土山町北土山
土山町北土山(つちやまちょうきたつちやま)は、滋賀県甲賀市にある地名。
土山町北土山 | |
---|---|
田村神社 | |
北緯34度56分10.057秒 東経136度16分58.368秒 / 北緯34.93612694度 東経136.28288000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 滋賀県 |
市町村 | 甲賀市 |
地域 | 土山地域 |
面積 | |
• 合計 | 5.616772410 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,751人 |
• 密度 | 310人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
528-0211[3] |
市外局番 | 0748(水口MA)[4] |
ナンバープレート | 滋賀 |
地理
編集甲賀市土山町の中央に位置し、東は土山町猪鼻・土山町黒川、南は土山町南土山、西は土山町野上野、北は土山町平子・土山町青土・土山町鮎河に接する。西側に野洲川が、東側に田村川が流れる。東西に東海道、国道1号が貫通し、東海道が国道1号と交差する付近から御代参街道が分岐した。また、国道1号に滋賀県道9号大河原北土山線が北から、滋賀県道539号岩室北土山線が南からつながる。
歴史
編集886年以降、東海道(阿須波道)が、中世には伊勢大路が通じ、室町時代には鈴鹿峠を控える交通の拠点であった[5]。中世には土豪の黒川氏・頓宮氏等の支配を受けたと考えられる。なお、甲賀郡志では、南土山ともとは1村であったが1440年に岩室氏が南部を領したため、頓宮氏が領した北土山と分かれて2村となった伝承が記されている。1584年の小牧・長久手の戦いでは豊臣秀吉が土山に陣を置き、軍事拠点とした。1585年の甲賀ゆれと水口岡山城築城によりその支配下に入ったと考えられる[5]。1591年には北土山の949石余りが徳川家康の在京賄料にあてられている。1600年に幕府領となり、1601年には東海道の宿駅に指定される。東海道の北側に当地域はあり、南側の南土山村などと両側町を構成し、吉川町に土山家本陣、中町に問屋場が置かれた。
世帯数と人口
編集2019年(令和元年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
土山町北土山 | 706世帯 | 1751人 |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 甲賀市立土山小学校 | 甲賀市立土山中学校 |
交通
編集施設
編集その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ “滋賀県甲賀市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年11月20日閲覧。
- ^ a b “令和元年 世帯数・人口統計 - 2019年10月末”. 甲賀市 (2019年10月31日). 2019年11月20日閲覧。
- ^ a b “土山町北土山の郵便番号”. 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年10月22日閲覧。
- ^ a b 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). pp. 92-95
- ^ “【小中学校】 通学区域について”. 甲賀市 (2017年4月1日). 2019年10月22日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。