堤 為任(つつみ ためとう、1685年10月16日貞享2年9月19日) - 1717年7月29日享保2年6月21日))は、江戸時代公家堤家3代目当主。

 
堤 為任
時代 江戸時代
生誕 1685年10月16日貞享2年9月19日
死没 1717年7月29日享保2年6月21日
別名 堤光任
戒名 専徳院空山照雲
官位 正五位下、右衛門佐
主君 東山天皇中御門天皇
氏族 堤家
父母 父:堤輝長
母:水無瀬氏信の娘
堤為量、娘(堤晴長室)
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生涯

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右衛門権佐・堤輝長の子として生まれる。幼名は兼丸。1689年1月27日元禄2年1月7日)に叙爵を受けて正五位下となる[1][2]

1717年7月29日享保2年6月21日)、死去。戒名は専徳院空山照雲[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』
  2. ^ 1983年『弁官補任』
  3. ^ 町尻兼量の子ともいわれる。