堀 直寛(ほり なおひろ、享保4年6月15日1719年7月31日)- 安永6年9月20日1777年10月20日))は、江戸時代中期の大名。信濃国須坂藩の第6代藩主。信濃須坂堀家6代。第5代藩主・堀直英の長男。母は第4代藩主・堀直佑の娘。正室は三宅康徳の娘於捨。子に堀直堅(長男)、市橋長恒(次男)、堀直郷(三男)、娘(平野長純正室)、娘(植村泰高室)、娘(水野忠候室のち細井勝名養女)。官位は従五位下、長門守。

享保20年(1735年)、父・直英の隠居により家督を相続した。大坂加番二条城在番を経て、延享3年(1746年大番頭宝暦元年(1751年伏見奉行を歴任した。

明和5年(1768年)、長男の直堅に家督を譲り隠居した。安永6年(1777年)没した。

系譜

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父母

正室

側室

  • カヨ
  • ソノ
  • リノ

子女