大久保忠直 (戦国武将)

大久保 忠直(おおくぼ ただなお)は、戦国時代から江戸時代初期の武将徳川氏の家臣。

 
大久保忠直
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文21年(1552年
死没 元和8年12月26日1623年1月26日
別名 通称:権十郎、荒之助、甚左衛門
戒名 日宗
墓所 長福寺(愛知県岡崎市
幕府 江戸幕府田中城番
主君 徳川家康秀忠
氏族 大久保氏
父母 大久保忠俊
兄弟 忠勝忠政本多重定室、忠吉忠豊忠益忠直黒柳正利室、蜂屋貞次室、忠岡筧正則室、忠宗大津時隆
坂部次郎左衛門の娘
忠成忠当忠景忠興佐原重蓮室、小野高盛室、大谷末久室、高尾嘉文室、松田定平
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生涯編集

元亀元年(1570年初陣となった姉川の戦いでは敵の槍を奪って返り討ちにする武功を立て、その武功を称されて「荒之助」の名乗りと金の団扇を与えられた。その団扇は以降忠直の指物となり、槍は家宝として伝わった。元亀3年(1572年一言坂の戦いでは大久保忠佐忠正らとともに殿軍を務め、直後の三方ヶ原の戦いにも参戦した。天正3年(1575年長篠の戦いでは敗走する敵兵1人を討つ。天正8年(1578年朝比奈信置の軍勢と戦った際には敵1人を討ち取ったが自らも負傷した。戦後に家康より薬を賜り、これも家宝となった。同年の色尾の合戦や、天正9年(1581年高天神城の戦いにも従軍。天正10年(1582年天正壬午の乱では北条軍の武将1騎を討ち取る。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いでは石川数正与力となって小牧山城にあり、長久手の合戦では森長可池田恒興の側近の兵をそれぞれ討った。天正18年(1590年小田原征伐に従軍。慶長5年(1600年会津征伐には槍奉行として徳川秀忠の軍に配属され、第二次上田合戦にも従った。戦後は鉄砲同心30人を預けられる。慶長7年(1602年常陸における車斯忠らの一揆の事後処理を担当。大坂の陣にはいずれも従軍した。元和5年(1619年田中城番となり、加増を受けて石高は2000石に達した。

出典編集