与謝野礼厳

日本の僧侶・歌人

与謝野 礼厳(よさの れいごん、文政6年9月13日1823年10月16日) - 明治31年(1898年8月17日[1])は、日本僧侶歌人

来歴・人物 編集

文政6年(1823年)、丹後国温江村(現在の与謝野町温江)にて、細見儀右衛門の次男として生まれる[2][3]。幼少時に出家し、与謝野町加悦の浄福寺で修行し、京都西本願寺得度する[2]。生まれの地にちなみ、与謝野姓を名乗るようになる[2]

幕末には勤皇討幕運動に貢献する[2]明治維新後は、療病院や鉱泉場を開設し、および小学校開設の必要性を説いた[1][2]

また歌人としては、1万7100余首もの歌稿を残しており、のちに斎藤茂吉は「明治初期に出た特色のある歌人の一人」として高く評価している[2]

明治31年(1898年)に死去、享年76(満74歳)。大正6年(1917年)、従五位を追贈された[4]

家族・親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 与謝野礼厳とは - コトバンク 2020年10月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 与謝野礼厳 歌碑 江山文庫エリア | 与謝野日々是 与謝野町観光協会 2020年10月22日閲覧。
  3. ^ 本願寺北山別院 親鸞と与謝野礼厳: 京都を歩くアルバム 2020年10月22日閲覧。
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.43

外部リンク 編集