マヨット
座標: 南緯12度48分12秒 東経45度09分47秒 / 南緯12.80343度 東経45.16308度
- マヨット
- Mayotte
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マヨットの旗 マヨットの紋章 -
公用語 フランス語 行政所在地 ザウジ(法律上)[1]
マムズ(事実上)大統領 エマニュエル・マクロン 総評議会議長 ベン・イッサ・ウセニ 知事(プレフェ) ティエリー・スーケ (Thierry Suquet) 面積 - 総面積 374 km² - 水面積率 (%) 極僅か 人口 - 推計(2020年) 279,500[2]人 - 人口密度 747.3/km² GDP (PPP) (2003年) - 合計 4億6,680万ドル - 1人当り 2,600ドル 通貨 ユーロ ( EUR
)時間帯 UTC+3 ISO 3166-1 YT / MYT ccTLD .yt 国際電話番号 +269
マヨット (Mayotte)は、フランスの海外県である。アフリカ大陸南東、マダガスカル島との間のモザンビーク海峡に浮かぶコモロ諸島に属する島である。コモロ諸島の最も南東に位置する。マヨット島を除く他の島々は独立国家コモロ連合であり、同国はフランスに対し、マヨット島の領有権および返還を主張している。
領名編集
フランス語名は、Mayotte(マヨット)。英語読みでは、マイヨット。
フランス領となる以前からの伝統的名称は、Mahoré(マオレ)で、この島の帰属を主張するコモロは、こちらで呼んでいる。
日本語の表記は、マヨットが最も多く[要出典]、マイヨット、マホレ、マオレとも書かれる。
歴史編集
1841年、フランスはマヨット島の王からこの島を買収してフランスの植民地とした[3]。
その後、フランスはマヨットを拠点として残るコモロ諸島3島をも植民地化した。1912年7月25日、コモロ諸島植民地は、フランス領マダガスカルに併合。第二次世界大戦中は、マヨット島にイギリス海軍の基地が置かれた。1946年にコモロは自治領になり、1958年にマダガスカルがフランス共同体の自治共和国になったため、コモロ諸島はフランス海外領土となった。その後、1961年に内政自治権が認められた。
1960年、コモロ諸島の首府がマヨット島のザウジから、グランドコモロ島のモロニへ移転されたが、この過程で遷都に反対するマヨット島はほかの三島に対する反発を強め、対立が激化していった[4]。1960年代後半からはコモロでも自治拡大および独立運動が盛んになってきたが、マヨットでは他島に対する反発からフランス帰属が支持を得るようになっていった。
1974年12月22日に、コモロ諸島全域でフランスからの独立に関する住民投票が行われ、独立賛成が多数を占めたが、唯一マヨット島のみが反対票が多かった[5]。そのため、マヨット島の処遇についてフランス政府とコモロ自治政府で話し合いがもたれたが、結論が出る前の1975年7月6日に、マヨット島を含むコモロ諸島全体について独立を宣言した。これに対して、マヨット島では、1976年2月8日および4月11日に再度住民投票を行い、フランス残留と自治権拡大について賛成多数となり、フランス政府はこの結果を受諾した[6]。そのため、コモロは国連に裁定を委ねた。10月21日国連総会は、住民投票におけるフランスの不正の疑いが強いことを理由に、マヨット島のコモロ帰属を決議した。しかし、フランスはこの決議には従わず、自治権を拡大するため、12月1日にマヨットを領土的共同体とした。さらに、フランス本土で地方分権化がすすむのにあわせて、海外県・海外領土への権限移譲を推進するため、2000年7月の住民投票での賛成を経て、2001年7月11日に実験的な制度である海外準県になった。2009年3月29日の住民投票で賛成派が95%を占めたため、2011年3月31日よりフランスの海外県になった[7]。海外県になることは、フランス本土と同じ法と社会システムを採用することを意味する。2014年1月1日より、EUの完全な一部となった[8]。
政治編集
フランス本土と同様、行政首長は、県会議員によって互選された県会議長が兼任する。任期は6年。大統領が任命する知事(Prefect)は中央政府と地方自治体との調整役を務めるにとどまる。
県会は、全19議席。任期3年で、住民の直接選挙で選出される。また、マヨットの住民は、フランスの上院と下院にそれぞれ1名の代表を送ることが認められている。
地理編集
マヨット島(マホレ島)は、コモロ諸島の南東端に位置する。本島(通称、グランド・テール: 「大島」)とパマンジ島(通称、プティト・テール: 「小島」)、その他周辺の小島および珊瑚礁で構成されている。本島は、コモロ諸島の中で地質学上最も古くに形成された火山島である。火山岩のため、土壌は肥沃である。最高地点は標高660mのベナラ山である。
島全体を珊瑚礁が包囲するため、その内側の海は穏やかで、漁船および軍艦の待避港として役立っており、また、マリンスポーツにも適している。
経済編集
肥沃な土壌に恵まれているため農業を中心にして、漁業、畜産が行われている。しかし、狭い耕地を輸出用作物に割いてしまっているため自給自足はできず、食料需要の大部分をフランスからの輸入に依存している。また、交通が不便なため、観光業は不振である。
輸出されている農作物は、バニラ、イランイラン、コーヒーなど。
1997年からマヨット独自の切手を発行してきたが、海外県に昇格したことで発行が終了し、2011年4月1日よりフランス本土と同じ切手が再導入されることとなった。現在はマヨット切手とフランス切手の移行期間である。
空港編集
唯一の空港としてザウジ・パマンジ国際空港が存在する。
住民編集
ムスリム(イスラム教徒)で占められる周辺のコモロ諸島の他の島々やマダガスカルに比べ、マヨット島にはカトリックが多いと言われるが、住人の大半がムスリムであることに変わりはない。マヨットの子供は6歳になると小学校とマドラサに並行して通う。
公用語のフランス語を話すのは住民の約3分の1。地域言語としてマダガスカル語やスワヒリ語の方言、コモロ語などが話されている。
脚注編集
- ^ “Histoire et Géographie” (フランス語). www.mayotte.gouv.fr (14/08/2015). 2022年10月16日閲覧。
- ^ “Tableaux de l'économie française” (フランス語). INSEE. 2022年8月10日閲覧。
- ^ エルヴェ・シャニュー、アリ・ハリブ著、花渕馨也訳「コモロ諸島」白水社、2001年8月10日、ISBN 978-4560058428 p41-42
- ^ エルヴェ・シャニュー、アリ・ハリブ著、花渕馨也訳「コモロ諸島」白水社、2001年8月10日、ISBN 978-4560058428 p81-82
- ^ エルヴェ・シャニュー、アリ・ハリブ著、花渕馨也訳「コモロ諸島」白水社、2001年8月10日、ISBN 978-4560058428 p62
- ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.198、朝倉書店 ISBN 4254166621
- ^ http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_27-1/RitsIILCS_27.1pp159-174HIRANO.pdf 「国民国家と植民地主義 最後の海外県マイヨットを手がかりに」(立命館言語文化研究27巻1号)p166 平野千果子 立命館大学国際言語文化研究所 2015年10月 2019年10月17日閲覧
- ^ Elise Cannuel (2011年3月31日). “EU shores spread to Indian Ocean island”. dw-world.de