宝生寺 (豊後大野市)

大分県豊後大野市にある仏教寺院

宝生寺(ほうしょうじ)は、大分県豊後大野市清川町宇田枝にある臨済宗妙心寺派寺院。本尊は釈迦如来。豊後大野市指定史跡[1]。境内には約100本のイロハモミジオオモミジ等があり[2]紅葉の名所として知られる[3][4][5]

宝生寺
所在地 大分県豊後大野市清川町宇田枝1639
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年久安年間(1145年-1151年)/宝徳2年(1450年
開基 明室禅師
文化財 豊後大野市指定史跡
法人番号 7320005006383 ウィキデータを編集
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歴史 編集

寺伝によれば、久安年間(1145年-1151年)に源為朝によって建立したとされ、本堂にある十一面観音坐像は「為朝公背負の仏」と呼ばれる[6]

一方、享和3年(1803年)に完成した『豊後国志』では、大友氏第14代当主大友親隆1450年宝徳2年)に、明室禅師を開山とし、御嶽神社別当寺として創建したとされる[7]。ただし、境内の石造物にはこれより古い年代の銘が見られるため、寺は南北朝時代以前から存在しており、大友氏によって再興されたものと考えられている[1]

江戸時代には、岡藩藩主中川氏の庇護のもとで隆盛した[1]

文化財 編集

豊後大野市指定史跡 編集

  • 宝生寺 - 2005年(平成17年)3月31日指定(1988年(昭和63年)10月1日清川村指定)[1]

豊後大野市指定有形文化財 編集

  • 十一面観音坐像 - 2005年(平成17年)3月31日指定(1995年(平成7年)10月1日清川村指定)
    本堂仏壇に安置されている。像高91.3cmで、材の寄木造り。胎内の銘によれば寛文3年(1663年)に加藤清左衛門を施主として再興されたものであるが、頭部は以前の像からの転用とみられている[8]。創建当初の本尊とされる[6]
  • 宝生寺石幢 - 2005年(平成17年)3月31日指定(1988年(昭和63年)10月1日清川村指定)
    寺の入口に位置する。銘文はないが室町時代の作と推定されている。総高2.85m。この地域には珍しく平面が円形の笠・中台・幢身を持ち、龕部には六地蔵十王・俗人像が刻まれている[9]
  • 宝生寺石塔 - 2005年(平成17年)3月31日指定(1988年(昭和63年)10月1日清川村指定)
    境内にある石塔群。元徳2年(1330年)の銘がある宝塔や、応永14年(1402年)の銘がある宝篋印塔等からなる[9]

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 市指定史跡”. 豊後大野市 (2021年8月1日). 2020年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
  2. ^ “水面に映える秋色パレット 豊後大野市の宝生寺で紅葉ライトアップ”. 大分合同新聞. (2021年11月9日). オリジナルの2021年11月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211116222416/https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2021/11/09/JIT202111091157 
  3. ^ 宝生寺”. 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト. ツーリズムおおいた. 2021年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
  4. ^ a b 宝生寺”. ぶんご大野里の旅公社. 2021年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
  5. ^ きよかわ「彩」宝生寺の秋/ライトアップのお知らせ”. 豊後大野市 (2021年10月12日). 2021年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
  6. ^ a b 佐藤謹也「おおいた建物発掘隊 豊後大野市編」『建築士おおいた』2014.10 No.113、公益社団法人大分県建築士会、2014年10月27日、26-38頁、 オリジナルの2017年1月9日時点におけるアーカイブ。 
  7. ^ 豊後国志:附・箋釈豊後風土記』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 市指定有形文化財《美術工芸品》”. 豊後大野市 (2021年8月1日). 2020年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
  9. ^ a b 市指定有形文化財《建造物》(清川町・緒方町)”. 豊後大野市 (2015年2月20日). 2020年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。

外部リンク 編集