全英オープン (バドミントン)

イギリスで開催されるバドミントンの国際大会

全英オープン(YONEX All England Open Badminton Championships)は、イングランドバドミントン協会主催、ヨネックス特別協賛により、毎年3月にバーミンガムウティリタ・アリーナ・バーミンガムで開催されるBWFワールドツアースーパー1000の大会である。1977年に世界選手権が創設されるまでは、本大会が実質上の世界選手権として開催されていた。

概要 編集

1899年に第1回大会を開催[1][2]、2度の世界大戦による中断を経て[3]、2010年で100回目を迎えた。1984年からヨネックス製シャトルが公式シャトルに採用され、以来ヨネックスが冠スポンサーとして現在に至る。

開催都市は第1回からロンドン。第4回のみケント州の会場で開催。1994年から現在のバーミンガム開催となった。

2007年からBWFスーパーシリーズ(プレミア)の大会となる(現ワールドツアー)。

優勝選手 編集

21世紀以降 編集

男子シングルス 女子シングルス 男子ダブルス 女子ダブルス 混合ダブルス
2024   ジョナタン・クリスティー   カロリーナ・マリン   ファジャル・アルフィアン
  ムハマド・リアン・アルディアント
  白荷娜
  李紹希
  鄭思維
  黄雅瓊
2023   李詩灃   安洗塋   金昭映
  孔熙容
2022   ビクトル・アクセルセン   山口茜   ムハマド・ショヒブル・フィクリ
  バガス・マウラナ
  松山奈未
  志田千陽
  渡辺勇大
  東野有紗
2021   リー・ジージャ   奥原希望   遠藤大由
  渡辺勇大
  松本麻佑
  永原和可那
2020   ビクトル・アクセルセン   戴資穎   福島由紀
  廣田彩花
  プラフィーン・ジョーダン
  メラティ・デファ・オクタフィアンティ
2019   桃田賢斗   陳雨菲   モハマド・アッサン
  ヘンドラ・セティアワン
  陳清晨
  賈一凡
  鄭思維
  黄雅瓊
2018   石宇奇   戴資穎  マルクス・フェルナルディ・ギデオン
 ケビン・サンジャヤ・スカムルジョ
  カミラ・リターユール
  クリスティナ・ペデルセン
  渡辺勇大
  東野有紗
2017   リー・チョンウェイ   張藝娜
  李紹希
  魯愷
  黄雅瓊
2016   林丹   奥原希望   ウラジーミル・イワノフ
  イワン・ソゾノフ
  髙橋礼華
  松友美佐紀
  プラフィーン・ジョーダン
  デビー・スサント
2015   諶龍   カロリナ・マリン   マシアス・ボー
  カーステン・モーゲンセン
  包宜
  唐淵渟
  張楠
  趙芸蕾
2014   リー・チョンウェイ   王適嫻   モハマド・アッサン
  ヘンドラ・セティアワン
  王暁理
  于洋
  タトウィ・アーマド
  リリアナ・ナトシール
2013   諶龍   ティナ・バウン   劉小竜
  邱子瀚
2012   林丹   李雪芮   鄭在成
  李龍大
  趙芸蕾
  田卿
2011   リー・チョンウェイ   王適嫻   マシアス・ボー
  カーステン・モーゲンセン
  王暁理
  于洋
  徐晨
  馬晋
2010   ティナ・ラスムセン   ヨナス・ラスムセン
  ラース・ポースク
  于洋
  杜婧
  張楠
  趙芸蕾
2009   林丹   王儀涵   蔡贇
  傅海峰
  張亜雯
  趙婷婷
  何漢斌
  于洋
2008   陳金   ティナ・ラスムセン   鄭在成
  李龍大
  李敬元
  李孝貞
  鄭波
  高崚
2007   林丹   謝杏芳   クー・キンキット
  タン・ブンホン
  魏軼力
  張亜雯
2006   イエンス・エリクセン
  マーチン・ルンドゴール・ハンセン
  高崚
  黄穂
  張軍
  高崚
2005   陳宏   蔡贇
  傅海峰
  ネイサン・ロバートソン
  ゲイル・エムス
2004   林丹   龔睿那   イエンス・エリクセン
  マーチン・ルンドゴール・ハンセン
  金東文
  羅景民
2003   ムハンマド・ハフィス・ ハシム   周蜜   シギット・ブディアルト
  チャンドラ・ウィジャヤ
  張軍
  高崚
2002   陳宏   カミラ・マーチン   河泰権
  金東文
  金東文
  羅景民
2001   プレラ・ゴピチャンド   龔智超   トニー・グナワン
  ハリム・ハリアント
  張軍
  高崚

脚注 編集

  1. ^ 第1回大会は男子ダブルス、女子ダブルス、混合ダブルスの3種目のみが行われ、翌年から男子シングルスと女子シングルスが加わった。
  2. ^ 第1回大会から女子の出場は認められていたがそれらの試合は公認ではなかった。第6回大会から公認されたが、他の競技種目と比べると当時としては画期的だったと言われる。
    出典『「先生なぜですか」ネット型球技編 0のことをなぜラブと呼ぶの?』(稲垣正浩・他=編著、大修館書店)※バドミントンの項目は奈良重幸
  3. ^ 第1次世界大戦により1915-1919年まで、第2次世界大戦により1940-1946年まで中断

関連項目 編集

外部リンク 編集