北沢浮遊選鉱場
概要編集
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北沢地区では1937年(昭和12年)の日中戦争開始に伴う国策の増産体制の一環として同年から1940年(昭和15年)にかけて大規模な選鉱施設が整備され[1]、当時としては最新の技術である浮遊選鉱を行う選鉱場のほか、シックナー(濃縮器)が建設された[1]。月間5万トンの原鉱を処理する大選鉱場として操業され、1940年には佐渡鉱山史上最高産出量を実現した[1]。
しかし1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴い施設は廃止[1]。その後は跡地の一部にプールやゴルフ練習場が建設されたこともあった[2]。
現在では浮遊選鉱場は階段状のコンクリート躯体のみが残され、シックナーは50 mのものが1基残っている[1]。また、明治期から整備された旧北沢青化・浮選鉱所や旧北沢火力発電所の遺構も隣接して残っている[1]。
2010年には広場が整備され、グッドデザイン賞を受賞している[2][3]。
脚注編集
- ^ a b c d e f グリーンシグマ (2008). “旧佐渡鉱山近代化遺産建造物群調査報告書”. 同 .
- ^ a b “旧佐渡鉱山遺構広場設計―文化財を取り巻くデザインの現場― 景観・デザイン研究講演集”. 土木学会 (2010年12月). 2019年10月5日閲覧。
- ^ “受賞対象一覧:広場 [旧佐渡鉱山 北沢地区工作工場群跡地広場 および 大間地区大間港広場]”. 公益財団法人日本デザイン振興会. 2019年10月5日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- 佐渡金銀山を巡る:鉱山施設コース 佐渡金銀山(新潟県教育庁 世界遺産登録推進室)