八幡朝見神社
八幡朝見神社(はちまんあさみじんじゃ)は、大分県別府市朝見二丁目に鎮座する神社である。別名朝見八幡宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
八幡朝見神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 大分県別府市朝見二丁目15-19 |
位置 | 北緯33度16分17.6秒 東経131度29分41.8秒 / 北緯33.271556度 東経131.494944度座標: 北緯33度16分17.6秒 東経131度29分41.8秒 / 北緯33.271556度 東経131.494944度 |
主祭神 |
誉田別命 気長足姫命 足仲彦命 大鷦鷯尊 |
社格等 | 旧県社・別表神社 |
創建 | 建久7年(1196年) |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 朝見八幡宮 |
例祭 | 10月19日 |
主な神事 | 別府八湯温泉まつり(4月上旬) |
地図 |
祭神
編集大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)、誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)、足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)を祭神とする[1]。
なお、社地内には菅原道真を祀る天神社、倉稲魂(うかのみたま)を祀る稲荷社、市杵島姫(いちきしまひめ)を主神とする厳島社、祖神を祀る天祖社が合祀されている[1]。
歴史
編集建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり豊後に入国したときに、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものと伝えられ、以来、大友氏の崇敬を受けた[1]。創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が当社の神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至る [2]。
八幡朝見神社初代、福田土佐守源高政は福田出羽守源有治の三男とされ、源親治の孫にあたる。
当初は龍ヶ岡(現在の別府市上原町一の出)に社地があったが、鶴見岳の噴火により社地が崩壊したため、現在地に遷座した。遷座は正平3年/貞和4年(1348年)のこととされる[2]が、史料不詳である[3]。正平3年/貞和4年(1348年)には、能直により建立又は大友氏時により建立・再建された豊後国内の八幡社のひとつとして、豊後八幡七社に数えられた[3]。
文禄2年(1593年)に大友氏が改易されその庇護を失ったが、江戸時代に入ると寛文10年(1670年)に社殿を再興し、元禄6年(1696年)に神殿及び楽殿を新築する等、復興。元禄14年(1701年)に四組木綿手繈懸用の特許状を得ると、以後社勢が盛んになり社地を拡張した[1]。
明治時代に入ると、明治6年(1873年)に村社に列せられて別府、浜脇の総社となり、大正7年(1918年)には郷社、昭和12年(1937年)には県社となった。この間、大正11年(1922年)に社殿を改築し、昭和2年(1927年)には斉殿、能楽殿を新築している[1][2]。第二次大戦後、別府温泉の鎮守神である温泉神社を合祀した。現在でも4月に行われる別府八湯温泉まつりの中心となっている。
文化財
編集脚注
編集- ^ a b c d e 安部巌「神社の沿革」『べっぷの文化財』No.12 八幡朝見神社、別府市教育委員会・別府市文化財調査員会、n.a.、1-4頁。
- ^ a b c “朝見神社について”. 八幡朝見神社. 2020年2月20日閲覧。
- ^ a b 安部巌「八幡朝見神社年表」『べっぷの文化財』No.12 八幡朝見神社、別府市教育委員会・別府市文化財調査員会、n.a.、13頁。
- ^ “別府市の指定文化財”. 別府市社会教育課文化財係. 2020年2月21日閲覧。
- ^ “別府市の指定文化財 資料” (PDF). 別府市社会教育課文化財係. 2020年2月21日閲覧。
- ^ “大分県環境白書”. 大分県. p. 44. 2024年9月2日閲覧。
外部リンク
編集- 八幡朝見神社(公式サイト)
- 冊子『べっぷの文化財』 No.12 八幡朝見神社 (PDF) 別府市