井上竹次郎

明治時代の実業家

井上竹次郎(いのうえたけじろう、1849年嘉永2年2月) - 1909年6月25日)は、明治時代実業家歌舞伎座経営者。日本最古の動画である『紅葉狩』の制作を提案した人物としても著名。

概要 編集

1849年嘉永2年2月)に京都で生まれた[1]土佐藩士後藤象二郎の義弟に当たる[1]。また、姪に料理研究家の村井多嘉子村井弦斎の妻)がいる[2]

1890年明治23年)に証券業界に参入し、株式投機で成功する[1]1896年明治29年)に田村成義らとともに千葉勝五郎から歌舞伎座を買収し、副社長となった[1]。その後、社長・支配人に上り詰め、1899年(明治32年)11月には歌舞伎舞踊『紅葉狩』をドキュメンタリーフィルムに収めることを提案し、これが日本最古の動画となった[3]1906年(明治39年)に引退[4]。10月に行われた最後の興行では初代鴈治郎に出演を乞い、花を添えてもらったところ大当たりとなった[4]。10月興行の後、株式を売却して社長の座を大河内輝剛に譲った[4]

1909年(明治42年)6月25日に61歳で死去した[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e "井上竹次郎". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2021年6月1日閲覧
  2. ^ 黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』岩波書店、2004年6月25日、188頁。
  3. ^ 本地陽彦. “「紅葉狩」考”. 東京国立近代美術館. 2021年6月1日閲覧。
  4. ^ a b c 歌舞伎座百年”. 歌舞伎座. 2021年6月1日閲覧。