冨谷 至(とみや いたる[2]1952年1月1日[3] - )は、日本の古代中国史学者。京都大学名誉教授[1]スウェーデン王立アカデミー(文学・歴史・考古)外国人会員[1][4]

冨谷 至とみや いたる
人物情報
生誕 (1952-01-01) 1952年1月1日
日本の旗 日本大阪府
出身校 京都大学
学問
研究分野 東洋史(中国法制史古文書学)
研究機関 大阪大学京都大学人文科学研究所龍谷大学
学位 文学博士
影響を受けた人物 梅原郁[1]
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経歴 編集

1952年、大阪府生まれ。京都大学文学部史学科に入学し、東洋史を専攻した。1975年に卒業し、同大学大学院へ進学。1977年、修士課程を修了。

京都大学人文科学研究所助手の後、大阪大学教養部助教授に就いた。1990年、京都大学人文科学研究所助教授。2013年、同研究所教授に昇格。在職中に、イギリス・ケンブリッジ大学訪問研究員、ドイツ・ミュンスター大学客員教授、中国・西北大学客員教授を務めた。1997年、文学博士号を取得[5]。2017年、京都大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は龍谷大学文学部教授となり、教鞭をとった。2022年、龍谷大学を定年退職[1]

受賞・栄典 編集

  • 2016年:第10回「立命館白川静記念東洋文字文化賞・教育普及賞」を受賞(簡牘、出土文献の知識の普及に対して)[6]

研究内容・業績 編集

専門は中国法制史古文書学[4]

著作 編集

著書 編集

  • ゴビに生きた男たち 李陵蘇武白帝社〈中国歴史人物選 第2巻〉、1994年
  • 『古代中国の刑罰 髑髏が語るもの』中央公論社中公新書〉、1995年
  • 漢刑罰制度の研究』同朋舎〈東洋史研究叢刊〉、1998年
  • 韓非子 不信と打算の現実主義』中公新書、2003年
  • 木簡竹簡の語る中国古代 書記の文化史』岩波書店〈世界歴史選書〉、2003年、増補版2014年
  • 『教科書では読めない中国史 中国がよくわかる50の話』小学館、2006年。図版書での解説
  • 『文書行政の帝国 木簡・竹簡の時代』名古屋大学出版会、2010年
  • 『中国義士伝 節義に殉ず』中公新書、2011年
  • 『四字熟語の中国史』岩波新書、2012年
  • 中華帝国のジレンマ 礼的思想と法的秩序』筑摩書房筑摩選書〉、2016年
  • 『漢唐法制史研究』創文社、2016年
  • 『漢倭奴国王から日本国天皇へ 国号「日本」と称号「天皇」の誕生』臨川書店、2018年。京大人文研東方学叢書

共編著 編集

  • 『流沙出土の文字資料 楼蘭・尼雅出土文書を中心に』京都大学学術出版会、2001年
  • 『中国人物列伝』木田知生共編、恒星出版、2002年
  • 『邊境出土木簡の研究』朋友書店、2003年(京都大學人文科學研究所研究報告)
  • 『中国の歴史 上(古代・中世)』愛宕元共編、昭和堂、2005年
  • 『江陵張家山二四七號墓出土漢律令の研究 譯注篇/論考篇』朋友書店、2006年(京都大學人文科學研究所研究報告)
  • 『東アジアの死刑』京都大学学術出版会、2008年
  • 『漢字の中国文化』昭和堂、2009年
  • 『木簡と中国古代』目黒杏子・土口史記共著、研文出版(京大人文研漢籍セミナー)2015年
  • 『漢簡語彙考証』岩波書店、2015年。下記の編著解説
    • 『漢簡語彙 中国古代木簡辞典』京大人文科学研究所簡牘研究班編。同上
  • 岩波講座世界歴史』岩波書店、2021年。編集委員

訳注 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 冨谷至谈国际化东洋学研究者的养成_上海书评_澎湃新闻-The Paper” (中国語). www.thepaper.cn. 澎湃新聞. 2022年8月17日閲覧。
  2. ^ 正しくは「ワ冠」だが、「ウ冠」で書かれていることもある。
  3. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.331
  4. ^ a b 冨谷至 人文科学研究所教授が、スウェーデン王立アカデミーRoyal Swedish Academy of Letters, History and Antiquitiesの外国人会員に選出されました。(2016年3月22日)”. 京都大学. 2022年8月17日閲覧。
  5. ^ 冨谷至『秦漢刑罰制度考証』 京都大学〈博士(文学) 乙第9482号〉、1997年。doi:10.11501/3123414hdl:2433/202251NAID 500000144406https://doi.org/10.11501/3123414 
  6. ^ 白川静記念東洋文字文化研究所