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フリードリヒ・グルダ

フリードリヒ・グルダFriedrich Gulda, 1930年5月16日 - 2000年1月27日)は、オーストリアピアニスト作曲家バッハモーツァルトベートーヴェンの演奏を特に得意とした。ジャズ演奏でも知られる。20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人である。1960年代イェルク・デームスパウル・バドゥラ=スコダとともにウィーン三羽烏と呼ばれた。

フリードリヒ・グルダ
Gulda 1.jpg
基本情報
生誕 (1930-11-09) 1930年11月9日
出身地  オーストリア東京都
死没 (2000-10-07) 2000年10月7日(72歳没)
学歴 [[]]
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト作曲家
担当楽器 ピアノ
公式サイト 公式サイト

目次

略歴編集

1930年、ウィーンに生まれる。1942年ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学し、ブルーノ・ザイドルホーファーに師事。1946年ジュネーブ国際音楽コンクールで一等賞を受賞。

1947年、初のレコーディングを行い、バッハベートーヴェンショパンプロコフィエフなどを録音。その後の録音としては、以下がある。

クラシック音楽だけでなく、1970年頃からはジャズに傾倒し、ジャズの演奏に転向しようとした。

1999年3月頃、マスメディアに自分が死去したという偽の情報を流し、世間が騒ぎ始めた数日後に”生き返った”という設定で復活コンサートを開く。2000年、1月27日死去。生前には、最も敬愛するモーツァルトの誕生日に死にたいと宣言をしていたが、実際にモーツァルトの誕生日に、自宅で心臓発作によって亡くなった。69歳だった。

教師としては、1955年頃にマルタ・アルゲリッチを指導している。

演奏について編集

フリードリヒ・グルダを論じるとき、様々な言い方がなされることがあるが、古きよき時代の伝統を受け継ぎつつも、新しい音楽の可能性を探る挑戦者だったということができる。1970年代にジャズの演奏に転向しようとした(周囲の反対でそれは出来ず、クラシックとジャズの演奏を両立させる道を選んだ)のも、既存の音楽がつまらないというわけではなく、自分の学んだ古き音楽と新しい音楽の融合を目指したのである。その証左として、彼のレパートリーは非常に広く、クラシック音楽にしてもバッハの平均律クラヴィーア曲集のような古いものから、ラヴェルドビュッシー、プロコフィエフまで多彩であったことが挙げられる。しかし、彼が最も得意としたのは、3度も『ピアノソナタ』全曲を録音しているベートーヴェンであった〈1回目:1953年10月-1954年1月 RAVAG録音(ORFEO DOR発売)、2回目:1954年-1958年 DECCA録音、3回目:1967年 AMADEO録音〉。

作曲について編集

フリードリヒ・グルダは、しばしば作曲もしている(「ゴロウィンの森の物語」など)。逸話として、あるピアノコンサートで曲目が終わりアンコールの時になり、グルダが聴衆に向かって「何か聞きたい曲あるかい?」と聞いたすぐ後、客席から「アリア!」との声があり、すかさず「グルダのだね!」と言ってグルダの『アリア』をピアノで弾いたという。グルダが作曲や即興にも優れていたことを表している逸話である。

著書編集

  • Aus Gesprächen mit Kurt Hofmann (Mein ganzes Leben ist ein Skandal)
    グルダの発言をオーストリア放送協会ザルツブルク地方局のディレクター、クルト・ホーフマンがまとめたもの。
    日本語版は田辺秀樹訳『グルダの真実 - クルト・ホーフマンとの対話』(洋泉社)ISBN 4-89691-131-8

親族編集

最初の妻との子パウル、2人目の妻・祐子(ジャズピアニスト)との間の三男リコはともにピアニスト。日本に対しては妻が日本人だったこともあり、親近感を抱いていたことでも知られる。来日歴は1967年1969年1993年の3度ある。

外部リンク編集

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