分部 嘉高(わけべ よしたけ)は、江戸時代前期の大名近江国大溝藩3代藩主。分部家4代。

 
分部嘉高
時代 江戸時代前期
生誕 慶安元年9月19日1648年11月4日
死没 寛文7年6月12日1667年8月1日
改名 万千代(幼名)→嘉高
戒名 江雲院殿三峯宗関大居士
墓所 滋賀県高島市大溝の円光寺
官位 従五位下若狭守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
近江大溝藩
氏族 分部氏
父母 父:分部嘉治、母:池田長常次女
兄弟 嘉高、性善院(一柳直治正室)
正室:有馬康純
養子:信政池田長信三男)
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略歴編集

慶安元年(1648年)、2代藩主・分部嘉治の長男として誕生。

明暦4年(1658年)に父・嘉治が妻の叔父の池田長重と対談中に口論となって刃傷沙汰となり、長重は即死、嘉治も翌日死亡したたため、若年ながら急遽その跡を継いだ。若年の身でありながら民政に尽くしたとされる。

寛文6年(1666年)、藩領内において大洪水のために凶作となると、嘉高は所持していた郷義弘の名刀を4代将軍・徳川家綱に献上し、その見返りとして得た黄金400枚全てを領内の復興と窮民救済に当てた。

寛文7年(1667年)6月12日、死去。享年20。嘉高には嗣子がなく、ここに分部氏の系統は断絶した。死後、家督は母の縁戚である分部信政(母の叔父である旗本池田長信の三男。母の従兄弟にあたる。)が継いだ。