丹羽長貴
丹羽 長貴(にわ ながよし)は、江戸時代中期の大名。陸奥国二本松藩の第7代藩主。通称は五郎左衛門。官位は従四位下・左京大夫、侍従。丹羽家第8代。
丹羽長貴 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝暦6年5月18日(1756年6月15日)[1] |
死没 | 寛政8年3月27日(1796年5月4日) |
別名 | 通称:五郎左衛門 |
戒名 | 雄峯院殿覺道俊英大居士 |
墓所 | 福島県二本松市の大隣寺 |
官位 | 従五位下左京大夫、従四位下、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 陸奥二本松藩主 |
氏族 | 丹羽氏 |
父母 | 父:丹羽高庸、母:宮沢氏 |
兄弟 | 長貴、長恒、中川久徳正室、利恵姫、喜姫、太田資順正室、本多助受正室 |
妻 |
正室:伊達村候の娘・於貞 側室:石川氏、松原氏 |
子 | 長祥、貴晋、生駒親孝、享姫、丹羽貴正室、池田斉敏継室ら |
略歴
編集明和3年(1766年)1月27日、父・高庸が死去したため家督を継いだ。同年2月15日、10代将軍・徳川家治にお目見えする。同年12月19日、従五位下左京大夫に叙任する。安永元年(1772年)12月18日、従四位下に昇進する。寛政4年(1792年)12月16日、侍従に任官する。
寛政8年(1796年)に死去し、家督を長男・長祥が継いだ。戒名は雄峯院殿覺道俊英大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。
系譜
編集父母
- 丹羽高庸(父)
- 宮沢氏 ー 側室(母)
正室
- 於貞 ー 伊達村候の娘
側室
- 石川氏
- 千代
- 高木氏
- 松原氏
- 谷氏
子女