1988年ソウルオリンピック
1988年ソウルオリンピック(1988ねんソウルオリンピック)は、1988年9月17日から10月2日までの16日間にわたって韓国の首都ソウルで開催されたオリンピック競技大会。一般的にソウルオリンピックと呼称された。
1988年ソウルオリンピック | |
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第24回オリンピック競技大会 Jeux de la XXIVe olympiade Games of the XXIV Olympiad 제24회 하계 올림픽 경기 대회 | |
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開催都市 |
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参加国・地域数 | 159 |
参加人数 | 8,391人(男子6,197人、女子2,194人) |
競技種目数 | 23競技237種目 |
開会式 | 1988年9月17日 |
閉会式 | 1988年10月2日 |
開会宣言 | 韓国大統領 盧泰愚 |
選手宣誓 | 許載、孫米娜 |
審判宣誓 | 李学来 |
最終聖火ランナー | 林春愛、鄭善萬、金元卓、孫美廷、孫基禎 |
主競技場 | 蚕室総合運動場 |
夏季 | |
冬季 | |
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概要編集
第二次世界大戦後に建国された新興国で初めて開催されたオリンピックであり、1964年東京オリンピックに続きアジアにおける2度目の夏季オリンピックである。朝鮮戦争で荒廃し、北朝鮮との分裂国家となった韓国が、経済的に復興した象徴的な出来事として捉えられた。韓国では開催年にちなんで88(パルパル)オリンピックとも呼ばれた。
前回の1984年ロサンゼルスオリンピックでは社会主義諸国(東側諸国)が、前々回のモスクワオリンピックでは自由主義諸国(西側諸国)がボイコットしたので、ソウルオリンピックは12年ぶりに、アメリカとソ連の二大国が揃った白熱した試合となり、その後の冷戦終結とソ連解体によって、この大会はソ連とほとんどの東側諸国にとって最後の参加となった。モスクワ・ロサンゼルス両方をボイコットしたイランも12年ぶりに参加し、1976年モントリオールオリンピックでは南アフリカの参加を巡って多くのアフリカ諸国や中華人民共和国も中華民国(台湾)の参加を巡ってボイコットしていたため、ほぼ全世界の国と地域が参加したオリンピックとしては、1972年ミュンヘンオリンピック以来16年ぶりとなった。ソウルオリンピックに参加しなかったのは、北朝鮮、キューバ、アルバニア、セーシェル、エチオピア、ニカラグア、マダガスカルの7ヶ国のみである[1]。
ソウルオリンピックの2年前には、1986年アジア競技大会がプレ大会として開催された。
開催地選考編集
ソウルオリンピックの開催は1981年9月30日、西ドイツのバーデン=バーデンで開かれた第84次国際オリンピック委員会総会で決定された。日本の名古屋市も開催を求めて立候補し、当初は優勢との見方が強かったが27対52でソウルに敗れた。名古屋市の招致活動については名古屋オリンピック構想も参考のこと。
都市 | 国 | 第1ラウンド |
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ソウル | 韓国 | 52 |
名古屋 | 日本 | 27 |
北朝鮮との共同開催案編集
1984年ごろからは、ソウルオリンピックを北朝鮮の平壌市との共同開催(共催)とする提案が相次いだ。前2回の夏季オリンピックは東西両陣営のボイコット合戦となったことや韓国が開催した1986年アジア競技大会で社会主義諸国10カ国がボイコットしたことから、自由主義陣営に属したために社会主義諸国との国交が無かった韓国で開催された1988年ソウルオリンピックでも、社会主義諸国がボイコットする可能性が懸念された。そのため、韓国と北朝鮮がオリンピックを共催すれば、社会主義諸国が参加しやすくなるとの発想が生まれた。1985~87年には、韓国、北朝鮮、IOCによる協議で、共催のための具体案が検討された。
しかし、1983年に北朝鮮は、韓国の全斗煥大統領暗殺を目的にビルマでラングーン事件を発生させており、南北間の相互不信は大きかった。北朝鮮に配分する競技の数について議論は二転三転した。北朝鮮側は、開・閉会式は、ソウルと平壌で別々に実施し、組織委員会を別々に組織する案を主張した。これに対して、韓国やIOCは、オリンピックの開催権は、オリンピック憲章の規定によりソウルに与えられたことを理由に難色を示し、共催交渉は決裂した[2][3][4]。
1987年11月28日に発生した大韓航空機爆破事件は、ソウルオリンピックの韓国単独開催を妨害することを目的とした、北朝鮮工作員の犯行だった。結果的に、ソウルオリンピックには1986年のアジア競技大会と同様に北朝鮮選手団は参加しなかったが、アジア競技大会をボイコットしていた他の9カ国などほとんどの社会主義諸国は参加した。
2019年3月31日、当時の機密扱いだった外交文書が公開され、IOC会長のフアン・アントニオ・サマランチが、北朝鮮が受け入れないと予想した上で、東側諸国に大会参加の口実を与えるために、北朝鮮に南北分散開催について提案したことが改めて確認された[5]。
大会マスコット編集
- ホドリ(虎の子がモチーフ:男の子)
- ホスニ(同:女の子)
ちなみに、こぐまのミーシャや、イーグルサムと同様に、ホドリにも『走れホドリ』というテレビアニメが存在し、韓国で製作され、文化放送(MBC)の系列で放送された。ただし、前述の2番組と異なり、平日の10分枠であった。
公式主題歌(テーマソング)編集
ハイライト編集
テニスと卓球が正式競技として採用され、特にテニスは1924年パリオリンピック以来64年ぶりの復活となった。女子柔道、野球、テコンドーが公開競技としてオリンピックで開催された。女子柔道とテコンドーは初開催、野球は1984年ロサンゼルスオリンピックに続いて2度目の開催。また、女子柔道、野球はバルセロナオリンピック、テコンドーはシドニーオリンピックから正式種目となる。
その後の東ヨーロッパにおける政治変動のため、ソ連および東ドイツが参加した最後のオリンピックとなった[8]。
また、ドーピング問題に本格的に注目の集まった初の大会ともいえる。
テレビ放映権の影響編集
陸上競技の男子100m決勝は、9月24日の午後1時30分に設定された。1987~88年の韓国ではサマータイムが採用されていたから、実質的には午後0時30分である。これは、視聴率が見込めるアメリカのプライムタイムに決勝を合わせるための措置であり、この大会から同国内における夏季オリンピックの独占放映権を獲得した同国のテレビ局NBCが多額の放映権料を支払う見返りだった[9][10]。その後のオリンピックでも、アメリカとの時差を考慮した競技時間の設定は、たびたび起きている。
名残編集
現在は、ソウルオリンピック主競技場が残るほかソウル交通公社4号線東大門歴史文化公園駅のプラットホームでは当時の壁画を見ることができる。また、松坡区の選手村のあった地区は、大会翌年の1989年に「五輪洞(オリュンドン、오륜동)」という地名が制定された。
競技会場編集
実施競技編集
各国・地域の獲得メダル数編集
順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
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1 | ソビエト連邦 | 55 | 31 | 46 | 132 |
2 | 東ドイツ | 37 | 35 | 30 | 102 |
3 | アメリカ合衆国 | 36 | 31 | 27 | 94 |
4 | 韓国(開催国) | 12 | 10 | 11 | 33 |
5 | 西ドイツ | 11 | 14 | 15 | 40 |
6 | ハンガリー | 11 | 6 | 6 | 23 |
7 | ブルガリア | 10 | 12 | 13 | 35 |
8 | ルーマニア | 7 | 11 | 6 | 24 |
9 | フランス | 6 | 4 | 6 | 16 |
10 | イタリア | 6 | 4 | 4 | 14 |
主なメダリスト編集
- 金メダル
- 小林孝至
- 佐藤満(日本、レスリングフリースタイル52kg級)
- 斉藤仁(日本、柔道男子95kg超級)
- 鈴木大地(日本、競泳男子100m背泳ぎ)
- カール・ルイス(アメリカ、陸上競技男子100m)
- ジェリンド・ボルディン(イタリア、陸上競技男子マラソン)
- カール・ルイス(アメリカ、陸上競技男子走幅跳)
- セルゲイ・ブブカ(ソビエト連邦、陸上競技男子棒高跳)
- フローレンス・ジョイナー(アメリカ、陸上競技女子100m)
- フローレンス・ジョイナー(アメリカ、陸上競技女子200m)
- ロサ・モタ(ポルトガル、陸上競技女子マラソン)
- アメリカ(陸上競技女子4×100mリレー)
- ジャッキー・ジョイナー・カーシー(アメリカ、陸上競技女子走幅跳)
- ジャッキー・ジョイナー・カーシー(アメリカ、陸上競技女子七種競技)
- アンソニー・ネスティ(スリナム、競泳男子100mバタフライ)
- マット・ビオンディ(アメリカ、競泳男子50m自由形)
- マット・ビオンディ(アメリカ、競泳男子100m自由形)
- ウラジミール・サルニコフ(ソビエト連邦、競泳男子1500m自由形)
- ミヒャエル・グロス(西ドイツ、競泳男子200mバタフライ)
- タマス・ダルニュイ(ハンガリー、競泳男子200m個人メドレー)
- タマス・ダルニュイ(ハンガリー、競泳男子400m個人メドレー)
- アメリカ(競泳男子4×100mリレー)
- アメリカ(競泳男子4×200mリレー)
- アメリカ(競泳男子4×100mメドレーリレー)
- クリスティン・オットー(東ドイツ、競泳女子50m自由形)
- クリスティン・オットー(東ドイツ、競泳女子100m自由形)
- ジャネット・エバンス(アメリカ、競泳女子400m自由形)
- ジャネット・エバンス(アメリカ、競泳女子800m自由形)
- ジャネット・エバンス(アメリカ、競泳女子400m個人メドレー)
- クリスティン・オットー(東ドイツ、競泳女子100mバタフライ)
- クリスティン・オットー(東ドイツ、競泳女子100m背泳ぎ)
- クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー、競泳女子200m背泳ぎ)
- 東ドイツ(競泳女子4×100mリレー)
- 東ドイツ(競泳女子4×100mメドレーリレー)
- グレゴリー・ローガニス(アメリカ、飛び込み男子3m飛板飛び込み)
- グレゴリー・ローガニス(アメリカ、飛び込み男子10m高飛び込み)
- シュテフィ・グラフ(西ドイツ、テニス女子シングルス)
- アンドリュー・ホームズ、スティーブン・レッドグレーブ(イギリス、ボート競技男子かじなしペア)
- オーストラリア(ホッケー女子)
- アメリカ(バレーボール男子)
- アレクサンドル・カレリン(ソビエト連邦、レスリンググレコローマンスタイル男子130kg級)
- ナイム・スレイマノグル(トルコ、ウエイトリフティング男子60kg級)
- アレクサンドル・クルロビッチ(ソビエト連邦、ウエイトリフティング男子110kg超級)
- 西ドイツ(馬術馬場馬術団体)
- ビルギット・フィッシャー、アンケ・ノトナゲル(東ドイツ、カヌー女子カヤックダブル500m)
- 東ドイツ(カヌー女子カヤックフォア500m)
- ウラジミール・アルチョーモフ(ソビエト連邦、男子体操個人総合)
- ドミトリイ・ビロゼロチェフ(ソビエト連邦、男子体操つり輪)
- ドミトリイ・ビロゼロチェフ(ソビエト連邦、男子体操あん馬)
- 楼雲(中国、男子体操跳馬)
- エレーナ・シュシュノワ(ソビエト連邦、女子体操個人総合)
- レノックス・ルイス(カナダ、ボクシング男子スーパーヘビー級)
- 銀メダル
- 長谷川智子(日本、ライフル射撃女子スポーツピストル)
- 宮原厚次(日本、レスリンググレコローマン52kg級)
- 太田章(日本、レスリングフリースタイル90kg級)
- カール・ルイス(アメリカ、陸上競技男子200m)
- ピーター・コエチ(ケニア、陸上競技男子3000m障害)
- ヤン・ゼレズニー(チェコスロバキア、陸上競技男子やり投)
- ロディオン・ガタウリン(ソビエト連邦、陸上競技男子棒高跳)
- ダグラス・ワキウリ(ケニア、男子マラソン)
- アメリカ(陸上競技女子4×400mリレー)
- マット・ビオンディ(アメリカ、競泳男子100mバタフライ)
- クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー、競泳女子100m背泳ぎ)
- リディック・ボウ(アメリカ、ボクシング男子スーパーヘビー級)
- ロイ・ジョーンズ・ジュニア(アメリカ、ボクシング男子ライトミドル級)
- ジョージ・スコット(スウェーデン、ボクシング男子ライト級)
- ビルギット・フィッシャー(東ドイツ、カヌー女子カヤックシングル500m)
- 銅メダル
- 細川伸二(日本、柔道男子60kg以下級)
- 山本洋祐(日本、柔道男子65kg以下級)
- 大迫明伸(日本、柔道男子86kg以下級)
- 小谷実可子(日本、水泳シンクロナイズドスイミングソロ)
- 小谷実可子・田中京(日本、水泳シンクロナイズドスイミングデュエット)
- 池谷幸雄(日本、体操男子床運動)
- 池谷幸雄・小西裕之・佐藤寿治・西川大輔・水島宏一・山田隆弘(日本、体操男子団体総合)
- エドウィン・モーゼス(アメリカ、陸上競技男子400mハードル)
- マーク・ローランド(イギリス、陸上競技男子3000m障害)
- ルドルフ・ポバルニツィン(ソビエト連邦、陸上競技男子走高跳)
- ロルフ・ダンネベルク(西ドイツ、陸上競技男子円盤投)
- マット・ビオンディ(アメリカ、競泳男子200m自由形)
- 西ドイツ(競泳男子4×200mリレー)
- メアリー・マーハー(アメリカ、競泳女子200mバタフライ)
- シュテフィ・グラフ、クラウディア・コーデ=キルシュ(西ドイツ、テニス女子ダブルス)
- スティーブン・レッドグレーブ、パトリック・スウィーニー(イギリス、ボート男子かじつきペア)
- ドミトリイ・ビロゼロチェフ(ソビエト連邦、男子体操個人総合)
大会に関する問題・トラブル編集
聖火台での鳩焼き疑惑編集
開会式では、飛ばした鳩のうち何羽かが、聖火台の上にとまったままで、点火の時まで飛ばずにいたので、焼け死んだのではないかとの指摘が相次いだ。これについて、ソウルオリンピック組織委員長を務めた朴世直(パク・セジク)は、「幾人かに確認してみた。すると大方の見方は、点火の直前に飛び去ったということであった。ある実務者は、点火の直前に聖火用の高圧ガスが強く噴出するため、鳩はとても止まっていられないと説明してくれた」と説明した[12]。
1994年のリレハンメルオリンピックからは、本物の鳩ではなく、映像、風船、着ぐるみ、人文字等で鳩を表現することが恒例となった。
ドーピング問題編集
陸上競技男子100mで、カナダのベン・ジョンソンが前年の世界陸上ローマ大会で自ら出した当時の世界最高記録9秒83を100分の4秒短縮する9秒79の新記録で9秒92だった2位のアメリカのカール・ルイスを数m引き離し優勝したが、レース後のドーピング検査でステロイド系の筋肉増強剤であるスタノゾロールの陽性反応が出たことにより、ジョンソンは金メダルを剥奪され、ルイスが繰り上げで金メダルを獲得した。なお、ジョンソンの記録については、この大会のもののみにとどまらず、前年記録した9秒83も1989年に取り消された。
ボクシング問題編集
ボクシング競技ライトミドル級決勝でアメリカのロイ・ジョーンズ・ジュニアが、地元・韓国の朴時憲から2度のダウンを奪うなど相手を圧倒しながら2-3の不可解な判定で敗れた[13][14]。記者会見でジョーンズ・ジュニアが「盗まれた金メダルを返してくれ!」と涙ながらに訴えたことから「盗まれた金メダル事件」と言われ、オリンピック史上に残る事件として知られるようになった。後に調査によって審判員5人の内、朴の勝利とした3人が韓国側によって買収されていたことが判明したと国際アマチュアボクシング協会が発表、IOCの会長からジョーンズ・ジュニアには金メダルのレプリカが与えられた。なお、この事件はアマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。
ジョーンズには、ヴァル・バーカー・トロフィーが与えられた。
また、韓国の辺丁一とブルガリアのアレクサンダー・クリストフのバンタム級2回戦は4-1の判定でクリストフが勝利したが、この判定を不服とした韓国側が猛抗議を行い照明の消された真っ暗なリング上では、辺が1時間以上にも渡る抗議の座り込みを行った[15]。
登場する作品編集
脚注編集
- ^ 朴世直『ドキュメント ソウル五輪(上)』潮出版社、1991年、p96
- ^ 前掲『ドキュメント ソウル五輪(上)』p68~80
- ^ 金雲龍『偉大なるオリンピック』ベースボールマガジン社、1989年、p70~85
- ^ 藤原健固、「ソウル五輪の "かたち" : 南北共催問題」 『中京大学体育学論叢』 1988年 29巻 2号 p.31-46, 中京大学。
- ^ “ソウル五輪でIOC会長は南北開催提案…外交文書”. 産経新聞. (2019年3月31日) 2020年10月6日閲覧。
- ^ 손에 손잡고 YouTube、2018年12月6日閲覧
- ^ Koreana - Hand In Hand (Korean version "Son-e Son Japgo) - Official Olympic Song, Seoul, 1988. YouTube、2018年12月10日閲覧
- ^ ソ連はアルベールビルオリンピックおよびバルセロナオリンピックでは、バルト三国を除く12国が独立国家共同体(CISもしくはEUN)として参加している。
- ^ 小川勝『オリンピックと商業主義』集英社新書、2012年、p146~153
- ^ “NBCユニバーサル、32年までの五輪放映権を獲得”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2014年5月8日). 2016年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月11日閲覧。
- ^ “東京オリンピック2020|野球|競技紹介”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 前掲『ドキュメント ソウル五輪(上)』p211~214
- ^ David Mamet (1988年10月7日). “In Losing, a Boxer Won”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年12月16日閲覧。
- ^ GEORGE VECSEY (1997年9月26日). “Sports of The Times; Nice Gesture Substitutes For Justice”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年12月16日閲覧。
- ^ “A Brief History of Olympic Sore Losers”. タイムズ (2012年3月9日). 2013年12月16日閲覧。
関連項目編集
- 国際オリンピック委員会
- 夏季オリンピック
- 1988年ソウルオリンピックの日本選手団
- ソウルパラリンピック
- 名古屋オリンピック構想(誘致に失敗した「NAGOYA 1988」の事例)
- プロジェクト:オリンピック
- 1986年アジア競技大会(リハーサル大会)
- 88オリンピック高速道路
- オリンピック大路(ソウル特別市道88号線)
- オリンピック大橋
- ヒュンダイ・グレンジャー/三菱・デボネア(ソウルオリンピックに伴うVIP送迎用の国産高級車として初代グレンジャーが誕生、及びそれによりデボネアのフルチェンジが実現した経緯がある)
- 近代オリンピック#開会式(同大会での鳩問題について)
- 第13回世界青年学生祭典 (ソウルオリンピックに対抗して、1989年に北朝鮮が平壌で開催した)
外部リンク編集
- IOCソウル大会1988年(英語)
- JOCオリンピックの歴史(日本語)