中後淳
日本の政治家
中後 淳(ちゅうご あつし、1970年1月12日 - )は、日本の政治家。
中後 淳 ちゅうご あつし | |
---|---|
生年月日 | 1970年1月12日(54歳) |
出生地 | 日本 千葉県富津市 |
出身校 |
東京大学工学部卒業 東京大学大学院工学系研究科修了 |
前職 | 新日本製鐵従業員 |
所属政党 |
(無所属→) (民主党→) (新党きづな→) (国民の生活が第一→) 日本未来の党 |
称号 | 修士(工学) |
選挙区 | 比例南関東ブロック(千葉12区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年 - 2012年11月16日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2000年 - 2008年 |
来歴
編集千葉県富津市生まれ。千葉県立木更津高等学校、東京大学工学部卒業。東京大学大学院工学系研究科産業機械工学専攻修士課程修了。1995年、新日本製鐵(現・日本製鉄)に入社。
2000年、富津市議会議員選挙に出馬し、初当選。2004年に再選。市議時代は自民党系の会派に所属[1]。2009年、第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で千葉12区から出馬。選挙区では、現職の防衛大臣であった浜田靖一に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、当選した。
2010年9月の民主党代表選挙では、現職の菅直人ではなく、小沢一郎に投票した(小沢は菅に敗北)。なお、2009年7月に小沢の資金管理団体である「陸山会」から500万円の寄付を受けている[2]。
2011年12月28日、野田内閣の消費増税路線に反発し、内山晃らとともに、民主党幹事長代行(当時)の樽床伸二に離党届を提出した[3][4][5][6][7](民主党は2012年2月7日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とすることを決定した[8])。2012年1月5日には内山らと共に『新党きづな』を結成し、党幹事長代理に就任した[9]。同年11月、国民の生活が第一に合流した。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で千葉12区から出馬するも、比例復活もならず落選した。
所属していた団体・議員連盟
編集脚注
編集- ^ “主な候補者はこんな人 千葉6区・9区・10区・12区・13区”. 朝日新聞 (2009年8月21日). 2018年10月24日閲覧。
- ^ YOMIURI ONLINE:民主6衆院議員陸山会から寄付
- ^ “野田政権に大打撃 民主、若手9人が離党届を提出”. 産経新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党:内山晃衆院議員ら9人が離党届提出”. 毎日新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2012年1月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党議員9人 離党届提出”. NHK. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主若手が集団離党=内山氏ら9人、消費増税に反発”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2011年12月28日). オリジナルの2011年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主9議員が離党届提出 8人が小沢グループ所属”. 朝日新聞. (2011年12月28日). オリジナルの2012年1月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “離党10人を除籍=民主”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2012年2月7日). オリジナルの2012年2月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 新党きづな:結党届け出 内山代表「野党」を強調 毎日新聞 2012年1月5日閲覧
外部リンク
編集- 中後淳 (@chugo_atsushi) - X(旧Twitter)