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佐渡島

新潟県にある島

佐渡島(さどしま、さどがしま)[1]は、新潟県西部に位置する。全域が新潟県佐渡市に属し、佐渡弥彦米山国定公園に含まれる。人口は58,047人(2014年12月1日現在)。

佐渡島
SadoGaShima.jpg
北から
座標 北緯38度2分0秒 東経138度22分0秒 / 北緯38.03333度 東経138.36667度 / 38.03333; 138.36667座標: 北緯38度2分0秒 東経138度22分0秒 / 北緯38.03333度 東経138.36667度 / 38.03333; 138.36667
面積 854.76 km²
海岸線長 262.7 km
最高標高 1,172 m
最高峰 金北山
最大都市 佐渡市
所在海域 日本海
所属国・地域 日本の旗 日本新潟県
地図
佐渡島の位置(新潟県内)
佐渡島
佐渡島の位置(日本内)
佐渡島
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目次

地理編集

 
地形図

面積は854.76km2[1]で、本州などの主要4島と北方領土を除く日本の中では沖縄本島に次ぐ面積を持つ[2]。これは東京都の本土部分(島嶼部を除く東京23区多摩地域)の面積1791.47km2の約48%にあたり、また大阪府の面積1897.86km2の約45%に相当する。

島の周囲は262.7kmで、上越新幹線大宮駅 - 新潟駅)の路線距離269.5kmにおおむね匹敵する。最高標高は金北山の1,172mで、その西隣の妙見山(標高1,042m)山頂には日本海の一定空域を監視する自衛隊レーダーサイトがある[3]

カタカナの「」、またはアルファベットの「S」の字に例えられる特徴的な形を持つ。地形は3つに大別でき、北に大佐渡山地(おおさどさんち)、南に小佐渡山地(こさどさんち)[4]、この2つの間に穀倉地帯の国仲平野(くになかへいや)が広がる。大佐渡山地の方が標高が高く、金北山も大佐渡山地側にある。小佐渡山地側の最高標高は大地山(645m)である。

大佐渡山地の北側は山が海岸のすぐそばまで迫り、断崖絶壁と無数の岩礁が約50kmにわたって連なる景勝地で、中でも尖閣湾が有名である。対して小佐渡山地は、大佐渡山地と比べるとなだらかな丘陵地帯で、自生のみかんが見られる。

国仲平野は離島の平野としては広い面積を持ち、かつ真野湾に注ぐ国府川など多くの川で潤うため、水稲栽培が行われている。平野の西側に真野湾、東側に両津湾および新潟県最大の湖である加茂湖汽水湖)があり、真野湾と加茂湖ではカキの養殖が行われる。

気候編集

気候はおおむね三分され、大佐渡山地の北側は日本海からの季節風の影響を受け、には積雪がある一方、小佐渡山地の南側は比較的温暖で積雪が少ない。両山地の中間部はその中間くらいの気候である。ただし新潟県の本土側と比較すると、佐渡島は沖合を暖流対馬海流が流れている影響で冬の気温が1~2度ほど高く、積雪は少ないほうといえる。または海風の影響で昼夜の温度差が内陸より小さくなり、おおむね新潟県の本土側に比べ1~2度程度涼しい。

暖流寒流の接点にあるため、植生に極めて富んでおり、島内で北海道沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域である。また、暖流にのって現れるシイラカツオアオリイカ、寒流にのって現れるブリなどの多様な水産物にも恵まれている。

歴史編集

大化の改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。

順徳天皇日蓮日野資朝などが配流された地でもある。

鎌倉時代以降は、本間氏が守護代として佐渡を支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。

関ヶ原の戦いの後、佐渡は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)には佐渡金山が発見された。佐渡では、それ以前の戦国時代中期頃から、鶴子銀山等でが採掘されていたが、佐渡金山のの産出量は群を抜いて多く、そのため、江戸幕府は、藩を置かずに佐渡を天領として、佐渡奉行所相川に置き、幕府自ら直接統治を行った。明治維新では戦火を免れた。

明治以降は佐渡県、後に相川県が置かれたが、1876年(明治9年)、新潟県に編入された。

詳細は佐渡市#歴史佐渡金山の項を参照。

文化編集

西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたこと、また配流者が伝えた文化も含めた貴族文化や武家文化、町人文化が一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれる。 方言は佐渡弁と言われるもので、西日本方言の北陸方言に属している。

また、京都から流罪された文人・政治家などが都の文化を伝えた影響からかさまざまな伝統芸能が受け継がれている。有名なのはである。江戸時代には200を超える能舞台があり、現在も32余りの能舞台が残っている。人口当たりの能舞台数は、江戸時代も現在も全国一となっている。これらの能舞台は、今も、春から秋にかけ薪能などイベントや祭りで利用されており、各地区の希望する子供達が大人から指導を受けて演じている。これはの大成者である世阿弥が配流された影響であるといわれている。古浄瑠璃文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞なども代々受け継がれ、現存している。

佐渡金山は最盛期には、国内一の金産出量を誇っていたが、江戸時代の終わりごろから衰退し1951年に商業採掘は終了したため、現在では金の採掘は行われていない。残された多くの史跡や博物館等の資料館で当時の様子をうかがい知ることができる。他に、順徳天皇日蓮ゆかりの寺などの、歴史的な神社仏閣が保存されており、こうした様々な史跡めぐりをする観光客が毎年訪れている。佐渡島には「鬼太鼓」という神事芸能が300年伝わっている[5]。太鼓の音に合わせて鬼の面をつけて舞う。

島内外の交通編集

 
新潟両津航路のジェットフォイル

佐渡市#交通の項を参照。

所属自治体編集

かつては、両津市相川町佐和田町金井町新穂村畑野町真野町小木町羽茂町赤泊村が存在していたが、2004年平成16年)、島内全ての地方公共団体平成の大合併をし、現在は佐渡市1市のみとなっている。

著名な出身者編集

舞台にした作品編集

テレビドラマ編集

映画編集

小説編集

漫画編集

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アニメ編集

ゲーム編集

事件編集

反戦自衛官事件

脚注編集

  1. ^ a b 国土地理院島面積20傑 (PDF) 」、「島面積 (PDF) 」平成26年10月1日時点。「平成21年第7回佐渡市議会定例会会議録(第5号) (PDF)
  2. ^ 国立天文台(編)「理科年表」平成19年版 P565 ISBN 4621077635、および、国土地理院 「島面積20傑 (PDF)
  3. ^ 第二次世界大戦後、占領軍であったGHQに属していた米国空軍が、当時のソ連への警戒から、金北山(きんぽくさん・標高1,172m)山頂にレーダーサイトを建設しその管轄下にあったが、1960年(昭和35年)5月、施設は、米国空軍から航空自衛隊に移管された。2010年(平成22年)より、その金北山の西隣の妙見山(みょうけんさん・標高1,042m)山頂に建設された新型レーダーサイト(ガメラレーダー、他)が稼動し、前者は、半世紀以上に渡るその役割を終えた。なお、この施設は航空自衛隊佐渡分屯基地の管轄下にあり、その庁舎は、金北山の南に位置する両尾山(むろおやま・標高510m)山頂近くにある。(参考:航空自衛隊 佐渡分屯基地
  4. ^ 小佐渡丘陵ともいう。
  5. ^ 読売新聞 2016年4月15日 33面掲載。

関連項目編集

外部リンク編集