 1 12 3
  1997 優勝 7 6 0 1 15 7
  1999 ベスト16 4 1 1 2 2 5
  2001 優勝 7 7 0 0 27 4
  2003 4位 7 5 0 2 12 8
  2005 優勝 7 6 0 1 12 5
  2007 優勝 7 6 1 0 16 2
  2009 予選敗退 - - - - - -
  2011 ベスト8 5 3 2 0 6 1
  2013 予選敗退 - - - - - -
  2015 グループリーグ敗退 3 0 2 1 4 5
合計 14/20 75 52 8 15 147 57

FIFA U-17ワールドカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 グループリーグ敗退 3 1 1 1 5 4
  1987 予選敗退
  1989 ベスト8 4 1 2 1 5 3
  1991 3位 6 2 2 2 5 5
  1993 グループリーグ敗退 3 1 1 1 7 6
  1995 3位 6 5 0 1 12 4
  1997 ベスト8 4 2 1 1 3 2
  1999 予選敗退
  2001 4位 6 3 1 2 12 9
  2003 3位 6 4 1 1 10 4
  2005 予選敗退
  2007 ベスト8 5 2 2 1 7 4
  2009 ベスト16 4 2 0 2 6 6
  2011 ベスト16 4 1 1 2 4 8
  2013 4位 7 4 1 2 13 12
  2015 グループリーグ敗退 3 0 0 3 1 8
合計 13/16 61 28 13 20 90 75

南米U-17選手権 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 優勝 8 8 0 0 32 4
  1986 4位 7 1 5 1 7 7
  1988 準優勝 7 6 0 1 13 4
  1991 3位 7 4 2 1 10 7
  1993 3位 7 4 1 2 12 6
  1995 準優勝 6 4 1 1 12 4
  1997 準優勝 7 4 1 2 15 6
  1999 4位 6 2 2 2 9 9
  2001 準優勝 7 4 1 2 12 9
  2003 優勝 7 4 3 0 19 5
  2005 グループリーグ敗退 4 1 1 2 6 7
  2007 3位 9 4 4 1 13 7
  2009 準優勝 5 3 2 0 10 4
  2011 3位 9 5 1 3 17 11
  2013 優勝 9 4 3 2 17 13
  2015 準優勝 9 4 2 3 14 9
合計 16/16 117 64 28 25 223 119

南米ユース選手権 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1954 予選敗退
  1958 準優勝 5 2 2 1 16 10
  1964 6位 6 1 2 3 4 5
  1967 優勝 6 2 3 1 9 7
  1971 3位 5 3 0 2 7 3
  1974 4位 5 1 2 2 3 5
  1975 3位 5 2 2 1 7 6
  1977 グループリーグ敗退 4 0 2 2 3 5
  1979 準優勝 6 3 2 1 10 1
  1981 3位 6 3 1 2 11 12
  1983 3位 7 5 1 1 17 10
  1985 グループリーグ敗退 4 1 2 1 5 3
  1987 3位 6 3 1 2 9 9
  1988 3位 8 6 0 2 13 5
  1991 準優勝 7 3 3 1 12 10
  1992 予選敗退
  1995 準優勝 7 5 1 1 10 3
  1997 優勝 9 5 3 1 18 7
  1999 優勝 9 8 0 1 21 3
  2001 準優勝 9 5 3 1 13 6
  2003 優勝 9 6 2 1 15 5
  2005 3位 9 5 4 0 19 4
  2007 準優勝 9 3 5 1 15 8
  2009 6位 9 1 5 3 10 13
  2011 3位 9 6 1 2 15 9
  2013 グループリーグ敗退 4 1 1 2 6 7
  2015 優勝 9 7 1 1 24 7
合計 25/27 167 83 49 35 279 159

歴代監督 編集

期間 名前 試合
1924-1925 アンヘル・バスケス
1926-1927 ホルヘ・バルデラマ
1927-1928 ホセ・ラーゴ・ミジャン
1928-1929 フランシスコ・オラサール
1929-1930 フランシスコ・オラサール
フアン・ホセ・トラムトーラ
1934 フェリペ・パスクッチ
1934-1937 マヌエル・セオアネ
1937-1939 アンヘル・フェルナンデス・ロカ
1939-1960 ギジェルモ・スタービレ
1960-1961 ビクトリオ・スピネット
1962-1963 フアン・カルロス・ロレンソ
1963 アレハンドロ・ガラン
1963-1964 オラシオ・アマブレ・トーレス
1964-1968 ホセ・マリア・ミネージャ
1968 レナート・セサリーニ
1968-1969 ウンベルト・マスチオ
1969 アドルフォ・ペデルネーラ
1969-1972 フアン・ホセ・ピスティ
1972-1974 オマール・シボリ
1974 ブラディスラオ・カップ
1974-1983   セサル・ルイス・メノッティ 85 46 21 18
1983-1990   カルロス・ビラルド 81 28 30 23
1991-1994   アルフィオ・バシーレ 48 25 17 6
1993   レイナルド・メルロ 1 0 0 1
1994-1998   ダニエル・パサレラ 57 34 13 10
1999   クラウディオ・ビバス英語版 2 2 0 0
1999-2004   マルセロ・ビエルサ 83 54 18 11
2004-2006   ホセ・ペケルマン 28 15 7 6
2006-2008   アルフィオ・バシーレ 28 14 8 6
2008-2010   ディエゴ・マラドーナ 25 18 0 7
2010-2011   セルヒオ・バティスタ 12 6 3 3
2011-2014   アレハンドロ・サベーラ 40 25 10 5
2014-2016   ヘラルド・マルティーノ 29 19 7 3
2016-2017   エドガルド・バウサ 8 3 2 3
2017-2018   ホルヘ・サンパオリ 15 7 4 4
2018-   リオネル・スカローニ 61 41 15 5

ユニフォーム 編集

ホーム用ユニフォームは国旗に由来する空色と白色の縦縞のシャツ、黒色のパンツ、白色と黒色のソックスである。アウェー用ユニフォームはたいてい紺色のシャツだが、パンツとソックスの色は様々である。何度かはこの通りでないユニフォームを着用しており、そのひとつがブラジルサッカー連盟によって慈善大会として計画された1919年のコパ・ロベルト・チェリーである。この大会ではウルグアイ代表によく似た(縦縞がない)空色のシャツを着用してブラジル代表と戦った[34]ロベルト・チェリーは1919年の南米選手権に出場したウルグアイ代表の控えキーパーであり、チリとの試合中に倒れて死去していた[35]

また、スウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップにはアウェーユニフォームを持参しておらず、地元のIFKマルメのユニフォーム(黄色)を借りて西ドイツ戦に臨んだ。

ファーストキット 編集

 
 
 
 
1901
 
 
 
 
 
 
 
1911–1974
 
 
 
 
 
 
 
1930 (World Cup)
 
 
 
 
 
 
 
1975
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1978
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1986
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1990
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1994
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1998
 
 
 
 
 
 
 
1999
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018

歴代選手 編集

W杯の登録メンバー 編集

主な代表選手 編集

GK

DF

MF

FW

歴代記録 編集

 
最多出場・最多得点者であるリオネル・メッシ

出場数ランキング 編集

2023年11月22日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 出場 得点 期間
1 リオネル・メッシ 180 106 2005-
2 ハビエル・マスチェラーノ 147 3 2003-2018
3 ハビエル・サネッティ 145 5 1994-2011
4 アンヘル・ディ・マリア 136 29 2008-
5 ロベルト・アジャラ 116 7 1994-2007
6 ニコラス・オタメンディ 109 6 2009-
7 ディエゴ・シメオネ 108 11 1988-2002
8 セルヒオ・アグエロ 101 41 2006-2021
9 オスカル・ルジェリ 97 7 1983-1994
10 セルヒオ・ロメロ 96 0 2009-2018

得点数ランキング 編集

2023年11月22日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 得点 出場 期間
1 リオネル・メッシ 106 180 2005-
2 ガブリエル・バティストゥータ 55 78 1991-2002
3 セルヒオ・アグエロ 41 101 2007-2021
4 エルナン・クレスポ 35 63 1995-2007
5 ディエゴ・マラドーナ 34 91 1977-1994
6 ゴンサロ・イグアイン 31 75 2009-2018
7 アンヘル・ディ・マリア 29 136 2008-
8 ルイス・アルティメ英語版 24 25 1961-1967
9 ダニエル・パサレラ 22 70 1976-1986
レオポルド・ルケ 45 1975-1981

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ “Football gold for Argentina”. BBC News. (2004年8月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/olympics_2004/football/3607296.stm 2010年4月25日閲覧。 
  2. ^ Wetzel, Dan (2010年7月1日). “War of words renews Argentina-Germany rivalry – FBINTL – Yahoo! Sports”. G.sports.yahoo.com. 2012年6月7日閲覧。
  3. ^ Great Footballing Rivalries : Argentina vs. Uruguay « SportsKeeda”. Sportskeeda.com. 2012年6月7日閲覧。
  4. ^ – Argentina first for first time”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  5. ^ この際のウルグアイ代表の先発メンバーにはアルビオンFCの選手が9人も含まれていたことから、これがウルグアイ代表の初試合であるかは議論がなされており、代表の初試合は別の試合となるべきとする意見もある。出典は Historia del Fútbol Uruguayo Deportes
  6. ^ Copa Lipton 1905-1992 RSSSF
  7. ^ El gol olímpico cumple 80 Clarín、2004年10月2日
  8. ^ El primer gran título argentine Os Classicos
  9. ^ Grandes técnicos argentinos: César Menotti LaRedó
  10. ^ Historias, curiosidades y estadísticas de la Selección, tras sus primeros 900 partidos El Gráfico、2012年6月
  11. ^ La magia de Maradona tumba a Inglaterra FIFA.com
  12. ^ Mexico 86, el mundial de Maradona Notas de Fútbol
  13. ^ FIFA awards 1982-2010 FIFA.com
  14. ^ Partidos memorables: Argentina 1-Brasil 0
  15. ^ Cinco victorias memorables sobre Brasil Goal.com]
  16. ^ Argentina beats Yugoslavia The New York Times、1990年7月1日
  17. ^ La polémica alemana sobre el penal en la final de Italia 90 Infobae、2006年6月16日
  18. ^ Final Italia 1990: Alemania 1-0 Argentina Geo Futbol.com、2008年10月26日
  19. ^ La última Copa América para Argentina: 1993 Diario Uno、2011年7月4日
  20. ^ アルゼンチン、W杯出場圏外の6位に転落…ペルーとスコアレスで崖っぷちに サッカーキング 2017年10月6日
  21. ^ 【動画】メッシがハット!アルゼンチン、鬼門キト決戦で勝利…苦しみながらもロシアW杯出場権獲得 GOAL.com 2017年10月11日
  22. ^ メッシ、5度目の決勝戦で悲願の代表初タイトル…!アルゼンチンがブラジル下し28年ぶりコパ・アメリカ制覇”. ゴールコム (2021年7月11日). 2021年7月11日閲覧。
  23. ^ サウジアラビアが初戦で歴史的大金星! メッシ今大会初ゴールのアルゼンチンは37戦ぶりの敗戦に”. Goal.com (2022年11月22日). 2022年12月3日閲覧。
  24. ^ 【動画】逆境のアルゼンチンを救ったのはやはりメッシ!鮮やかミドルシュートでメキシコ撃破”. Goal.com (2022年11月27日). 2022年12月3日閲覧。
  25. ^ 優勝候補アルゼンチン、決勝T進出!サウジに衝撃の黒星から挽回の2連勝。ポーランドは敗戦も得失点差で2位通過に”. Goal.com (2022年12月1日). 2022年12月28日閲覧。
  26. ^ メッシ、待望の決勝T初ゴール!アルゼンチンがオーストラリアに競り勝ち準々決勝でオランダと激突”. Goal.com (2022年12月4日). 2022年12月7日閲覧。
  27. ^ 【動画】メッシが1G1Aのアルゼンチン、PK戦の末にオランダ下す…悲願のW杯制覇まであと2勝”. Goal.com (2022年12月10日). 2022年12月28日閲覧。
  28. ^ 【動画】アルゼンチン、不屈のクロアチア下し2大会ぶりW杯決勝の舞台へ!メッシ大暴れで悲願のタイトルまであと1勝”. Goal.com (2022年12月14日). 2022年12月28日閲覧。
  29. ^ アルゼンチンが36年ぶり3度目のW杯制覇!メッシが“最後の一戦”で圧巻2発、PK戦でフランスとの歴史的激闘を制す”. Goal.com (2022年12月19日). 2022年12月20日閲覧。
  30. ^ 悲願のW杯初制覇、メッシが唯一無二の伝説に。記録ずくめ、7G3Aで母国を36年ぶり世界王者に導く”. Goal.com (2022年12月19日). 2023年7月13日閲覧。
  31. ^ Copa Julio Roca RSSSF
  32. ^ 進むべき道が見いだせないアルゼンチン代表 -スポーツナビ: 2011年7月6日
  33. ^ 失望を積み重ねるアルゼンチン -スポーツナビ: 2011年7月21日
  34. ^ "Copa Roberto Chery, Brasil 3 - Argentina 3" IFFHS
  35. ^ "El 3 de Julio de 1919, la Selección de Brasil vistió la camiseta de Peñarol", GloriosoMirasol.com

関連項目 編集

外部リンク 編集