ブラデ・ディバッツ

セルビアのバスケットボール選手 (1968 - )

ブラデ・ディバッツ(英:Vlade Divac,(セルビア語: Владе Дивац, [ˈvlaːdɛ ˈdiːvats]) 1968年2月3日 - )は、旧ユーゴスラビアセルビア社会主義共和国ズラティボル郡プリポリェ出身の元プロバスケットボール選手。アメリカに渡りNBAロサンゼルス・レイカーズサクラメント・キングスなどでプレーした。216cm,120kg。ポジションはセンターサクラメント・キングスの球団社長を務めていた。

ブラデ・ディバッツ
Vlade Divac
2016年のディバッツ
引退
ポジション C
基本情報
セルビア語 Владе Дивац
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1968-02-03) 1968年2月3日(56歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア セルビア
ズラティボル郡プリポリェ
身長(現役時) 216cm (7 ft 1 in)
体重(現役時) 110kg (243 lb)
キャリア情報
出身 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 パルチザン・ベオグラード
ドラフト 1989年 26位
永久欠番 キングス  21 
選手経歴
1980-1982
1982-1986
1986-1989
1989-1996
1996-1998
1998-1999
1999-2004
2004-2005
KK Elan Prijepolje
KK Sloga Kraljevo
パルチザン・ベオグラード
ロサンゼルス・レイカーズ
シャーロット・ホーネッツ
KK Crvena Zvezda
サクラメント・キングス
ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ ユーゴスラビアの旗1986-2002
獲得メダル
男子バスケットボール
オリンピック
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
1988 ソウル
1996 アトランタ
世界選手権
1986 スペイン
1990 アルゼンチン 大会ベスト5
2002 インディアナポリス
ユーロバスケット
1987 ギリシャ
1989 ユーゴスラビア
1991 イタリア 大会ベスト5
1995 ギリシャ 大会ベスト5
1999 フランス

来歴 編集

マドリードで行われた1986年バスケットボール世界選手権ユーゴスラビア代表として出場した。この大会の準決勝でソビエト連邦相手にチームは残り45秒で9点リードしていたが3ポイントシュート2本を決められ3点差、ファウルゲームを避けてパスを回して時間を費やそうとしたが残り14秒で彼のダブルドリブルによって相手ボールとなり同点の3ポイントシュートを決められオーバータイムの末敗れ銅メダルとなった[1]。翌1987年のバスケットボール世界ジュニア選手権ではディノ・ラジャトニー・クーコッチと共に優勝、1988年のソウルオリンピックでは銀メダルを獲得、1989年、1991年のユーロバスケットを連覇、1990年バスケットボール世界選手権を制した[1]

彼は機動力もありボールコントロールにも優れ、中距離からのシュート能力を備えている当時としては珍しいタイプのセンターであった。

1989年のNBAドラフト1巡目全体26位でロサンゼルス・レイカーズに指名され、その後コービーブライアントとトレードされホーネッツに入団する[2]、アメリカ国内の大学でプレーしたことのない選手としてはドラゼン・ペトロビッチに続いてヨーロッパ人選手として史上2人目のNBA選手となった[3]。当初、英語を全く話せなかったにもかかわらず彼はすぐにチームへ溶け込み、その才能を如何なく発揮する。結果、この年彼はオールルーキーファーストチームに選ばれた[1][2]

2年目の1991年にはシカゴ・ブルズとのNBAファイナルに出場したがチームは1勝4敗で敗れチャンピオンリングを逃した。

その後1996年のNBAドラフトの際、コービー・ブライアントとのトレードでシャーロット・ホーネッツに移籍し2シーズンをホーネッツで過ごした。1998年にオーナー側のロックアウトがされた際にはセルビアで2試合プレーした。その後サクラメント・キングスに加入しクリス・ウェバーペジャ・ストヤコヴィッチと共にドアマットチームだったキングスをウェスタンカンファレンスの強豪に押し上げプレーオフの常連とした。

その後、キングスとの契約延長を望んでいたがチームとの話が進まず6シーズン在籍したキングスを退団、NBAファイナルで敗れ、シャキール・オニールゲイリー・ペイトンカール・マローンデレック・フィッシャーの退団したレイカーズに復帰した。しかし背中の負傷で彼は十分なプレーをできず、この年15試合に出場、平均9分の出場で2.3得点、2.1リバウンドに終わった。2005年7月14日に現役引退を発表した。

NBAで13,000得点以上、9,000リバウンド以上、3,000アシスト以上、1,500ブロックショット以上の成績を残している6人の選手の1人で他にこの記録を達成したのはカリーム・アブドゥル=ジャバーティム・ダンカンシャキール・オニールケビン・ガーネットアキーム・オラジュワンである。

2009年3月31日、サクラメント・キングス時代の背番号21が永久欠番とされるセレモニーがアルコアリーナで開催された[4]

2020年8月15日、サクラメント・キングスの球団CEOを辞任すると発表。

プレースタイル 編集

216cm120kg大柄な体格を生かしたパワーにポストプレーの上手さやパスセンスに優れていた。 ヨーロッパ人選手として初めてシーズン成績でダブル・ダブルを記録するなど、ヨーロッパ人選手の先駆けとして活躍をしFIBAの殿堂入りを果たした。[5]

個人成績 編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

レギュラーシーズン 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1989–90 LAL 82* 5 19.6 .499 .000 .708 6.2 .9 1.0 1.4 1.3 8.5
1990–91 82* 81 28.2 .565 .357 .703 8.1 1.1 1.3 1.5 1.8 11.2
1991–92 36 18 27.2 .495 .263 .768 6.9 1.7 1.5 1.0 2.4 11.3
1992–93 82 69 30.8 .485 .280 .689 8.9 2.8 1.6 1.7 2.6 12.8
1993–94 79 73 34.0 .506 .191 .686 10.8 3.9 1.2 1.4 2.4 14.2
1994–95 80 80 35.1 .507 .189 .777 10.4 4.1 1.4 2.2 2.6 16.0
1995–96 79 79 31.3 .513 .167 .641 8.6 3.3 1.0 1.7 2.5 12.9
1996–97 CHH 81 80 35.1 .494 .234 .683 9.0 3.7 1.3 2.2 2.4 12.6
1997–98 64 41 28.1 .498 .214 .691 8.1 2.7 1.3 1.5 1.8 10.4
1998–99 SAC 50* 50* 35.2 .470 .256 .702 10.0 4.3 .9 1.0 2.6 14.3
1999–00 82 81 29.0 .503 .269 .691 8.0 3.0 1.3 1.3 2.3 12.3
2000–01 81 81 29.9 .482 .286 .691 8.3 2.9 1.1 1.1 2.4 12.0
2001–02 80 80 30.3 .472 .231 .615 8.4 3.7 1.0 1.2 2.0 11.1
2002–03 80 80 29.8 .466 .240 .713 7.2 3.4 1.0 1.3 1.9 9.9
2003–04 81 81 28.6 .470 .154 .654 5.7 5.3 .7 1.0 2.1 9.9
2004–05 LAL 15 0 8.7 .419 --- .667 2.1 1.3 .3 .1 .9 2.3
通算 1134 979 29.8 .495 .235 .692 8.2 3.1 1.1 1.4 2.2 11.8
オールスター 1 0 9.0 .667 .000 --- 3.0 1.0 2.0 .0 1.0 8.0
  • 1998-99シーズンは50試合で打ち切り

プレーオフ 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1990 LAL 9 1 19.4 .727 .500 .895 5.3 1.1 .9 1.7 1.4 9.1
1991 19 19 32.1 .564 .167 .803 6.7 1.1 1.4 2.2 2.2 13.3
1992 4 4 35.8 .349 .000 .900 5.5 3.8 1.3 .8 4.5 9.8
1993 5 5 33.4 .500 .444 .545 9.4 5.6 1.2 2.4 2.2 18.0
1995 10 10 38.8 .467 .222 .645 8.5 3.1 .8 1.3 2.8 15.6
1996 4 4 28.8 .429 .200 .625 7.5 2.0 .0 1.3 2.0 9.0
1997 CHH 3 3 38.7 .457 .000 .800 8.7 3.3 1.0 2.0 2.0 18.0
1998 9 9 38.3 .483 .000 .606 10.9 3.4 .8 1.6 2.4 11.6
1999 SAC 5 5 39.6 .446 .200 .833 10.0 4.6 1.6 .8 3.8 16.2
2000 5 5 32.0 .357 .000 .696 7.2 2.8 1.4 .8 1.8 11.2
2001 8 8 28.1 .350 .333 .763 8.4 2.4 1.0 1.5 2.3 10.8
2002 16 16 33.4 .464 .286 .755 9.3 1.7 1.1 1.3 2.3 13.5
2003 12 12 26.4 .560 --- .673 5.8 2.3 .7 .9 1.3 11.4
2004 12 12 19.6 .437 --- .739 4.9 1.8 .3 .4 1.2 6.6
通算 121 113 30.8 .480 .241 .731 7.5 2.4 1.0 1.4 2.1 12.1


映画出演 編集

コート外 編集


脚注 編集

  1. ^ a b c Slobodan Georgijev (2007年9月20日). “Srbin broj jedan van Srbije” (Serbian). Vreme. 2010年4月26日閲覧。
  2. ^ a b 塚本清彦 (2009年12月4日). “NBAへの道vol.2”. Jスポーツ. 2010年4月26日閲覧。
  3. ^ コートの 内外 で 、偉業を成し遂げるブラディー・ディバッツとペジャ・ストヤコビッチ”. nba.com. 2010年4月26日閲覧。
  4. ^ ブラデ ディバッツ、キングスの永久欠番に”. BASKETBALLNAVI (2009年3月31日). 2010年4月26日閲覧。
  5. ^ [1] アルビダス・サボニス、シェリル・ミラーらと共にFIBAの殿堂入りを果たす nba.com


関連項目 編集

外部リンク 編集