三宅村立三宅小学校

東京都三宅村にある小学校

三宅村立三宅小学校(みやけそんりつ みやけしょうがっこう)は、東京都三宅村三宅島)にある公立小学校

三宅村立三宅小学校
小中学校の空中写真(小学校は下)
地図北緯34度07分11.36秒 東経139度30分14.82秒 / 北緯34.1198222度 東経139.5041167度 / 34.1198222; 139.5041167座標: 北緯34度07分11.36秒 東経139度30分14.82秒 / 北緯34.1198222度 東経139.5041167度 / 34.1198222; 139.5041167
過去の名称 三宅村立小学校(雄島噴火による臨時変更)
国公私立の別 公立学校
設置者 三宅村
併合学校 三宅村立神着小学校
三宅村立伊豆小学校
三宅村立伊ヶ谷小学校
三宅村立阿古小学校
三宅村立坪田小学校
設立年月日 1971年9月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B113238100014 ウィキデータを編集
小学校コード 275060[1]
所在地 100-1102
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革

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  • 1971年昭和46年)9月1日 - 神着・伊豆・伊ヶ谷の3小学校を統合し、三宅小学校として開校[2]
  • 1972年(昭和47年)
  • 1973年(昭和48年)2月 - 体育館を落成[3]
  • 1980年(昭和55年)3月 - 特別教室を増築[3]
  • 1987年(昭和62年) - 校舎大規模改修を実施[4]
  • 1992年平成4年)3月 - 体育館を改築[3][4]
  • 2000年(平成12年)
    • 8月 - 雄山噴火による全島避難により、島内3小学校(三宅小・阿古小・坪田小)児童も全員島外避難する[5]
    • 9月 - 都立秋川高校あきる野市)にて、3校合同体制の三宅村立小学校として第2学期がスタート。この時点の在籍児童は138名[5]
  • 2005年(平成17年)4月 - 避難命令解除による島民帰島により、3校(三宅小・阿古小・坪田小)合同体制の「三宅村立小学校」として、島内にて学校が再開[5]
  • 2007年(平成19年)4月 - 阿古小学校と坪田小学校を統合[3]
  • 2013年(平成25年) - 校舎耐震補強を実施[4]
  • 2018年(平成30年) - 校舎大規模改修を実施[4]
  • 2021年令和3年) - 校舎大規模改修を実施[4]

学区

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  • 三宅村全域

進学先の中学校

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周辺

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  • 三宅村立三宅中学校 - 敷地が隣接、かつ進学先中学校。
  • 東京都道212号三宅循環線
  • 東京都島しょ保健所三宅出張所
  • 三宅村活動火山対策避難施設
  • 三宅島ヘリポート
  • 太平洋

アクセス

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  • 三宅村営バス「左回り」便・「右回り」便共、「三宅小中学校前」停留所より、小中学校正門まで、
    • 大久保浜経由前便のりばから、徒歩約30m・約1分。
    • 大久保浜経由後便のりばから、徒歩約100m・約1分。
      • なお、大久保浜経由後便停留所から学校正門まで直線距離は約25mほどと近いが、停留所前に横断歩道が設置されておらず、南側にある都道212号線T字路交差点まで廻る必要があるため、遠廻りとなる。
    • ただし、学校正門から、校舎までは、約100mほど離れている。
  • 三宅村役場から、
    • 車で約7.3km・約14分。
    • 村役場から「阿古」停留所まで徒歩移動し、上述の三宅村営バス「右回り便」に乗車し29分、「三宅小中学校前」停留所下車。
  • 三宅島空港から、
    • 車で約10.8km・約21分。
    • 上述の三宅村営バス(「空港前」停留所)で、「三宅小中学校前」停留所下車。
      • 左回り便で所要時間24分。
      • 右回り便で所要時間53分。

脚注

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  1. ^ 東京都公立学校一覧 (PDF) - 東京都教育委員会
  2. ^ 東京都教育委員会 編『昭和46年度東京都公立学校一覧 昭和46年5月1日現在』東京都教育庁総務部調査課、1971年、67頁。doi:10.11501/12250606 
  3. ^ a b c d e わが村・わが歴史 (PDF) - 東京都三宅村
  4. ^ a b c d e 三宅村公共施設等総合管理計画(平成29年3月策定・令和4年7月改訂 (PDF) - 三宅村
  5. ^ a b c 三宅小学校の概要(学校再開まで) - 三宅村立三宅小学校

関連項目

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外部リンク

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