堤 輝長(つつみ てるなが)は、江戸時代公家堤家2代目当主。

 
堤 輝長
時代 江戸時代
生誕 1653年4月2日承応2年3月5日
死没 1691年9月12日元禄4年8月20日
別名 中川輝長
官位 従四位下、右衛門権佐
主君 明正天皇
氏族 堤家
父母 父:中川貞長
兄弟 中川業長堤輝長、娘(稲葉正則室)
水無瀬氏信の娘
堤為任
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生涯

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甘露寺時長の弟である中川貞長の子として生まれる。延宝6年(1678年)12月26日に叙爵を受けて従五位下となり、12月28日に元服昇殿し、家名を「中川」から「堤」に改め、太宰少弐となる[1]

天和元年(1681年)10月13日に右衛門権佐となる。天和3年(1683年)12月28日に従五位上、貞享3年(1686年)1月7日に正五位下、元禄3年(1690年)1月5日に正四位下となった[1]

元禄4年(1691年)8月20日、死去。享年39[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c 『諸家伝』十二-十五、日本古典全集刊行会、1940年、p.1073