レオナルド・アストラーダ

アルゼンチンのサッカー選手

レオナルド・アストラーダ(Leonardo Astrada, 1970年1月6日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。守備ラインの前でボールを奪い、正確なパスで攻撃の起点となる、チームに安定をもたらすプレーヤーであった[1]

レオナルド・アストラーダ
名前
本名 レオナルド・ルベン・アストラーダ
Leonardo Rubén Astrada
ラテン文字 Leonardo ASTRADA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1970-01-06) 1970年1月6日(54歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 174cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-2000 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 297 (6)
2000 ブラジルの旗 グレミオ 6 (0)
2001-2003 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 42 (0)
代表歴
1991-1999 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 32 (1)
監督歴
2004-2005 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
2005-2006 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
2007-2008 アルゼンチンの旗 コロン
2008-2009 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2009-2010 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
2011 パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
2012 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス
2014-2015 パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
2015 アルゼンチンの旗 アトレティコ・デ・ラファエラ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

選手 編集

選手キャリアの大半をCAリーベル・プレートでボランチとしてプレーし、公式戦通算405試合に出場した。プリメーラ・ディビシオンでは計10度優勝し、クラブ史上もっとも多くのリーグタイトルを獲得した選手となった[2]。1996年にはコパ・リベルタドーレスで、1997年にはスーペルコパ・スダメリカーナで優勝した。2000年には短期間だがブラジルのグレミオFBPAでプレーした。2003年のリーグ優勝を花道に引退。 1991年から1999年にはアルゼンチン代表でもプレーし、コパ・アメリカ1991コパ・アメリカ1995、アルメイダの控えとして、1998 FIFAワールドカップにも参加。コパ・アメリカでは1991年大会で優勝した。通算32試合に出場して1得点を挙げた[3]

指導者 編集

2004年1月に現役引退するとすぐに古巣CAリーベル・プレートの監督に就任し、1年半の間指揮を執った。2005年10月にはCAロサリオ・セントラルの監督に就任したが、フロントと良好な関係を築けず、すぐに辞任した。2007-08シーズン途中にはCAコロンの監督に就任したが、2008年3月に退任した。2008年から2009年10月6日まで指揮したエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでも不成功に終わり、ネストル・ゴロシート監督の後任として再びリーベル監督に就任した[4]。2011年にはパラグアイのセロ・ポルテーニョで監督を務め、2012年にはAAアルヘンティノス・ジュニアーズ監督に就任した。

タイトル 編集

選手時代 編集

CAリーベル・プレート
アルゼンチン代表
個人
  • 南米年間ベストイレブン : 1991, 1997

指導者時代 編集

CAリーベル・プレート

脚注 編集

  1. ^ トヨタカップ大会 1996 パンフレット リバープレート P.27
  2. ^ River Plate Statistics CAリーベル・プレート公式サイト
  3. ^ Argentina record international playersRSSSF
  4. ^ Astrada takes charge of River for second timeESPN Soccernet

外部リンク 編集