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小久慈焼(こくじやき)は岩手県久慈市で焼かれる陶器江戸時代後期に初代熊谷甚右衛門が相馬から招いた陶工の嘉蔵に師事したことから始まった。後に甚右衛門は師の技術を修得すると、地元の粘土を発見。釉薬も独自の物を創出し、茶器なども作られた。明治時代には柳宗悦にも評価された。創始時から現代まで窯元は一つで、江戸時代以前から続く窯元としては日本最北である。6代目で途絶えそうになったところを昭和28年、久慈町(当時)が後継者育成で援助して、2019年時点では8代目である。

小久慈焼の代表的な作品は注ぎ口の長い片口である。これは醤油を口の小さな容器に移し替える時に用いられる。他にも食器や日用雑器などを焼いているが、糠白釉や飴釉、掛分釉だけを流し掛けただけの素朴な味わいが特色となっている。久慈の粘土は鉄分が少ないため、白色がきれいに出るという。近年ではJR東日本の観光列車である「TOHOKU EMOTION」(八戸線)や「TRAIN SUITE 四季島」の飲食用の器として採用されている[1]

なお、一部に久慈を領した八戸藩盛岡藩支藩)の御用窯であったと称える向きがあるが、八戸藩に御用窯があった記録は無く、盛岡藩にも小久慈に御用窯があったとの記録は無い。

脚注・出典編集

  1. ^ 以上の記述は、『日本経済新聞』朝刊2019年3月10日(NIKKEI The STYLE 10面)掲載「素朴の中の美/日常を飾る小久慈焼 唯一の窯元」に基づく。