メインメニューを開く

並木 一路(なみき いちろ、1912年5月15日 - 没年不詳)は、昭和・平成期の漫才師俳優[1][2][3]。本名は松村 興優(まつむら こうゆう)。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)出身。

並木 一路
本名 松村 興優(まつむら こうゆう)
生年月日 (1912-05-15) 1912年5月15日
没年月日 没年不詳
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市本郷区
(現在の東京都文京区
言語 日本語
コンビ名 大山キリン・ビール
一路・突破
一路・洋容
活動時期 1930年代 - ?
テンプレートを表示

来歴・人物編集

1912年5月15日東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)に生まれる。

物心がつく前からドサ回り劇団に所属して各地を巡業。旅回わり劇団を転々としたのち1936年栗島すみ子劇団に入り、栗島の父である栗島狭衣に師事[1]。その後、古川隆一名義で浅草の梅沢昇一座、不二祥子一座などの剣劇の舞台に立つ。

1938年、漫才に転向し、大山キリン名義で栗島劇団にいた仲間と大山キリン・ビールを結成し、兵隊漫才で活躍する。1940年並木一路と改名して内海突破とコンビを結成[1]してヒットし、「西にエンタツ・アチャコあり、東に一路・突破あり」とうたわれた。芸名は「敵陣を一路突破する」に由来している。1941年、コンビで東宝演劇部の専属俳優となる。1944年、入隊し朝鮮龍山で終戦を迎えた。

戦後はラジオ映画を中心にコンビで人気を持続するが、1949年3月、内海がNHKラジオ陽気な喫茶店』に出演したのをきっかけでコンビ解消。1950年宮田洋容とコンビを結成して、人気を博す。しかし1954年以降は単独で司会者や漫談家として活躍[1]1965年、内海と再びコンビを復活させたが長くは続かなかった。

その後再びコンビを結成することなく、内海は1968年6月8日に53歳で死去。一方、一路は平成まで司会者や漫談家として活躍していた[3]というが、以後の消息は不明である。存命であれば100歳を超える。没年不詳

出演作品編集

  • 聲入り豪華船 1947年
  • 素晴らしき日曜日 1947年
  • 見たり聞いたりためしたり 1947年
  • 狙われた女 1948年
  • 殿様ホテル 1948年
  • びっくり五人男 1949年
  • おどろき一家 1949年
  • 戦後派親爺 1950年
  • 笑えば天国の巻 1950年
  • バナナ娘 1950年
  • アマカラ珍道中 1950年
  • おやおや人生 1951年
  • 大当たりパチンコ娘 1952年
  • 家庭の事情 おこんばんわの巻 1954年
  • 初笑い寛永御前試合 1954年
  • 魚河岸の石松 大阪罷り通る 1954年
  • 花祭底抜け千一夜 1954年
  • 家庭の事情 ネチョリンコンの巻 1954年
  • 怪猫腰抜け騒動 1954年
  • へそくり社員敢闘す 1954年
  • ドライ夫人と亭主関白 1957年
  • 新妻の実力行使 1957年
  • 将軍家光と天下の彦左 1957年
  • 金語楼の成金王 1958年
  • 坊ちゃん天国 1958年
  • 坊ぼん罷り通る 1958年
  • 裸の大将 1958年
  • カックン超特急 1959年
  • 金語楼の三等兵 1959年
  • 戦場のなでしこ 1959年
  • ワンマン今昔物語 1959年
  • 十代の曲り角 1959年
  • 美男買います 1960年
  • 若社長と爆発娘 1960年
  • 三人の女強盗 1960年
  • 爆発娘罷り通る 1960年
  • 反逆児 1960年
  • 凹凸珍道中 1960年
  • 誰よりも金を愛す 1961年
  • アワモリ君売出す 1961年
  • 覗かれた個室 1964年
  • 君も出世ができる 1964年

弟子編集

脚注編集

  1. ^ a b c d 『日本映画人名事典 男優篇 下巻』キネマ旬報社、1996年。
  2. ^ KINENOTE「並木一路」の項
  3. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典「並木一路」の項

外部リンク編集