ラジェス航空基地ポルトガル語Base Aérea das Lajes)または、第4航空基地Base Aérea Nº4BA4)やラジェス飛行場英語Lajes Field)、民間航空部門ではラジェス空港Aeroporto das Lajes)は、ポルトガルアゾレス諸島テルセイラ島ラジェス近郊にあるポルトガル空軍の航空基地。1941年から運用が開始された。

ラジェス航空基地
Base Aérea das Lajes
IATA: TER - ICAO: LPLA
概要
国・地域 ポルトガルの旗 ポルトガル
所在地 アゾレス諸島テルセイラ島
種類 軍民共用
運営者 ポルトガル空軍およびアゾレス地方政府
標高 55 m (188 ft)
座標 北緯38度45分42秒 西経027度05分26秒 / 北緯38.76167度 西経27.09056度 / 38.76167; -27.09056座標: 北緯38度45分42秒 西経027度05分26秒 / 北緯38.76167度 西経27.09056度 / 38.76167; -27.09056
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
15/33 YES 3,313×60 舗装
リスト
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ラジェスの北東部に位置し、プライア・ダ・ヴィトーリアpt:Praia da Vitória)にある軍港とは軍用道路で結ばれている。また、島内には電気通信設備や燃料備蓄施設が点在しており、緊急の際にはスペースシャトルの非常用着陸場となっている。

歴史

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飛行場の起源は1928年ポルトガル陸軍のエドゥアルド・ゴメス・ダ・シウヴァ中佐(Eduardo Gomes da Silva)の報告書により、テルセイラ島に陸軍航空隊用の飛行場施設を建設する可能性が検討された。しかし、サンミゲル島のアシャダ(Achada)が代わりに選ばれ、飛行場が建設される事になる。1934年、アシャダ飛行場は困難な気象条件と不十分な施設により不都合が生じていたため、テルセイラ島ラジャスに仮設滑走路を陸軍により建設される。

第二次世界大戦中の1941年に滑走路は拡大され第5航空基地となり軍は資器材を運び込んだ。当時はドイツ軍と連合国軍の脅威に晒され中立性が侵害されていた。ポルトガル政府はアゾレス諸島の占領を防ぐために航空部隊を含む軍隊を駐留させた。

しかし、1943年にポルトガル政府はイギリス政府と協定を結びイギリス空軍に使用を許可した。第二次世界大戦終盤になると次にアメリカ合衆国空軍にも使用が許可された。

戦後、ポルトガル空軍は捜索救難と気象観測および空輸業務に重点をおいた。アメリカ合衆国軍ではヨーロッパ地中海および中東方面への中継点として戦略的に重要な役割を担う。1974年第四次中東戦争ではイスラエル向け緊急援助物資の輸送や、1990年湾岸危機では本航空基地を中継して大規模な空輸を実施した。

1976年にはハリケーン・エミーen:Hurricane Emmy (1976))から避難するためにベネズエラ空軍C-130が緊急着陸しようとするも突風に煽られ丘に激突し乗員68名が死亡する事故がおきている。

1980年にマグニチュード7.0の地震によりテルセイラ島は広範に被害を受けるも、基地施設の被害は軽微であった。

2001年にはエア・トランザット236便滑空事故エアバスA330が緊急着陸に成功している。

配置部隊・機関

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アメリカ合衆国空軍

ポルトガル空軍

  • アゾレス諸島空軍管区司令部
  • 第752飛行隊「プマス(Pumas)」 - 捜索救難
  • アゾレス諸島航空分遣隊
    • 第401飛行隊「(Cientistas)」 - 要撃

民間航空会社

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脚注

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外部リンク

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関連項目

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