丁城(よぼろじょう)は、島根県邑智郡美郷町都賀西にあった日本の城。 標高243メートル、比高160メートル。別名、要路城、用路城、養老城、都賀西城。

概要

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南北朝時代に、佐波氏によって築かれたと言われている。築城者については、小笠原氏、高橋氏、毛利氏など諸説ある。

戦国時代には、毛利氏尼子氏の攻防の舞台であった。永禄元年(1558年)に、温湯城城主小笠原長雄が毛利軍に降伏した後、毛利の重臣口羽通良が城主となり、毛利氏の出雲侵攻の軍事拠点となった。

構造

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城の近辺には、江の川の浅瀬があり、それが「要路」という呼称にも繋がっている。

江の川の西岸、光宅寺谷の北東の山に位置し、江の川西岸を川沿いに進むと、「丁城」の看板がある。さらに少し南方の谷から向かって右側の尾根へ登り、真西に主郭が存在する。

山頂には本丸跡とおぼしき削平地が見られ、大規模な城であった。空堀、竪堀などの跡も見られる[1]。南東部に石垣があったらしい。

文禄の役で病没した城主の口羽春良(口羽通良の次男)の墓が、城の南側の寺院、光宅寺にある。

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 観光と旅編集『郷土資料事典32 島根県』p120(人文社)、1998年。

外部リンク

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関連項目

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