半田町 (徳島県)
日本の徳島県美馬郡にあった町
半田町(はんだちょう)は、かつて徳島県の西部にあった町である。美馬郡に属した。
はんだちょう 半田町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 半田町、貞光町、一宇村 → つるぎ町 | ||||
現在の自治体 | つるぎ町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 徳島県 | ||||
郡 | 美馬郡 | ||||
市町村コード | 36463-1 | ||||
面積 | 51.59 km2 | ||||
総人口 |
5,249人 (推計人口、2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 |
美馬町、貞光町、一宇村 三野町、三加茂町、東祖谷山村 | ||||
半田町役場 | |||||
所在地 |
〒779-4495 徳島県美馬郡半田町字木ノ内136-1 | ||||
外部リンク | 半田町ホームページ | ||||
座標 | 北緯34度01分53秒 東経134度01分55秒 / 北緯34.03139度 東経134.03183度座標: 北緯34度01分53秒 東経134度01分55秒 / 北緯34.03139度 東経134.03183度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年3月1日、貞光町,一宇村と合併してつるぎ町となった[1]。
江戸時代には吉野川の豊富な水量を生かした水運が盛んであった[2]。
地理
編集徳島県の西部、美馬郡の西端に位置した。
隣接していた自治体
編集沿革
編集- 江戸期 - 半田村が成立。
- 明治初年 - 半田村から半田奥山村と半田口山村が分村。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、旧来の半田村と半田口山村が合併して半田村となる。半田奥山村は合併を伴わず単独村制施行。
- 1917年(大正6年)7月4日 - 半田奥山村が改称して八千代村となる。
- 1926年(大正15年)11月3日 - 半田村が町制施行して半田町(初代)となる。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 半田町大字川中島字中鳥を重清村に分離。
- 1956年(昭和31年)3月30日 - 八千代村と合併し半田町(2代)となる。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 貞光町・一宇村と合併してつるぎ町となり消滅。
歴史
編集人口の変遷
編集- 1995年 - 男:3223人・女:3548人 - 合計:6671人
- 2000年 - 男:2625人・女:2965人 - 合計:5590人
(国勢調査より)
施設
編集行政機関
編集- 社会保険庁
- 阿波半田社会保険事務所(現・日本年金機構阿波半田年金事務所)
公的機関
編集公共施設
編集教育施設
編集町内に大学・高等学校はない
- 中学校
- 半田町立半田中学校(現:つるぎ町立半田中学校)
- 小学校
- 半田町立半田小学校(現:つるぎ町立半田小学校)
- 半田町立八千代小学校(現:つるぎ町立八千代小学校)
- 廃校
- 半田町立八千代中学校
- 半田町立坂根小学校(現:つるぎ町立坂根小学校)
観光
編集特産物
編集交通
編集鉄道
編集徳島市内からは特急なら50分, 普通列車でも1時間程度で行ける。
道路
編集出身有名人
編集脚注
編集- ^ “全国麺類特集:手延べ産地トップに聞くー=半田手延べそうめん協組・小野武久氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月31日)
- ^ “乾麺特集・手延べ麺 徳島半田地区手延べ麺 生産者が独自に生産販売”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年7月26日)
- ^ “乾麺特集・第2部:徳島半田地区手延べ麺”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年4月14日)
- ^ “乾麺特集 徳島半田地区手延べ麺=「1村1品運動」の中心産業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年5月18日)
- ^ “乾麺特集 手延べそうめん産地状況 半田・半田乃糸、関西・関東でも急浸透(図付)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年3月31日)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4。