メインメニューを開く

二条 治孝(にじょう はるたか)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿右大臣二条宗基の子。官位従一位左大臣二条家23代当主。号は法寿金剛院。昭和天皇の高祖父。

 
二条治孝
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦4年9月15日1754年10月30日
死没 文政9年10月6日1826年11月5日
別名 号:法寿金剛院
官位 従一位左大臣
主君 後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 二条家
父母 父:二条宗基、母:家女房
兄弟 五千姫、重良治孝
正室:徳川宗翰次女・翰子
側室:樋口基康娘・信子
斉通九条輔嗣西園寺寛季斉信
九条尚忠、近子、松殿隆温、胤麿、
増護、道永、信観、隆子、利子、親子、保子、嬉子、軌子、福子、多喜子、
武子、広子、育子、柔子、近子、純姫、遂子、最子、常子など
テンプレートを表示

目次

経歴編集

宝暦4年(1754年)、二条宗基の子として京に誕生。10代将軍・徳川家治から偏諱を受けた。早世した兄・重良の跡を継いだ。

明和7年(1770年8月4日、叙従三位寛政8年(1796年8月4日、叙従一位右大臣1791年 - 1796年)を経て、左大臣(1796年 - 1814年)に至る。

しかし、光格天皇に「非器」と評価され、関白一条忠良に超越されてしまい、その代償に検討された准三宮宣下も、摂家一列の反対で実現しなかった[1]

文政9年(1826年)薨去。

系譜編集

  • 父:二条宗基
  • 母:家女房
  • 正室:徳川翰子(嘉姫) - 徳川宗翰の次女
  • 側室:樋口信子 - 樋口基康の娘
    • 八男:九条尚忠(1798年 - 1871年) - 兄九条輔嗣の跡を継ぐ
  • 生母不明
    • 男子:胤麿 - 三条実起養子
    • 男子:増護(? - 1875年)- 随心院門跡
    • 男子:道永(? - 1821年) - 理性院
    • 男子:信観
    • 十九男:松殿隆温(1811年 - 1875年) - 二条斉信養子、大乗院門跡、のち還俗(奈良華族
    • 女子:隆子(彰君) - 乗蓮院、徳川治国正室
    • 女子:利子(恒姫)
    • 女子:親子(誠君) - 西本願寺大谷光摂
    • 女子:保子(脩君) - 徳川斉敦正室
    • 女子:嬉子(昌君) - 西本願寺大谷光摂次室
    • 女子:軌子(五百君) - 花園公熙養女
    • 女子:福子(徳君) - 宝林院、黒田斉清正室
    • 女子:多喜子(興姫) - 播磨本徳寺昭堯室
    • 女子:武子(理君)
    • 女子:広子(篤君) - 河内顕證寺摂真室
    • 女子:育子(英君)
    • 女子:柔子 - 越前誠照寺室
    • 女子:近子(嶺君)(1804年 - 1849年) - 仏光寺随念真導室、のち、仏光寺執行法務
    • 女子:純姫(純君)
    • 女子:遂子(千萬君) - 甘露寺国長養女、鍋島直与継室
    • 女子:最子(光君) - 松平頼縄継室
    • 女子:常子(喜久君) - 播磨本徳寺昭明室

系図編集


参考文献編集

  • 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年
  1. ^ 長坂良宏 (2018年2月20日). 近世の摂家と朝幕関係. 吉川弘文館. pp. 148-155.