井野川潔
井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 1995年12月21日)は、日本の教育運動家。本名は早船斌男(よしお)。妻は早船ちよ。
来歴
編集埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業[1]。小学校教師となる。
1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。
1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる[2]。
戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した[1]。
著書
編集共編著
編集追悼文集
編集- 『井野川潔教育と文学に生きる 早船ちよとともに』井野川潔遺稿・追悼集刊行委員会 1998
参考
編集- デジタル版日本人名大事典:「井野川潔 いのかわ きよし」
- 関口安義『キューポラのある街 評伝早船ちよ』新日本出版社 2006
脚注
編集- ^ a b c 井野川 潔 イノカワ キヨシ 20世紀日本人名事典
- ^ 早船ちよ はやふね-ちよ デジタル版 日本人名大辞典+Plus