中韓国交正常化

1992年の出来事

中韓国交正常化(ちゅうかんこっこうせいじょうか)とは、1992年8月24日に、「外交関係樹立に関する共同声明」を発表して、中華人民共和国大韓民国が国交を結んだことである。中国では中韓建交(中韩建交)、韓国では韓中修交(한중수교)と呼ぶ。

概要編集

社会主義国の中国と、反共が国是の韓国は、朝鮮戦争で実際に戦火を交えたこともあり互いに敵対、断絶状態にあった。1970年代後半に中国で文化大革命が終わり改革開放に取り組む一方、韓国では社会主義諸国との関係改善を目指す北方外交を進め、中韓両国の関係が改善、往来も活発になり始める。

1988年ソウルオリンピックに中国は選手団を派遣。1991年1月、中韓両国は貿易事務所の相互設置を認めるなど交流を進め、1992年8月24日 中国の銭其琛外交部長と、韓国の李相玉(イサンオク、이상옥)外務大臣が、北京の迎賓館で、中韓相互友好協力関係に合意した。「外交関係樹立に関する共同声明」では、相互不可侵、相互内政不干渉、中国の唯一合法政府として中華人民共和国を承認、朝鮮半島統一問題の自主的解決原則などをうたっている[1]

中国は韓国からの投資拡大を見込み、韓国には中国市場に進出する利点があった。[2]

国交正常化交渉で、韓国政府は、中国側に謝罪するように求めたが、中国政府は、「中国人民志願軍の参戦は、国境線と主権が侵されそうな状況で起きた自衛行為であり、侵略行為ではなかった」「中国の参戦による人的、物的被害は遺憾であるが、謝罪はできない」と受け入れず。[3] 呉建民・中国外交部スポークスマンは、国交樹立後の記者会見で、韓国に謝罪したかどうか聞かれ、「全く根拠のない話だ」と反発。一方、韓国側は、記者団に配布した資料で、中国側が「遺憾」を表明したと明らかにした。[要出典]

韓国では、朝鮮戦争参戦に対する謝罪をしなかったとの理由で、国交正常化に反対する世論もあった。[要出典]

韓国は、中朝友好協力相互援助条約の破棄を中国側に求めるも、中国は受け入れられなかった。[要出典]

中韓関係の沿革編集

  • 1983年5月5日 中国民航機韓国着陸事件が発生。中国民航は韓国の米軍基地に緊急着陸。この事件に関する交渉を契機として中国は「南朝鮮」の呼称を「大韓民国(韓国)」に改める
  • 1983年6月 韓国の李範錫外務部長官が、国防大学院における特別講義で、「北方政策」という呼称をはじめて用いる。[4]
  • 1983年10月9日、北朝鮮がビルマで起こした爆弾テロ「ラングーン事件」で、人民日報はビルマ政府と北朝鮮の意見を同列に掲載し、北朝鮮との距離を見せる
  • 1984年3月23日 中国は離散家族再会のための韓国人の訪中を認める
  • 1984年4月19日 ソウルのアジア・ジュニア・バスケットボール大会で中国の国歌が演奏される
  • 1986年9月20日〜10月5日 ソウルで開かれたアジア競技大会に中国は大選手団を派遣
  • 1987年11月3日 趙紫陽首相は、韓国単独開催でもソウルオリンピックに参加すると明言
  • 1987年11月28日 盧泰愚は、大統領候補としての選挙演説で、「中国との国交正常化に努力する」と公約[4]
  • 1988年7月7日 盧泰愚大統領は、「民族自尊と統一繁栄のための特別宣言」(7.7宣言)で、南北関係改善と、社会主義圏との関係改善に意欲を表明
  • 1988年9月17日~10月2日 ソウルオリンピックに中国が選手団を派遣
  • 1990年9月22日~10月7日、北京で開催されたアジア大会に韓国企業が最大のスポンサーとして進出する
  • 1990年9月、韓国の仁川港から山東省威海へのカーフェリーが就航する
  • 1990年10月 中韓両国は貿易事務所の相互設置で合意
  • 1991年1月 駐北京韓国貿易代表部が業務を開始
  • 1991年4月 駐韓国中国貿易代表部が業務を開始
  • 1991年9月 南北の国連同時加盟
  • 1991年10月2日 中国の銭其琛外交部長と、韓国の李相玉外務大臣が、ニューヨーク国連本部内で会談。初の中韓外相会談となる。
  • 1991年11月 APECに出席するため、中国の外交部長としては初めて銭其琛外交部長が訪韓
  • 1991年12月31日  南北非核化共同宣言に合意
  • 1992年1月、新華社は、台湾が、ソウルの大使館を華僑に売却しようとしていると報道
  • 1992年4月13日 中国と韓国は国交正常化交渉を行うことで合意する。盧泰愚大統領は、任期切れとなる1993年2月を前に中国との国交正常化と訪中を実現させるため、交渉を急がせる[5]
  • 1992年4月 楊尚昆国家主席が訪朝。中国が韓国との国交樹立を考慮していることを金日成に伝える。金日成は再考するよう求める
  • 1992年5月 中韓投資保護協定に調印
  • 1992年5月13日~15日 第1回国交正常化交渉(北京
  • 1992年6月2日~3日 第2回国交正常化交渉(北京
  • 1992年6月20日~21日 第3回国交正常化交渉(ソウル
  • 1992年7月15日 銭其琛外交部長が代表団を率いて訪朝。中韓国交正常化への理解を求める江沢民のメッセージを金日成に伝える[6]
中国が韓国と外交関係を樹立する上での難点は、双方の関係にあるのではなく、中国と(北)朝鮮の関係にあった。つまり、中国との伝統的な友誼関係にある(北)朝鮮に、この種の外交政策の調整をどのようにして徐々にわからせ、受け入れさせるかにあったのだ。 — 銭其琛、銭其琛回顧録
  • 1992年7月29日 第4回国交正常化交渉(北京)で、中韓両国は国交正常化に基本的に合意
  • 1992年8月18日 韓国外相が台湾の金樹基大使に、「8月21日に韓中が国交を正常化し、中華民国と断交する」と伝達
  • 1992年8月19日 台湾のマスコミは、中韓国交正常化の正式発表が近く行われる模様と報道
  • 1992年8月21日の午後5時、韓国が台湾に断交を通告する[7]
中国と修交交渉を終える過程で台湾はおろそかにした。台湾との断交が避けられなくても格式を整えて台湾が憤激しないように説明すべきだった。ところが韓中修交を3日後に控えた92年8月21日に事前予告もなく在韓中華民国大使館に「24時間以内の出国」を通知し、台湾の所有だった大使館と資産を差し押さえて中国に譲渡した。韓国は台湾に配慮できず、台湾は韓国に裏切りと憤怒を感じて外交関係を整理した。 — 朴哲彦元政務長官、<韓中修交30年>北方政策設計者の朴哲彦氏「核再配備カードで中国と北核談判しなければ」
  • 1992年8月22日 中韓政府は国交樹立を正式に発表する
  • 1992年8月22日 銭復・台湾外交部長が韓国との断交を発表。ソウルの中華民国(台湾)大使館で会見した金樹基大使は韓国を激しく非難する。
韓国と中国との国交樹立交渉過程をわれわれは全く知らなかった。われわれはかれらがいつ開始したのかも知らない。この点にわれわれは強い不満を覚える。銭部長が立法委員に強調したように、ほかの国と比べて大いに差があり、日本やアメリカとは比較にならない。これは友人を遇する態度ではない — 章孝源台湾外交部政務次長
台湾もいつか近づくものと覚悟していたのは事実だ。しかし兄弟国と変わらなかった韓国は中国と修交しても台湾を最大限に尊重して配慮するものと信じていたのも事実だ。修交交渉に入るまでは台湾との関係についてそれなりに努力したが、実際に修交交渉が妥結して通知する瞬間は他国よりも台湾の怒りを招いた。断交自体より断交前後に見せた韓国の態度と言動が台湾の国格と尊厳を侵害したと考えたのだ — 曺喜庸元駐カナダ大使、【コラム】「相手を尊重する時、国格が上がる」=韓国
  • 1992年8月24日 北京を訪れた韓国の李相玉外相と中国の銭其琛外相との間で共同声明が調印される。
  • 1992年8月25日 北朝鮮は、丹東図們からの中国人観光客の受入れを中止
  • 1992年8月27日 朝鮮日報は、中国側の謝罪を得られなかった政府を批判[要出典]
  • 1992年9月3日 駐北京初代大使に内定した盧載源・駐北京貿易代表部代表は、「国交正常化交渉で、中国は、6.25参戦に対する謝罪する意思はないことを明らかにした」「政府は、韓中両国の未来志向的関係のために、6.25参戦に対する中国の謝罪を、これ以上は求めない方針」と述べる[3][8]
  • 1992年9月15日 台湾・韓国間のすべての直航便が停止となる。復元のための航空交渉が進行される期間中、韓国の外交官が帰途に刃物で刺されて重傷を負う事件が発生。空便の就航禁止が解決するまでには12年かかった[6]
  • 1992年9月27日~30日 盧泰愚大統領が、韓国の大統領として初めて訪中する
  • 1992年10月9日 張延庭駐韓中国大使は記者会見で、「中国政府は朝鮮戦争に関連して、謝罪はもちろん遺憾の意を表明したことはないし、今後もそのような必要はないと考える」と発言する。[9] これに対して韓国・中央日報は「傲慢な中国大使」と報道[要出典]
  • 1993年5月 韓国仁川から山東省青島へのカーフェリーが就航する
  • 2001年6月 中韓漁業協定が発効
  • 2007年末 中国、韓国の最大の輸入相手国になる
  • 2015年12月 中韓自由貿易協定(FTA)発効

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 한중수교”. 한국학중앙연구원. 2022年8月6日閲覧。
  2. ^ 中韓国交30年 蜜月から緊張はらんだ関係に”. 読売新聞. 2022年8月27日閲覧。
  3. ^ a b 중국 대사, 6.25 참전 사과 필요없어[김지은]”. MBC. 2022年8月6日閲覧。
  4. ^ a b 石崎菜生 (1993). “韓国の北方外交-中韓国交正常化を中心に-”. 冷戦後の北東アジア : 新たな相互関係の模索 439: 41-80. 
  5. ^ 日本から20年遅れて国交正常化 中国と韓国、天安門事件後の「同床異夢」”. 朝日新聞. 2022年8月6日閲覧。
  6. ^ a b 【コラム】「相手を尊重する時、国格が上がる」=韓国(2)”. 中央日報. 2022年8月27日閲覧。
  7. ^ 【コラム】「相手を尊重する時、国格が上がる」=韓国(1)”. 中央日報. 2022年8月27日閲覧。
  8. ^ 노재원 주중대사대리 "중국 6.25참전 사과안했다"”. 매일경제. 2022年8月6日閲覧。
  9. ^ “한·중 항공협정 곧 체결/6·25참전 유감표시 없었다””. 서울신문. 2022年8月27日閲覧。