浜田靖一

日本の政治家 (1955-)

浜田 靖一(はまだ やすかず、1955年昭和30年〉10月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、自由民主党国会対策委員長(第59代)、衆議院情報監視審査会長、自由民主党選挙対策委員長代行。

浜田 靖一
はまだ やすかず
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1955-10-21) 1955年10月21日(68歳)
出生地 日本の旗 日本 千葉県富津市
出身校 専修大学経営学部
前職 渡辺美智雄大蔵大臣秘書官
浜田幸一衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党旧渡辺派→無派閥)
称号 経営学士
親族 父・浜田幸一
公式サイト 浜田やすかずホームページ

日本の旗 第6・24代 防衛大臣
内閣 麻生内閣
第2次岸田第1次改造内閣
在任期間 2008年9月24日 - 2009年9月16日
2022年8月10日 - 2023年9月13日

選挙区旧千葉3区→)
千葉12区→)
比例南関東ブロック→)
千葉12区
当選回数 10回
在任期間 1993年7月18日 - 現職

その他の職歴
第53・59代 自由民主党国会対策委員長
総裁:安倍晋三岸田文雄
2012年9月 - 2012年12月
2023年12月22日 - 現職)
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防衛大臣(第624代)、防衛庁副長官第1次小泉第1次改造内閣)、防衛政務次官小渕内閣)、衆議院予算委員長、同安全保障委員長、同国家基本政策委員長自由民主党国会対策委員長(第53代)、自由民主党千葉県連会長、自由民主党水産総合調査会長を歴任した。

父親は元衆議院議員の浜田幸一[1]

来歴・人物 編集

千葉県富津市生まれ。千葉県立木更津高等学校卒業後、米国ヒルズデールカレッジ(en:Hillsdale College)に留学、その後専修大学経営学部経営学科を卒業。大学卒業後は父・浜田幸一が親しかった渡辺美智雄の事務所に就職、1980年(昭和55年)、鈴木善幸内閣で渡辺が大蔵大臣に就任した際は、秘書官を務めた。1984年(昭和59年)からは父の秘書を務めた。

1993年(平成5年)父の引退に伴い、第40回衆議院議員総選挙旧千葉3区から自由民主党公認で出馬し、初当選(当選同期に安倍晋三田中眞紀子熊代昭彦岸田文雄塩崎恭久野田聖子山岡賢次江崎鉄磨高市早苗など)。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には千葉12区から出馬し、再選。千葉12区は中村正三郎法務大臣地盤でもあったことから、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙ではコスタリカ方式により中村が千葉12区から出馬し、浜田は比例南関東ブロックで3選。1998年(平成10年)、小渕内閣防衛政務次官に就任。

2003年(平成15年)に発足した第1次小泉第1次改造内閣で、石破茂防衛庁長官の下で防衛庁副長官を務める。同年の第43回衆議院議員総選挙では再び千葉12区から出馬し、民主党青木愛を3万票超の差で下した(青木は比例復活)。2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙は本来ならば中村が千葉12区、浜田が比例で出馬するはずだったが、中村は小泉純一郎首相が推進する郵政民営化法案の採決に体調不良を理由に欠席したため党からの公認が得られない可能性が高まり、総選挙の直前に不出馬・引退を表明。そのため浜田が千葉12区から出馬し、青木に比例復活すら許さず大勝した。同年、自民党千葉県連会長に就任。

2008年(平成20年)、麻生内閣防衛大臣に任命され初入閣し、父が過去の経歴や、その口の悪さのために父が議員在任中に成し遂げなかった国務大臣就任を果たした。同年10月、「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」と主張する論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長を、「政府見解とは異なる意見である」という理由で更迭した。翌2009年(平成21年)4月5日北朝鮮によるミサイル発射実験が発生。これに先立ち、3月に北朝鮮が「人工衛星」と称して長距離弾道ミサイルを発射した場合、「わが国の領土の上を飛ぶようなものを打ち上げるのは極めて不愉快だし、あってはならない。もしもの場合を考えれば対処するのは当然だ」と発言し、破壊措置命令を発令する考えを表明した。在任中に海賊対処法を成立させた。

同年8月の第45回衆議院議員総選挙では千葉12区で6選したが、民主党の中後淳に比例復活を許した[注釈 1]。翌9月、麻生内閣総辞職により防衛大臣を退任。

2011年(平成23年)10月、谷垣禎一総裁の下、国会対策委員長代理に就任(国会対策委員長は自身と当選同期の岸田文雄)。2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙では、同じ防衛大臣経験者の石破茂を支持したが、石破は浜田と当選同期の安倍晋三に敗れた。総裁選後、安倍総裁の下、国会対策委員長代理から昇格する形で自由民主党国会対策委員長に就任した。同年12月、自民党幹事長代理に就任。2013年(平成25年)1月31日無派閥連絡会の初会合に参加した。

2021年(令和3年)5月、千葉県知事選挙大敗により自民党千葉県連会長を引責辞任した渡辺博道衆議院議員の後を受け2度目の県連会長就任[2]

2022年(令和4年)8月10日、7月の安倍晋三元首相銃撃事件の発端となった旧統一教会に関わる議員の排除を目的として、9月上旬に予定されていた内閣改造が前倒しとなり、第2次岸田第1次改造内閣が発足。それに伴い、防衛大臣に再就任[3][4]

2023年6月、防衛大臣との兼務による多忙を理由に県連会長を退任(後任は櫻田義孝衆議院議員)[5]。同年9月の内閣改造で防衛大臣を退任。同年12月22日、自民党5派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題国会対策委員長を辞職した高木毅の後任として、国会対策委員長に再就任[6]。約11年ぶりの再就任である上、かつて国会対策委員長代理として支えた岸田文雄から指名される形となった。

ギャラリー 編集

政策 編集

  • 憲法改正集団的自衛権の行使に賛成。
  • アベノミクスを評価する。
  • 原発は日本に必要。
  • ヘイトスピーチの法規制に賛成。
  • 首相靖国神社参拝は問題ない[7]
  • 村山談話については見直すべきではないとする一方、河野談話については見直すべきとしている[7]
  • 選択的夫婦別姓制度については、2001年(平成13年)時点では賛成[8]としていたが、2014年(平成26年)の調査では、「どちらとも言えない」としていた[9]。2021年(令和3年)3月に自民党有志で設立した「選択的夫婦別姓の早期実現を目指す議員連盟」では野田聖子岸田文雄などと共に発起人となり、自身が会長に就任した[10][11]
  • 「消費税0%の検討」を掲げた『国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言』に賛同している[12]

エピソード 編集

選挙歴 編集

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第40回衆議院議員総選挙 1993年7月18日 37 旧千葉3区 自由民主党 8万2039票 19.46% 5 2/7 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 40 千葉12区 自由民主党 10万2570票 54.04% 1 1/3 /
第42回衆議院議員総選挙 2000年6月25日 44 比例南関東 自由民主党 21 / 1/6
第43回衆議院議員総選挙 2003年11月9日 48 千葉12区 自由民主党 11万5708票 53.93% 1 1/3 /
第44回衆議院議員総選挙 2005年9月11日 49 千葉12区 自由民主党 14万3780票 57.62% 1 1/3 /
第45回衆議院議員総選挙 2009年8月30日 53 千葉12区 自由民主党 13万4298票 53.10% 1 1/3 /
第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 57 千葉12区 自由民主党 13万9935票 65.18% 1 1/3 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 59 千葉12区 自由民主党 13万4037票 74.29% 1 1/2 /
第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 62 千葉12区 自由民主党 12万75票 63.35% 1 1/4 /
第49回衆議院議員総選挙 2021年10月31日 66 千葉12区 自由民主党 12万3210票 64.01% 1 1/3 /

不祥事 編集

  • 2009年(平成21年)1月、浜田の資金管理団体「至幸会」において私設秘書5人が労働保険に未加入だった[16]。浜田の事務所では「認識が甘かった」と謝罪し、2008年(平成20年)12月に労働保険に加入し2006年度(平成18年度)分まで遡及して支払った[16]
  • 2023年(令和5年)3月、浜田は山梨県の寺院で開かれた知人の出家祝いに出席。集合写真を撮影した際、反社会勢力の元メンバーが含まれていた。このことについて、同年9月8日の記者会見にて記者から質問された際に「写真を撮影したのは事実だ」と認めた。その上で「そのような方が参加していたとは知り得ず面識もない。瑕疵(かし)はないと思うが、指摘を受けたことは反省しないといけない」と述べた[17]

所属団体・議員連盟 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中後は2012年、民主党を離党し新党きづなの結党に参加。

出典 編集

  1. ^ 浜田幸一元衆院議員が死去 政界の暴れん坊「ハマコー」”. 日本経済新聞 (2012年8月5日). 2021年3月25日閲覧。
  2. ^ “自民千葉県連、幹事長ら留任 知事選大敗後、新体制スタート”. 産経新聞. (2021年5月22日). https://www.sankei.com/politics/news/210522/plt2105220005-n1.html 2022年8月9日閲覧。 
  3. ^ “自防衛費「青天井」避けたい首相の真意 浜田防衛相再登板”. 産経新聞. (2022年8月10日). https://www.sankei.com/article/20220810-RELTZO4BSVN5PHRKWYFSZD74CU/ 2023年5月1日閲覧。 
  4. ^ 第2次岸田改造内閣 閣僚等名簿 浜田靖一”. 内閣府. 2023年5月1日閲覧。
  5. ^ https://www.facebook.com/mainichishimbun.+“桜田氏が再登板へ 自民県連の次期会長 /千葉”. 毎日新聞. 2023年6月14日閲覧。
  6. ^ 中山知子. “自民党が渡海政調会長&浜田国対委員長の人事を総務会で了承 安倍派の萩生田氏、高木氏は辞任 - 社会 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年12月22日閲覧。
  7. ^ a b 毎日新聞 2014年衆院選 アンケート
  8. ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
  9. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
  10. ^ 「選択的別姓」実現目指し自民有志が議連”. 産経新聞 (2021年3月19日). 2021年3月25日閲覧。
  11. ^ 日本テレビ (2021年3月25日). ““選択的夫婦別姓”実現へ 自民党内に議連”. 日テレNEWS24. 2021年3月25日閲覧。
  12. ^ 賛同者一覧 国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言”. 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会. 2020年9月24日閲覧。
  13. ^ 朝日新聞2009年8月12日朝刊
  14. ^ 「国会議員三ツ星データブック」、186国会版 国会議員三ツ星データブック、特定非営利法人「万年野党」著。ISBN 978-4905239239
  15. ^ 野田氏の側近、石破氏の不出馬で「潮目が変わった」”. 読売新聞オンライン (2021年9月17日). 2023年2月28日閲覧。
  16. ^ a b 稲垣衆史・秋山信一・中村かさね「労働保険:5閣僚事務所が未加入――強制知らず秘書分など」『労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など - 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2009年1月26日
  17. ^ “浜田靖一防衛相、元反社会勢力メンバーとの同席写真に「反省」”. 毎日新聞. (2023年9月8日). https://mainichi.jp/articles/20230908/k00/00m/010/092000c 2023年9月8日閲覧。 
  18. ^ a b c 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  19. ^ カギ握る無派閥議員 菅義偉氏は着々と若手囲い込み 石破茂氏は「別動隊」に期待も… 進次郎氏の動向も焦点”. 産経新聞 (2018年7月16日). 2021年8月24日閲覧。
  20. ^ “自民、夫婦別姓議論盛ん”. 毎日新聞. (2021年3月26日) 

外部リンク 編集

公職
先代
林芳正
岸信夫
  防衛大臣
第6代:2008年 - 2009年
第24代:2022年 - 2023年
次代
北澤俊美
木原稔
先代
赤城徳彦
  防衛庁副長官
2003年 - 2004年
次代
今津寛
先代
栗原裕康
  防衛政務次官
1998年 - 1999年
次代
依田智治
西川太一郎
議会
先代
小野寺五典
  衆議院情報監視審査会会長
2023年 -
次代
現職
先代
川崎二郎
  衆議院政治倫理の確立及び
公職選挙法改正に関する特別委員長

2021年 - 2022年
次代
平口洋
先代
額賀福志郎
  衆議院情報監視審査会会長
2018年 - 2020年
次代
松野博一
先代
竹下亘
  衆議院予算委員長
2016年 - 2017年
次代
河村建夫
先代
逢沢一郎
森英介
  衆議院国家基本政策委員長
2016年
2020年 - 2021年
次代
棚橋泰文
渡海紀三朗
先代
設置
  衆議院我が国及び国際社会の
平和安全法制に関する特別委員長

2015年
次代
廃止
先代
小林興起
  衆議院安全保障委員長
2005年 - 2006年
次代
木村太郎
党職
先代
岸田文雄
高木毅
自由民主党国会対策委員長
第53代:2012年
第58代:2023年 -
次代
鴨下一郎
現職
先代
小此木八郎
自由民主党青年局長
第34代:1999年 - 2000年
次代
下村博文