マゾフシェ県
マゾフシェ県 (Województwo mazowieckie) | |||
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位置 | |||
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情報 | |||
地域: | ポーランド東中部 | ||
県都: | ワルシャワ | ||
面積: | 35,597 km2 | ||
人口 - 合計 - 人口密度 |
約5,072,000 人 144 人/km2 | ||
郡: | 38 | ||
グミナ: | 314 | ||
略号: | W | ||
県番号: | 14 | ||
県知事: | レシェック・ミジェリンスキ (Leszek Mizieliński) | ||
公式ウェブサイト: | 県庁公式ウェブサイト |
マゾフシェ県 (マゾフシェけん、ポーランド語: Województwo mazowieckie) はポーランド東中部の県。
県都はポーランドの首都でもあるワルシャワ。ポドラシェ県、ヴァルミア・マズールィ県、クヤヴィ・ポモージェ県、ウッチ県、シフィェンティクシシュ県、ルブリン県と接している。1999年1月1日、ポーランドの地方行政区画の改正にともない誕生した。面積・人口ともにポーランド最大の県である。
地域区分編集
- 郡 (powiat)
- ビャウォブジェギ郡 (Powiat białobrzeski)
- チェハヌフ郡 (Powiat ciechanowski)
- ガルヴォリン郡 (Powiat garwoliński)
- ゴスティニン郡 (Powiat gostyniński)
- グロジスク郡 (Powiat grodziski)
- グルイェッツ郡 (Powiat grójecki)
- コジェニツェ郡 (Powiat kozienicki)
- レギョノーヴォ郡 (Powiat legionowski)
- リプスコ郡 (Powiat lipski)
- ウォシツェ郡 (Powiat łosicki)
- マクフ郡 (Powiat makowski)
- ミンスク郡 (Powiat miński)
- ムワヴァ郡 (Powiat mławski)
- ノヴィ・ドヴル郡 (Powiat nowodworski)
- オストロウェンカ郡 (Powiat ostrołęcki)
- オストルフ郡 (Powiat ostrowski)
- オトフォツク郡 (Powiat otwocki)
- ピャセチュノ郡 (Powiat piaseczyński)
- プウォツク郡 (Powiat płocki)
- プウォンスク郡 (Powiat płoński)
- プルシュクフ郡 (Powiat pruszkowski)
- プシャスヌィシュ郡 (Powiat przasnyski)
- プシスーハ郡 (Powiat przysuski)
- プウトゥスク郡 (Powiat pułtuski)
- ラドム郡 (Powiat radomski)
- シェドルツェ郡 (Powiat siedlecki)
- シェルプツ郡 (Powiat sierpecki)
- ソハチェフ郡 (Powiat sochaczewski)
- ソコウフ郡 (Powiat sokołowski)
- シドゥオヴィエッツ郡 (Powiat szydłowiecki)
- ワルシャワ郡 (Powiat warszawski)
- 西ワルシャワ郡 (Powiat warszawski zachodni)
- ヴェングルフ郡 (Powiat węgrowski)
- ヴォウォミン郡 (Powiat wołomiński)
- ヴィシュクフ郡 (Powiat wyszkowski)
- ズヴォレン郡 (Powiat zwoleński)
- ジュロミン郡 (Powiat żuromiński)
- ジラルドゥフ郡 (Powiat żyrardowski)
観光地編集
プウォツク編集
プウォツクはヴィスワ川のほとりの街。典型的なマゾフシェ地方の田園風景のなかにある。旧市街にはその規模の割に教会が多い。ローマ・カトリック教会から組織的に独立したカトリック教会である「マリアのまねび会教会(Mariawityzm)」が非常に盛んで、「プウォツク慈悲と施しの聖堂(Świątynia Miłosierdzia i Miłości w Płocku)」が中心地となっている。また、中欧最大の石油卸会社「PKNオーレン」の本社所在地でもある。
ワルシャワ編集
ワルシャワはポーランドの首都で、中東部マゾフシェ県の県都。ヴィスワ川中流に位置する、ポーランド最大の都市。英語ではWarsawと書く。国王や大貴族の邸宅であったすばらしい宮殿があちこちにあり、街の規模に比して宮殿の非常に多い都市として、歴史的建築物の多いヨーロッパにおいてさえも異彩を放っている。旧市街を中心とした「ワルシャワ歴史地区」は第二次世界大戦で破壊されたが、戦時中にレジスタンス活動の一環で建築物は全て詳細な図面をとって隠してあり、戦後これらの図面を基に建築物は市民の手によって完全に再建され、ユネスコの世界遺産[1][2]に登録されている。さらに、第二次世界大戦で破壊された市内各所の宮殿群も同様の経緯で現在も次々と元通りに再建されつつある[3]。毎年5月初旬には大規模なパレードがあり、このとき1万人もの市民がベートーヴェン交響曲第9番第4楽章の「歓喜の歌」を歌うことが伝統行事となっている。ワジェンキ宮殿公園のショパン像広場では、毎年5月半ばから9月末まで毎週日曜日の正午と午後4時の2回、無料の屋外ピアノコンサートが開かれる。
城壁の外から眺めた王宮
王宮とジグムント3世王の像のコルムナ(石柱)
ヴィスワ川の方から見た王宮
旧市街「白樺通り」から「新市街」(15世紀以前に開発された「旧市街」に対して15世紀に新たに開かれた歴史的市街地)の「聖カシミロ教会」方面
「新市街」広場と聖カシミロ教会(15世紀以前に開発された「旧市街」に対して15世紀に新たに開かれた歴史的市街地)
「新市街」広場(15世紀以前に開発された「旧市街」に対して15世紀に新たに開かれた歴史的市街地)
「新市街」広場(15世紀以前に開発された「旧市街」に対して15世紀に新たに開かれた歴史的市街地)
大統領宮殿(ラジヴィウ家の宮殿)とユゼフ・ポニャトフスキの像
18世紀ポーランド・ネオクラシカル様式の代表的建築物ワジェンキ水上王宮
18世紀ポーランド・ネオクラシカル様式の代表建築群ピアニスト兼政治家イグナツィ・パデレフスキの像
公園内の野良リス
公園内で放し飼いの孔雀
ワルシャワ大劇場
1833年建築
18世紀から19世紀にかけてのポーランド・ネオクラシカル様式の代表的建築物
完成当時の1833年から1965年まで130年以上にわたり世界最大の劇場および常に世界最高の設備をもつ劇場として知られた
1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻で空襲の被害を受けたが戦後にワルシャワ市民のボランティアで元通りに修復したピウスツキ広場(独立広場)と無名戦士の墓
サスキ(ザクセン)宮殿の発掘現場‐再建予定
銀行広場の金融委員会宮殿
ネオクラシカル様式の代表的建築物マゾフシェ県庁
ネオクラシカル様式の代表的建築物文化科学宮殿
ソビエト連邦が建てた超高層ビル
外観の基本構造は剛健なスターリン・ゴシック様式で、そこにポーランド・バロック様式の華美な装飾が施されている
近年、頂上の尖塔の四つの面すべてに大時計が取り付けられたメトロ旧車両とヴィルソナ(ウィルソン米大統領)駅
メトロ新車両とラトゥシュ(市役所)駅
水上バス
(「水上トラムTramwaj Wodny」と呼んでいる)
ジェラゾヴァ・ヴォラ編集
ジェラゾヴァ・ヴォラはマゾフシェ地方の田園風景が美しい村。作曲家フレデリック・ショパンの生家が博物館として保存されている。ワルシャワから近い。また、この地方はショパンの生家のようなマナー・ハウスが非常に多く、多くはよく保存されており、いくつかは一般の住宅として使用されている。
聖ロクス像
プウォニスク(Płońsk)近郊のポシヴィエントネ(Poświętne)村のマナー・ハウス
ノーベル文学賞受賞者で小説『クオ・ヴァディス』の作家として有名なヘンリク・シェンキェヴィチの住んだ家
マゾフシェ県(ワルシャワを除く)の宮殿群編集
この地方の領主は古い家系のシュラフタ(ポーランド貴族)が多く、その領地も代々の分割相続を重ねて中小規模となったものが多いため、彼らの本宅となっている宮殿でさえも派手で豪壮なものはあまり多くない。また、大貴族が別荘ないしワルシャワ郊外の抱屋敷として所有していたものもある。全体的にこぢんまりと落ち着いた女性的な外観を持つ傾向がある。博物館やホテルとなっていることが多いが、共産主義時代に当時の政府がもとの所有者から押収したまま廃墟の状態で払い下げを待っているものもある。
ヤブウォンナ(Jabłonna)村の宮殿
ユーゼフ・ポニャトフスキが所有したヤドヴィシン(Jadwisin)村のラジヴィウ家宮殿
コジェニツェ(Kozienice)村のポニャトフスキ家宮殿
リフ(Liw)郡ストラヴィエシ(Starawieś)村のラジヴィウ家宮殿