豊後清川駅

大分県豊後大野市清川町雨堤にある九州旅客鉄道の駅

豊後清川駅(ぶんごきよかわえき)は、大分県豊後大野市清川町雨堤にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線である[1]

豊後清川駅*
駅舎(2009年8月)
ぶんごきよかわ
Bungo-Kiyokawa
三重町 (6.5 km)
(4.9 km) 緒方
地図
所在地 大分県豊後大野市清川町雨堤[1]
北緯32度58分22.63秒 東経131度31分24.39秒 / 北緯32.9729528度 東経131.5234417度 / 32.9729528; 131.5234417座標: 北緯32度58分22.63秒 東経131度31分24.39秒 / 北緯32.9729528度 東経131.5234417度 / 32.9729528; 131.5234417
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 豊肥本線
キロ程 42.6 km(大分起点)
電報略号 フキ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線[1]
乗車人員
-統計年度-
64人/日(降車客含まず)
-2015年-
乗降人員
-統計年度-
131人/日
-2015年-
開業年月日 1922年大正11年)11月23日[2][3]
備考 簡易委託駅[4]
* 1990年に牧口駅から改称[5]
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歴史

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開業時の駅名である「牧口」は、開業当時に牧口村にあったことに由来する[5]。その後、1955年昭和30年)に牧口村が周辺町村と合併して清川村となった後、清川村へはどの駅で降りればよいのかという問い合わせが相次いだ[5]。そのため駅名改名の機運が高まり、1988年(昭和63年)から駅名変更促進協議会が設置されていた[5]

かつては林業が盛んであり国有林から伐採された材木を森林鉄道によって牧口貯木場まで運ばれ駅で貨車積みされ北九州や阪神地区に輸送されていた。1955年にトラック輸送に切り替わったが伐採量の減少により事業所は閉鎖された[6]

年表

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駅構造

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相対式ホーム2面2線を有する地上駅[1]。互いのホームは構内踏切で連絡している。駅舎内に簡易郵便局と物産館がある[9]

簡易委託駅であり[4]、平日のみ営業のきっぷうりばが設置されている[11]

のりば

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のりば 路線 方向 行先 備考
1 豊肥本線 下り 大分方面  
上り 豊後竹田熊本方面  
2  

利用状況

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  • 2015年度の1日平均乗車人員は64人(前年度比-5人)である。
乗車人員推移
年度 1日平均人数
2000 98
2001 97
2002 103
2003 99
2004 90
2005 94
2006 90
2007 95
2008 87
2009 82
2010 75
2011 82
2012 80
2013 79
2014 69
2015 64

駅周辺

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隣の駅

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九州旅客鉄道(JR九州)
豊肥本線
普通
三重町駅 - 豊後清川駅 - 緒方駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 『週刊 JR全駅・全車両基地』 38号 大分駅・由布院駅・田主丸駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年5月12日、25頁。 
  2. ^ a b c d 朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 27号・豊肥本線/久大本線、曽根悟(監修)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月24日、14-15頁。 
  3. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年10月、746頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  4. ^ a b c 「竹中 菅尾 きょうから無人駅 牧口」『大分合同新聞』大分合同新聞社、1983年11月30日、朝刊、9面。
  5. ^ a b c d e 「『豊後清川駅』が誕生 御嶽太鼓で祝う ″牧口駅″改称」『大分合同新聞』大分合同新聞社、1990年11月2日、17面。
  6. ^ 清川村誌刊行会 編『清川村誌』清川村、1979年、201-202頁。 
  7. ^ a b c 荘田啓介『豊肥線物語』大分合同新聞社、1987年2月、314頁。 
  8. ^ 「日本国有鉄道公示第115号」『官報』17038号、1983年11月18日。 
  9. ^ a b 「清川村物産センタ−とJR牧口駅舎 完成落成式」『大分合同新聞』大分合同新聞社、1990年6月3日、朝刊、15面。
  10. ^ 「特急投入へ工事着々」『交通新聞交通新聞社、1992年7月1日、3面。
  11. ^ 豊後清川駅”. 九州旅客鉄道. 2021年12月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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