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マンスター・ラグビー(Munster Rugby)は、アイルランドラグビーユニオンクラブである。現在、プロ14に所属している。1879年に創設された。

マンスター・ラグビー
愛称 The Red Army
創設年 1879年
本拠地 アイルランドの旗リムリックコーク
グラウンド トモンド・パーク (収容人数: 25,600)
マスグレイヴ・パーク (収容人数: 8,008)
コーチ ヨハン・ファングラーン
主将 ピーター・オマーニー
最多キャップ ドナカ・オカラハン (268)
最多得点選手 ローナン・オガーラ (2,625)
最多トライ選手 サイモン・ジボ (60)
所属リーグ プロ14
2017–18 2位、プレーオフ準決勝
ファーストカラー
セカンドカラー
公式サイト
www.munsterrugby.ie
テンプレートを表示
Rugby Provincial Teams Ireland.svg

目次

歴史編集

1879年、レンスターアルスターと同時期にアイルランド南西部マンスターの地域代表クラブとして創設された。

南半球強豪国の遠征チームと数々の名勝負を演じたことで知られており、ニュージーランド代表(オールブラックス)の遠征チームとの対戦では1905年デイヴ・ギャラハー主将率いるいわゆる「オリジナル・オールブラックス」の遠征における初対戦で33対0の大差で敗れたものの1973年には3対3で引き分け、1978年にはトモンド・パークにおいて12対0で勝利を収めている(2016年アイルランド代表アメリカシカゴにおいて40対29で勝利する[1]までアイルランドのクラブとしてオールブラックスからの唯一の勝利であった)。オーストラリア代表の遠征チームとは1947年の初対戦では6対5で敗れたが1967年には11対8で勝利している。南アフリカ代表の遠征チームとの対戦でも1951年に11対6、1960年に9対3と敗れはしたものの接戦を演じている。

1995年ラグビーユニオンのプロ化に伴いアイルランドでもマンスターを含む4つの地域代表クラブがプロクラブ化した。マンスターは1995-96年シーズンの第1回ハイネケンカップ(現在のヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ)に出場し、1998-99年シーズンには初めてグループステージを突破している。1999-00年シーズンにはハイネケンカップにおいてトゥイッケナム・スタジアムで行われた決勝に進むもイングランドノーサンプトン・セインツに9対8で敗れ2位、2001-02年シーズンも決勝でイングランドのレスター・タイガースに敗れ2位に終わった。なお、この2002年のマンスター対レスターの一戦において試合終了間際、15対9でレスターがリードする中でマンスター側のボール投入で5mスクラムが行われる際、マンスターSHのピーター・ストリンガーが投入しようとしたボールをレスターFLのニール・バックがはたき(レフリーはバックの反対側に立っていて確認できなかった)、レスターがポゼッションを得て試合がそのまま終了するという事態が起こり、物議を醸した[2]。2001年に始まったケルティックリーグ(現在のプロ14)では初年度にレンスターに決勝で屈するも翌シーズン決勝でウェールズニースを37対17で下し初優勝した。2005-06年シーズンのハイネケンカップでは決勝でフランスビアリッツ・オランピックを23対19で破り初優勝、さらに2007-08年シーズンはニュージーランド代表のダグ・ハウレットを擁してフランスのスタッド・トゥールーザンに16対13で勝利して優勝している。2008-09年シーズン、2010-11年シーズンはケルティックリーグでそれぞれ決勝でエディンバラ(スコットランド)とレンスターを破って優勝した。ハイネケンカップ(ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ)では2008年以降決勝に進出することができていない。

2016年、ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップのグループステージ第1戦、ラシン92戦のためフランスのパリに遠征中にヘッドコーチでマンスターのキャプテンを務めたこともあるアンソニー・フォーリーが42歳で急死し、ラシン92との試合は延期された[3]。6日後に行われたトモンド・パークにおけるグラスゴー戦でフォーリーの追悼がなされ、試合はマンスターが38対17で勝利した。この試合でフォーリーの現役時代の主なポジションであったNo.8として出場したCJスタンダーは24番をジャージを着用した[4]

獲得タイトル編集

脚注編集

外部リンク編集