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伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。現在は東京都立雪谷高等学校教諭。父は元プロ野球選手の伊達泰司

伊達 昌司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県川崎市高津区
生年月日 (1975-08-23) 1975年8月23日(43歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト2位
初出場 2001年5月25日
最終出場 2005年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

プロ入り前編集

法政大学第二高等学校から父と同じく法政大学に進み、同期の真木将樹らと共に投手陣を支えた。当時は父がロッテスカウトとして活躍を見守っていた。リーグ通算30試合に登板、8勝2敗、防御率1.71を記録。

大学卒業後はプリンスホテルに進み、廃部になった2000年に同僚の大沼幸二長崎伸一と共にプロ入りを表明。2000年度ドラフト会議にて阪神タイガースから2巡目指名を受けて入団。社会人出身で2位指名ながら逆指名制度を利用せずに指名された唯一の選手である。

阪神時代編集

阪神では、ルーキーイヤーの2001年から先発にリリーフに活躍。同年6月17日の対横浜ベイスターズ戦では、プロ初先発で5回2失点の内容で初勝利をあげ、チームとしては1984年の池田親興以来、17年ぶりに阪神の新人のプロ初先発初勝利となった。同年は28試合に登板し、先発では7試合に登板した。4勝3敗、防御率3.75の成績を残した。

2002年は中継ぎとして41試合に登板し、防御率3.32の成績を残した。シーズンオフ、下柳剛中村豊との2対2の交換トレード山田勝彦と共に日本ハムファイターズへ移籍。誤解されがちだが、野口寿浩坪井智哉も加えた3対3のトレードではない。

日本ハム時代編集

2003年は、開幕戦でプロ初セーブをあげるなど、春先は抑えとして活躍したが、故障のためシーズン途中で戦線離脱。その間に抑えには建山義紀が起用され、復帰後は中継ぎに回った。最終的に51試合に登板し、プロ入り初の防御率2点台をマークした。

2004年は防御率1点台を記録したが、横浜ベイスターズから移籍してきた横山道哉が抑えで起用され、開幕戦で救援失敗し、二軍落ちした建山が一軍復帰後に中継ぎに回るなど新しい必勝リレーが確立したこともあり、19試合の登板に終わった。

2005年3月30日に金銭トレードでリリーフ陣強化を目指した読売ジャイアンツへ移籍[1]

巨人時代編集

2005年はわずか7試合の登板に終わり、リリーフ陣の駒不足を解消できなかった。

2006年5月に監督の原辰徳が伊達と縁のある野村克也が監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスに対し譲渡を打診したが、楽天側はこれを拒否した上、野村の元には話が届いていなかった。この年はプロ入り初の一軍登板なしに終わり、オフに戦力外通告を受けて現役を引退。

引退後編集

その後、教員免許取得のため母校の法政大学へ通学、晴れて東京都の教員採用試験に合格[2]して地方公務員となった。

神奈川県で1年間臨時講師を務め、2010年度~2014年度は東京都立江戸川高等学校、2015年度から東京都立府中西高等学校に異動して現在も教壇に立っている(担当教科は社会科)[2][3]。また教員免許取得と並行してパソコン検定試験準2級とマイクロソフトオフィススペシャリストのオフィスマスターの資格を取得した[2]。教員を目指していた2008年度は臨時で巨人の寮監を勤めていた[2]

2011年日本学生野球協会の適性審査を受け、4月1日付で高校野球の指導者として認定された。元プロ野球選手が高校野球の指導者になるには教諭として通算2年以上の在職が必要だったが、2011年2月に条件が緩和され、臨時講師の経験も教諭に準じる扱いとなり、伊達が適用第1号となった[4]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
2001 阪神 28 7 0 0 0 4 3 0 -- .571 293 69.2 59 8 31 1 5 49 2 0 30 29 3.75 1.29
2002 41 0 0 0 0 2 3 0 -- .400 234 57.0 49 5 14 0 5 40 3 0 25 21 3.32 1.11
2003 日本ハム 51 0 0 0 0 5 1 9 -- .833 235 55.1 49 3 29 0 5 16 1 0 17 16 2.60 1.41
2004 19 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 95 21.2 22 2 7 0 2 7 1 0 6 4 1.66 1.34
2005 巨人 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 37 7.1 15 1 1 0 0 5 0 0 8 8 9.82 2.18
通算:5年 146 7 0 0 0 12 7 9 0 .632 894 211.0 194 19 82 1 17 117 7 0 86 78 3.33 1.31

記録編集

投手記録
打撃記録

背番号編集

  • 49 (2001年 - 2002年)
  • 17 (2003年 - 2005年途中)
  • 59 (2005年途中 - 2006年)

脚注編集

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  1. ^ 2005年3月31日 日刊スポーツ大阪版 11版 6面
  2. ^ a b c d ベースボールマガジン社発行、週刊ベースボール2010年3月29日号隔週連載コーナー『野球は幸せか!』P96-97より、著者・清武英利
  3. ^ 【あの虎戦士は今】伊達昌司氏、今は高校教師 - サンスポ(2017年12月6日)
  4. ^ 元阪神投手“緩和”で適用1号 スポニチ Sponichi Annex

関連項目編集

外部リンク編集