吉田冬方

鎌倉時代後期の公卿。吉田経長の三男。従二位・権中納言。

吉田 冬方(よしだ ふゆかた)は、鎌倉時代後期の公卿藤原北家勧修寺流吉田家権大納言吉田経長の三男。官位従二位権中納言

 
吉田冬方
時代 鎌倉時代後期
生誕 弘安8年(1285年
死没 不詳
改名 冬方→端昭(法名)
官位 従二位権中納言
主君 後醍醐天皇
氏族 藤原北家勧修寺流吉田家
父母 父:吉田経長、母:葉室定嗣の娘
兄弟 定房隆長冬方頼国清閑寺資房、経雅、経耀、大炊御門冬氏室、大炊御門冬氏室、二条為藤
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経歴

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元亨3年(1323年)1月13日に参議に任ぜられるが、元徳元年(1329年)9月10日に出家し端昭と号した。その後の活動については解っておらず、没年も未詳である。

吉田家(のちの甘露寺家)と北条貞顕は、貞顕が鎌倉幕府15代執権となる前、六波羅探題として在京中に互いに繋がりがあり、その中でも冬方とは深く交流したとされている。この縁により、貞顕と吉田家出身とされる薬師寺殿との間に生まれた北条貞冬に「冬」の偏諱を与えたとされている[1]

脚注

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  1. ^ 永井晋 2003, p. 19.

参考文献

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  • 永井晋『金沢貞顕』日本歴史学会編、吉川弘文館〈人物叢書〉、2003年。ISBN 4-642-05228-3