ロベール1世 (フランドル伯)
ロベール1世(フランス語:Robert Ier, 1031年頃 - 1093年10月)は、フランドル伯(在位:1071年 - 1093年)。「フリース人伯(フリゾン、le Frison)」と呼ばれる。フランドル伯ボードゥアン5世とその妻であったフランス王ロベール2世の王女アデル・ド・フランスの次男。
ロベール1世 Robert I | |
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フランドル伯 | |
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在位 | 1071年 - 1093年 |
出生 |
1031年頃 |
死去 |
1093年10月 |
配偶者 | ゲルトルート・フォン・ザクセン |
子女 | 一覧参照 |
家名 | フランドル家 |
父親 | フランドル伯ボードゥアン5世 |
母親 | アデル・ド・フランス |
生涯編集
ロベールはフランドルの北の国境を安全にするため、1063年にホラント伯フロリス1世の未亡人ゲルトルート(ザクセン公ベルンハルト2世の公女、ビルング家)と結婚した。その後、1071年に甥のアルヌルフ3世が戦死し、アルヌルフ3世に弟ボードゥアンがいたにも関わらず、フランドル伯位を簒奪した[1]。1072年には妻ゲルトルートと先夫フロリス1世との間の娘ベルト・ド・オランドを自分の従弟に当たるフランス王フィリップ1世と結婚させた。
しかし、1092年にフィリップ1世は一方的に王妃ベルトを棄てる形で離婚し、フランドルとフランスとの関係が悪化、以後ロベール1世はイングランド王ウィリアム2世と接近するようになった[1]。
子女編集
ゲルトルートとの間に、以下の子女をもうけた。
- ロベール2世(1065年頃 - 1111年) - フランドル伯
- アデル(1064年頃 - 1115年) - はじめデンマーク王クヌーズ4世妃、のちプッリャ公ルッジェーロ・ボルサ妃。シャルル1世の母。
- ジェルトリュード(1070年頃 - 1117年) - ルーヴァン伯アンリ3世妃、のちロレーヌ公ティエリー2世妃。ティエリー・ダルザスの母。
- フィリップ
- オジーヴ
- ボードゥアン
脚注編集
参考文献編集
- 朝治啓三 他 編 『中世英仏関係史 1066-1500』 創元社、2012年
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