大野町(おおのまち)は、かつて愛知県知多郡に存在した。現在の常滑市北部に該当する。

おおのまち
大野町
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 合併
常滑町、大野町、西浦町鬼崎町三和村常滑市
現在の自治体 常滑市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
知多郡
面積 0.42km2.
総人口 4,221
(1950年10月1日[1]
隣接自治体 知多郡鬼崎町、三和村、旭町
大野町役場
所在地 愛知県知多郡大野町字十市鍛76-1
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伊勢湾に面する知多半島西側、矢田川の河口部に築かれた町であり、かつては大野湊(おおのみなと)と呼ばれて繁栄した[2]大野海水浴場は古くからの潮湯治の場であり、「日本最古の海水浴場」とされることもある[3]

歴史編集

 
大野海水浴場

平安時代頃、伊勢湾に注ぐ矢田川前山川などの下流部である大野谷には、「大野庄」という荘園が存在した。「大野庄」は現在の常滑市北部・知多市南部・阿久比町西部一帯と推測される。1350年(観応元年 / 正平5年)には一色範光大野城を築き、大野庄は伊勢湾の海運で栄えた。戦国時代のこの地域は佐治氏が支配していた。

江戸時代のこの地域は尾張藩領であり、大野湊知多半島有数の港として繁栄した[4]。1672年(寛文12年)には江戸に向けた廻船が63あり、正徳年間(1711年-1716年)には大坂に向けた廻船もあったことが記録に残っている[4]。しばしば尾張藩の藩主も大野に潮湯治に訪れており、その際には代官を務めた平野家(大野御殿)に泊っている。

近世から近代の大野は大野鍛冶でも知られており、元禄年間(1688年-1704年)には185人もの鍛冶職人がいた[4]。船鍛冶と農具鍛冶に分かれる大野鍛冶は[4]、尾張国のみならず三河国遠江国まで足を運んだ。天保年間(1830年-1844年)の大野では時計製造や酒造業も行われていた[4]大野海水浴場は江戸時代末期から明治時代に刊行された『尾張名所図会』にも描かれている[4]

明治期や大正期には、武豊港や国鉄武豊線の影響で知多半島東岸では工業が発達し、愛知電気鉄道常滑線の影響で知多半島西岸では観光業が発達した。1874年(明治7年)には大野郵便局が開設されたが、当時の知多半島では横須賀郵便局と亀崎郵便局と合わせて3つしかない郵便局の一つだった。戦前の大野は海水浴客などで栄えていたが、戦後には内海町の内海海水浴場など新興観光地に客を奪われた。

年表編集

  • 1878年(明治11年)12月28日 - 大野村、榎戸村、西之口村、蒲池村が合併し、大野村となる。
  • 1883年(明治16年) - 大野村が大野村、榎戸村、西ノ口村、蒲池村に分離する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 大野村が町制施行、大野町となる。同村以外は合併して鬼崎村(後の鬼崎町、現在の常滑市)の一部となる。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町、三和村が合併し市制施行、常滑市となる。

交通編集

 
大野町道路元標

鉄道編集

  • 名鉄常滑線大野町駅
    1912年(明治45年)には愛知電気鉄道常滑線の伝馬町駅=大野町駅間が開業。1913年(大正2年)には大野町駅=常滑駅間も開業し、神宮前駅=伝馬町駅間も開業したことで、神宮前駅と常滑駅が鉄道で結ばれた。愛電は観光客の誘致を目的として、大野町に海水浴場を開設している。1935年(昭和10年)には常滑線が名古屋鉄道の路線となった。

道路編集

娯楽編集

  • 中之島映画劇場
  • 大野劇場
    昭和30年代の映画黄金期、大野町には映画館の中之島映画劇場と大野劇場があった。1960年(昭和35年)の常滑市にはこの2館のほかに、常滑日活(市場)、常滑キネマ(市場)、常滑映画劇場(前田町)、喜久乃世映劇(鬼崎町)があった[注 1]

名所・旧跡編集

 
大野城模擬天守

出身有名人編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]

出典編集

  1. ^ 愛知県郡市町村勢要覧(愛知県総務部統計課 1951年10月刊行)
  2. ^ 大野町歴史散歩 常滑市観光協会
  3. ^ 大野海水浴場 一般社団法人愛知県観光協会、2015年7月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、1977年、p.176
  5. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。

参考文献編集

  • 佐野重造『大野町史』大野町役場、1929年。NDLJP:1210057