久慈市
久慈市(くじし)は、岩手県北東部に位置する市。北上山地を背に太平洋に面する。市の中心部は久慈湾の奥部にある。
くじし 久慈市 | |||||
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| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
市町村コード | 03207-7 | ||||
法人番号 | 4000020032077 | ||||
面積 |
623.50km2 | ||||
総人口 |
30,070人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 48.2人/km2 | ||||
隣接自治体 | 九戸郡軽米町、九戸村、洋野町、野田村、下閉伊郡岩泉町、岩手郡葛巻町 | ||||
市の木 | しらかば | ||||
市の花 | つつじ | ||||
市の鳥 | うぐいす | ||||
久慈市役所 | |||||
市長 | 遠藤譲一 | ||||
所在地 |
〒028-8030 岩手県久慈市川崎町1番1号 北緯40度11分26秒 東経141度46分32秒 / 北緯40.19047度 東経141.77567度座標: 北緯40度11分26秒 東経141度46分32秒 / 北緯40.19047度 東経141.77567度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集三陸復興国立公園の北部に位置し、国内最北端の海で漁をする「北限の海女」の町。また、世界有数かつ国内最大の琥珀の採掘産地でもあり、鉱山と加工場と博物館を備える。
167万キロリットルを貯蔵する日本地下石油備蓄株式会社久慈事業所(久慈国家石油備蓄基地)には日本初の地下水族科学館「もぐらんぴあ」と石油文化ホールを併設する。もぐらんぴあは2011年(平成23年)の東日本大震災で全壊したが、タレントで魚類学者のさかなクンや全国の水族館からの支援を受け、市内駅前で「もぐらんぴあ まちなか水族館」として復活した。
文化面にも力を入れており、1999年(平成11年)2月には黒川紀章の設計で音響重視型の多目的ホールと創造型小劇場を持つ久慈市の芸術文化の総合拠点施設「アンバーホール」が開館(館長・アリオン音楽財団理事長 江戸京子)、指揮者の小澤征爾など著名人が公演している。
柔道の神様といわれた三船久蔵柔道十段の生誕の地であり、柔道が盛んである。久慈市は「柔道のまち」をキャッチフレーズに、岩手国体柔道競技の開催、久慈市立三船記念館(昭和33年開館・その後移転)を開設し、かつては久慈市が、三船十段杯国際柔道大会を開催したほか、東北地区レベルの柔道大会や強化合宿の招致を積極的に行っている。特に毎年9月に行われる三船十段杯争奪柔道大会は50年以上の歴史を持ち、東北地区から優秀な選手が久慈に集まってくる。また三船記念館柔道スポーツ少年団は東北でもトップレベルで全国的にも上位に進出している。
野球も盛んであり、各年代に渡ってアマチュア野球のレベルは高い。久慈市の社会人の野球チームと地元のスポーツ少年団の野球チームが共にレベルが高い。久慈市に本社を置く宮城建設が1970年代から2003年(平成15年)まで社会人チームを持ち都市対抗野球などで活躍、元近鉄バファローズの栗田雄介などが所属した。高校野球は1979年(昭和54年)の夏に久慈高校が甲子園に出場、1993年(平成5年)の夏には久慈商業高校が甲子園に出場して、川上憲伸を擁する徳島商業高校と死闘を演じた。近年[いつ?]は有力選手の市外流出が激しく、市内高校野球部はあまり振るわない。2012年には久慈中学校野球部が東北中学校野球大会で優勝し第34回全国中学軟式野球大会に出場した。久慈市営プールではミュンヘンオリンピックに出場する選手が強化合宿を行った。
平成25年度前期(2013年4月 - 9月放送)のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』において、ドラマの舞台の1つである架空の市「北三陸市」の場面のロケが市内各所でおこなわれたことにより、放送開始以後観光客が増加、また関連イベントも開催された[1]。2016年(平成28年)8月30日、台風10号により久慈川が氾濫し、中心市街地にあるドラマ関連の観光施設が大きな被害を受け[2]、観光の拠点である「あまちゃんハウス」は展示品の多くを廃棄したものの、翌2017年(平成29年)4月9日より営業を本格的に再開した[3]。
2006年(平成18年)12月末には長内川で日本への飛来が非常に珍しいナキハクチョウが羽を休め、全国各地から愛鳥家が観察に訪れた。
地名の由来
編集アイヌ語の「クシュ」もしくは「クジ」を語源として湾曲した砂丘を指すとする説がある。同様に茨城県の久慈や川崎市の久地も河川の蛇行域の砂地をアイヌ人がクジと呼んでいたことを語源と見る説もある[4]。なお茨城県の久慈は久自国造に見えるように、古墳時代から存在する地名である。
これとは別に、言語学者でアレン国際短期大学でも教鞭を執った日置孝次郎(元岩手大学教授)は、久慈の語源はクジラであると主張していた。
地理
編集気候
編集寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に豪雪地帯に指定されている。
梅雨から夏にかけて吹く北東風「やませ」の影響を強く受ける地域であり、8月の日平均気温は21.9℃と本州の都市としては非常に冷涼である。太平洋に面しているため、冬は岩手県内の中では雪が少なく、日照時間が比較的長い。ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属する。
- 旧久慈市
- 最高気温極値 (1976/11 - ) 36.4℃(2023年8月3日)
- 最低気温極値 (1976/11 - ) -17.7℃(1978年2月15日)
- 旧山形村地区
- 最高気温極値 (1977/10 - ) 36.4℃(2018年8月23日)
- 最低気温極値 (1977/10 - ) -21.7℃(1978年2月17日)
久慈(旧久慈市)(1991年-2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.2 (61.2) |
22.0 (71.6) |
23.3 (73.9) |
32.1 (89.8) |
33.0 (91.4) |
33.9 (93) |
35.4 (95.7) |
36.4 (97.5) |
34.8 (94.6) |
29.3 (84.7) |
26.0 (78.8) |
21.5 (70.7) |
36.4 (97.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 3.8 (38.8) |
4.4 (39.9) |
8.2 (46.8) |
13.8 (56.8) |
18.4 (65.1) |
20.5 (68.9) |
24.1 (75.4) |
26.1 (79) |
23.6 (74.5) |
18.5 (65.3) |
12.8 (55) |
6.4 (43.5) |
15.0 (59) |
日平均気温 °C (°F) | −0.5 (31.1) |
−0.2 (31.6) |
3.0 (37.4) |
8.1 (46.6) |
12.8 (55) |
16.1 (61) |
20.1 (68.2) |
21.9 (71.4) |
18.8 (65.8) |
12.8 (55) |
6.8 (44.2) |
1.7 (35.1) |
10.1 (50.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −4.7 (23.5) |
−4.9 (23.2) |
−2.0 (28.4) |
2.4 (36.3) |
7.7 (45.9) |
12.3 (54.1) |
16.9 (62.4) |
18.5 (65.3) |
14.5 (58.1) |
7.4 (45.3) |
1.4 (34.5) |
−2.7 (27.1) |
5.5 (41.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −16.5 (2.3) |
−17.7 (0.1) |
−13.3 (8.1) |
−7.1 (19.2) |
−2.3 (27.9) |
1.1 (34) |
7.0 (44.6) |
7.4 (45.3) |
3.9 (39) |
−2.6 (27.3) |
−7.0 (19.4) |
−12.3 (9.9) |
−17.7 (0.1) |
降水量 mm (inch) | 50.9 (2.004) |
49.7 (1.957) |
68.9 (2.713) |
70.9 (2.791) |
89.6 (3.528) |
121.4 (4.78) |
161.9 (6.374) |
177.9 (7.004) |
183.7 (7.232) |
135.1 (5.319) |
54.9 (2.161) |
53.9 (2.122) |
1,207.9 (47.555) |
降雪量 cm (inch) | 50 (19.7) |
61 (24) |
35 (13.8) |
2 (0.8) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
22 (8.7) |
169 (66.5) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.3 | 5.9 | 7.4 | 8.2 | 9.7 | 9.9 | 13.3 | 12.5 | 11.4 | 8.4 | 6.6 | 5.4 | 103.9 |
平均月間日照時間 | 163.2 | 151.4 | 185.0 | 190.3 | 195.4 | 159.9 | 137.4 | 149.8 | 141.9 | 154.0 | 150.0 | 151.0 | 1,936.9 |
出典:気象庁 |
山形(旧山形村)(1991年-2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 13.3 (55.9) |
17.3 (63.1) |
22.1 (71.8) |
28.5 (83.3) |
34.1 (93.4) |
33.7 (92.7) |
35.6 (96.1) |
36.4 (97.5) |
33.9 (93) |
28.7 (83.7) |
24.4 (75.9) |
20.4 (68.7) |
36.4 (97.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 1.2 (34.2) |
2.1 (35.8) |
6.3 (43.3) |
13.3 (55.9) |
19.2 (66.6) |
21.9 (71.4) |
25.3 (77.5) |
26.4 (79.5) |
22.7 (72.9) |
17.1 (62.8) |
10.8 (51.4) |
4.0 (39.2) |
14.2 (57.6) |
日平均気温 °C (°F) | −2.7 (27.1) |
−2.2 (28) |
1.3 (34.3) |
7.3 (45.1) |
12.9 (55.2) |
16.4 (61.5) |
20.3 (68.5) |
21.3 (70.3) |
17.3 (63.1) |
10.9 (51.6) |
5.2 (41.4) |
−0.2 (31.6) |
9.0 (48.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −7.2 (19) |
−7.0 (19.4) |
−3.9 (25) |
1.1 (34) |
6.4 (43.5) |
11.1 (52) |
16.2 (61.2) |
17.1 (62.8) |
12.6 (54.7) |
5.3 (41.5) |
−0.2 (31.6) |
−4.5 (23.9) |
3.9 (39) |
最低気温記録 °C (°F) | −17.8 (0) |
−21.7 (−7.1) |
−18.1 (−0.6) |
−11.6 (11.1) |
−3.7 (25.3) |
−1.0 (30.2) |
4.9 (40.8) |
4.4 (39.9) |
0.8 (33.4) |
−4.9 (23.2) |
−10.0 (14) |
−15.0 (5) |
−21.7 (−7.1) |
降水量 mm (inch) | 52.5 (2.067) |
47.5 (1.87) |
66.2 (2.606) |
64.5 (2.539) |
79.1 (3.114) |
92.0 (3.622) |
164.5 (6.476) |
172.0 (6.772) |
160.9 (6.335) |
125.0 (4.921) |
58.7 (2.311) |
62.2 (2.449) |
1,133 (44.606) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 10.7 | 10.6 | 11.8 | 10.5 | 10.8 | 10.7 | 14.2 | 12.9 | 12.3 | 11.0 | 10.4 | 11.1 | 137.1 |
平均月間日照時間 | 111.9 | 121.3 | 167.7 | 191.1 | 207.1 | 171.8 | 138.2 | 157.6 | 140.1 | 153.8 | 131.4 | 109.9 | 1,801.9 |
出典:気象庁[5] |
歴史
編集縄文時代から平安時代の平沢Ⅰ遺跡、中長内遺跡から多くの琥珀が出土し、竪穴建物内からは玉の未成品や破片などが発見され、琥珀玉工房を含む集落であることが明らかになった。また奈良県の平城京跡、藤原京跡などから久慈産の琥珀が出土していることから、久慈地方との交易があったことが推測されている。
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、現在の久慈市域を含めて糠部郡が建郡された。文治5年(1189年)藤原泰衡が滅びると奥州は源頼朝の支配下に入り、関東御家人への恩給が行われたが、糠部郡に関する記録はなく、寛元4年(1246年)北条時頼が「陸奥国糠部五戸」の地頭代職に左衛門尉平盛時を補任したことが初めてである。
元弘4年(建武元年、1334年)陸奧国府の北畠顕家は南部師行に対して信濃前司入道(二階堂行珍)の代官を久慈郡に入部させよと命じており、平泉藤原氏の時期から、現在の久慈市域(九戸郡の一部)とほぼ一致する郡域が古代閉伊郡から分離独立したものとみられる。鎌倉末期には糠部、岩手、久慈、津軽四郡など北条氏所領群の一角をなしていたと推定される。
室町期から戦国期は久慈氏の統治下にあった。諸説あるが、南部氏の勢力拡大により、久慈則信(金沢家光)が仙北金沢城(現秋田県横手市)に入部していたが、一揆により自害した。子の元信は久慈に逃れ、その子の久慈光信(大浦光信)が、安東氏の抑えとして久慈から配下の武将を率いて種里(現青森県鰺ヶ沢町)の地に入部した。光信は種里城を居城として、津軽平野に進出して大浦城(現弘前市大字五代)を築城した。のちに大浦為信も久慈氏から大浦氏の養子となりのちに弘前藩祖となった。
戦国末期の当主、久慈備前守直治は九戸信仲の三男中務政則を娘婿とした。天正19年(1591年)9月、九戸政実の乱において、豊臣秀次率いる上方軍に対して、九戸政実の陣営に加わり、九戸城籠城により奮戦したが、和議謀略により敗北、主だった首謀者達とともに栗原郡三迫岩ヶ崎(現 宮城県栗原市)に送られ、処刑され久慈氏の本宗は断絶した。現在は戦国期平山城の久慈城跡が残る。
寛永11年(1634年)盛岡藩領の糠部郡は、北郡、二戸郡、三戸郡、九戸郡に分割された。
寛文4年(1664年)に盛岡藩から八戸藩が分立され、久慈市域は八戸藩領となった。久慈地方には大量の砂鉄があり中国地方と並ぶ二大鉄産地として藩の財政を支えた。
天保4年(1833年)に起きた天保の大飢饉に際して、八戸藩は領民救済をせず、領民の一日の食料を精白しない稗三合と定め、それ以外の穀物は市場の実勢を無視し強制的にすべて藩札で安く買い上げることを布告した。天保5年(1834年)12月に入って是川村を皮切りに、久慈通・軽米通に一揆が広がり、集結した2,000人の一揆勢が久慈街道を法螺貝の音轟かせながら八戸城下鍛治町および周辺村々に結集した(稗三合一揆)。最終的には8,000人規模になっていた。一揆の訴願書には70以上の願書を出して、野村軍記の引き渡しと稗三合一件の撤回を要求した。野村軍記は起こった総百姓一揆の責任を負わされて入牢して八戸で獄死した。
大正時代に入り松方正義の五男である松方五郎の常磐商会が、日本最初の大規模な砂鉄処理工場を現在の久慈市川崎町に建設したが、操業間もなくチタンの分離に失敗して放棄した。その後、1939年に神戸川崎財閥(松方コンツェルン)の川崎重工業が久慈製鉄所を開設、のちに川崎製鉄初代社長となる西山彌太郎が所長となり、1941年にロータリーキルンによる粒鉄製造を開始した。1950年製鉄部門が独立して川崎製鉄(現・JFEスチール)となった。この年三笠宮が久慈工場(1945年に改称)を視察した。高度経済成長期に銑鋼一貫体制の千葉製鉄所に集約されたことから、1967年に久慈工場は廃止となり、現在は跡地に久慈市役所が立地し、町名で「川崎町」として残るのみである。
東日本大震災以前、1896年明治三陸津波、1933年昭和三陸津波、1960年チリ地震津波など過去にも津波が襲来した。明治三陸津波は侍浜村で最大波高26メートルとされ、旧侍浜村100人、旧久慈町400人、旧長内村125人、旧宇部村169人の死者が出ている。それらの経験から海岸部は高台集落が多い。 また、津波だけではなく、火災も多く 1918年(大正7年)に約500戸、1923年(大正12年)に約100戸、1926年(大正15年)1月に住家224戸[6]、終戦直前の1945年(昭和20年)4月には950戸が焼失する大火が起きている。この1945年の大火ではその2年前に完成した岩手県立久慈高等女学校(現在の久慈高校)校舎も焼け落ちた。また1983年(昭和58年)4月には市内南部の山林から発生した火災が拡大、海沿いの61世帯が焼け出された(久慈4.27大火)。この火災では迅速な避難伝達により死者は出なかった。
年表
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、下大川目村・長久寺村・門前村と長内村の一部(第1地割・第5地割)が合併して南九戸郡久慈町が発足。
- 明治29年(1896年)3月29日[矛盾 ][矛盾 ] - 南九戸郡と北九戸郡が合併して九戸郡が復活。九戸郡久慈町となる。
- 昭和29年(1954年)
- 平成18年(2006年)3月6日 - (旧)久慈市、山形村と合併し、新制の久慈市が発足。
東日本大震災
編集2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では久慈市内の震度は5弱だったが、この地震より波高8.6メートル、遡上高27.0メートル、河川遡上4キロメートルを記録した巨大津波に海岸部、平地部が襲われ、死者4名(うち1名は市外)、行方不明者2名が出た。建築物の被災状況は、全壊355棟、大規模半壊89棟、半壊410棟であり、小袖海岸にあった前年8月に完成した『小袖海女センター』が全壊[7]、日本地下石油備蓄久慈事業所(久慈国家石油備蓄基地)や併設する久慈地下水族科学館「もぐらんぴあ」など海岸工業地帯の施設及び工場が全半壊した。
行政
編集くじし 久慈市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
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廃止日 | 2006年3月6日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 久慈市(旧)、九戸郡山形村 → 久慈市(新) | ||||
現在の自治体 | 久慈市(新) | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
隣接自治体 | 九戸郡山形村、洋野町、野田村、下閉伊郡岩泉町 | ||||
久慈市役所 | |||||
所在地 | 岩手県 | ||||
ウィキプロジェクト |
※右記は合併前の旧・久慈市のデータ。
- 歴代市長(平成の大合併以前)
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 山内堯文 | 1954年 | 1978年 | 6期 |
2 | 久慈義巳 | 1978年 | 1979年 | 1期 |
3 | 久慈義昭 | 1979年 | 2003年 | 6期 |
4 | 山内隆文 | 2003年 | 2006年 | 1期 |
- 歴代市長(平成の大合併以後)
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 山内隆文 | 2006年 | 2014年 | 2期 |
2 | 遠藤譲一 | 2014年 |
- 市庁舎
- 山形総合支所(旧山形村役場)
市議会
編集産業
編集- 主な産業
- 主な企業
金融機関
編集- 岩手銀行久慈支店(2019年7月久慈中央支店内に移転)、久慈中央支店
- 東北銀行久慈支店
- 北日本銀行久慈支店
- みちのく銀行久慈支店
- 盛岡信用金庫久慈支店
- 東北労働金庫久慈支店
- JAバンク
- JFマリンバンク
- ゆうちょ銀行
マスメディア
編集このほかにも全国紙・地元テレビ局の通信員がいる。
姉妹都市・提携都市
編集海外
編集地域
編集人口
編集久慈市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 久慈市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 久慈市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
久慈市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.34%減の35,642人であり、増減率は県下33市町村中7位。
教育
編集高等学校
編集県立
私立
- 鹿島学園高等学校久慈キャンパス
※以下は廃校(新制 久慈市以降)
- 岩手県立久慈高等学校山形校(2008年・久慈高へ統合)
中学校
編集- 久慈市立久慈中学校
- 久慈市立長内中学校
- 久慈市立大川目中学校
- 久慈市立夏井中学校
- 久慈市立侍浜中学校
- 久慈市立宇部中学校
- 久慈市立三崎中学校
- 久慈市立山形中学校
※以下は廃校(新制 久慈市以降)
- 久慈市立霜畑中学校(2009年・山形中へ統合)
- 久慈市立麦生中学校(同年・侍浜中と夏井中へ分割統合)
- 久慈市立山根中学校(2014年・長内中へ統合)
小学校
編集- 久慈市立久慈小学校
- 久慈市立久慈湊小学校
- 久慈市立長内小学校
- 久慈市立小久慈小学校
- 久慈市立大川目小学校
- 久慈市立夏井小学校
- 久慈市立平山小学校
- 久慈市立侍浜小学校
- 久慈市立宇部小学校
- 久慈市立久喜小学校
- 久慈市立小袖小学校
- 久慈市立山形小学校
- 久慈市立来内小学校
※以下は廃校(新制 久慈市以降)
- 久慈市立麦生小学校(2009年・平山小へ統合)
- 久慈市立枝成沢小学校(2010年・久慈小へ統合)
- 久慈市立日野沢小学校(2011年・山形小へ統合)
- 久慈市立繫小学校(同上)
- 久慈市立戸呂町小学校(2012年・同上)
- 久慈市立荷軽部小学校(同上)
- 久慈市立侍浜小学校角柄分校(2013年・侍浜小へ統合)
- 久慈市立山根小学校(2014年・小久慈小へ統合)
- 久慈市立小国小学校(2018年・山形小へ統合)
- 久慈市立霜畑小学校(2021年・同上)
※以下は廃校(新制 久慈市以前)
- 久慈市立宇部小学校小倉分校(昭和48年・宇部小本校へ統合)
特別支援学校
編集
大学入学共通テストの試験場は、出願時、当市に所在する高校に在学しているか、または、現住所が当市にある受験生の場合、青森県が試験地区となり、青森県にある試験場が指定される。
郵便
編集- 関郵便局
- 久慈湊郵便局
- 大川目郵便局
- 小久慈郵便局
- 久慈長内郵便局
- 玉の脇簡易郵便局
- 荷軽部簡易郵便局
- 戸呂町簡易郵便局
- 久喜簡易郵便局
- 幸町簡易郵便局
- 夏井簡易郵便局(閉鎖中)
※以下は廃止
- 小袖簡易郵便局(2020年)
- 久慈支店:028-00xx、028-80xx(以上、旧032)
- 久慈支店侍浜集配センター:028-78xx(旧039-14)
- 久慈支店宇部集配センター:028-81xx(旧032-01)
- 久慈支店山根集配センター:028-85xx(旧032-05)
- 久慈支店陸中山形集配センター:028-86xx(旧032-07)、028-87xx(旧032-08)
交通
編集鉄道路線
編集バス
編集高速バス
編集路線バス
編集道路
編集高規格幹線道路(一般国道自動車専用道路)
編集一般国道
編集県道
編集主要地方道
編集一般県道
編集港湾
編集漁港
編集名所・旧跡・観光スポット
編集- 舟渡海水浴場
- 小袖海岸 - 北限の海女の拠点、『あまちゃん』ロケ地(袖が浜の灯台)
- 久慈駅前デパート - 『あまちゃん』ロケ地(北三陸市観光協会)
- 三陸鉄道久慈駅 - 『あまちゃん』ロケ地(北三陸鉄道北三陸駅)
- 侍浜岩場海水プール - 『あまちゃん』ロケ地
- つりがね洞
- 長泉寺の大イチョウ
- 久慈渓流
- 不老の泉
- もぐらんぴあ
- 三船十段記念館
- 久慈琥珀博物館
- 小久慈焼
- たたら館
- 新山根温泉 べっぴんの湯
- 久慈城跡(市指定史跡)
- 北侍浜野営場
- アンバーホール
- 長内渓流
- 牛島
- 久慈平庭高原県立自然公園
- 内間木洞
- バッタリー村
- 山根六郷 - にほんの里100選
- 道の駅くじ やませ土風館
- 久慈市歴史民俗資料室
祭事・催事
編集600年以上の歴史をもつ久慈秋祭りが9月第3金曜日から日曜日の3日間盛大に行われ、大勢の観光客が訪れる。200年の歴史を持つ小久慈焼きの窯元では、毎年5月に開催される「小久慈焼陶芸まつり」が盛況。
- 平庭高原スキー場まつり(2月)
- 水車まつり(5月)
- 小久慈焼陶芸まつり
- 琥珀まつり・千樹祭(5月)
- 平庭高原つつじ祭り(6月)
- 内間木洞まつり(2月・7月)
- 久慈みなと・さかなまつり(7月)
- 久慈大神宮胎内くぐり(7月)
- ガタゴン祭(8月)
- 平庭闘牛大会しらかば場所(8月)
- やませあきんど祭り(8月)
- 久慈納涼花火大会・灯籠流し(8月)
- 北限の海女フェスティバル(8月)
- 久慈秋祭(9月)
- 久慈地方産業祭(10月)
- 平庭闘牛大会もみじ場所(10月)
- ぐれっと山形街道祭・平庭市大感謝祭(10月)
- 滝ダム湖遊覧船就航(4月 - )
- まちの市日(毎月3と8のつく日)
- 山根六郷くるま市(4月 - 12月)
- 二子朝市(6月 - 12月)
- 平庭市(6月 - 10月)
- 北三陸くじ冬の市(11月 - 2月)
著名な出身者
編集武将
編集政治家
編集実業家
編集スポーツ
編集柔道
編集- 柏崎克彦(国際武道大学教授 柔道世界選手権 金メダリスト)
- 昆野睦武(明治時代柔道とボクシングの異種格闘技戦を行った柔道家)
- 晴山福一郎(教育者・柔道家)
- 三船久蔵(講道館柔道十段。柔道の神様と称された)
相撲
編集格闘技
編集- 扇久保博正(総合格闘家)
- 大向美智子(女子プロレスラー)
- バンビ_(プロレスラー)(女子プロレスラー)
野球
編集騎手
編集詩人・歌人
編集- 小田観螢 (歌人)
演奏家
編集宗教
編集俳優・歌手
編集アナウンサー
編集放送関係
編集- 日沢信哉(放送作家)
海洋業
編集漫画家
編集名誉市民
編集久慈市を舞台・モデルにした作品
編集- ラジオドラマ『北限の海女』 - 1959年(昭和34年)11月27日にNHKラジオ第1放送において放送されたラジオドラマ(原作:水木洋子、出演:荒木道子・原泉・賀原夏子)。北限の海女が全国的に注目されるきっかけをつくった。
- 『ロマンチック街道・恋に落ちて』 - 1988年 TBS において放送されたドラマ。久慈市を舞台に仕事一筋のサラリーマンが旅行中に巻き起こすラブコメディ。主演:草刈正雄、ディレクター・監督:森田光則。
- 鉄道むすめ - トミーテックから女性運転士にして久慈をモデルとしたキャラクター「久慈ありす」が登場している。
- 『伊藤の話』 - 2007年公開の映画。主演:温水洋一。原作は小泉八雲『伊藤則資の話』。八戸大学に赴任した教授の周囲で不思議な出来事が頻発し、その根源が久慈市の琥珀館にあるという設定。
- 『あまちゃん』 - 2013年度前期(4月 - 9月)放送のNHK連続テレビ小説。「北三陸市」として作中に登場。
- 『陸奥のみち、肥薩のみちほか』 - 司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』第3巻。飛行機で東京から八戸に飛び、八戸に1泊後、久慈街道を経て久慈に至る。
- 『冬を待つ城』 - 安部龍太郎の小説。豊臣秀吉天下統一最後の戦い九戸政実の乱を、九戸政実の弟で久慈城主の久慈政則を主人公に描く。
- 『みちのくの道の先』 -目黒安子によるタマシン・アレンの伝記。久慈における教育と福祉に人生をささげた米国人教育者タマシン・アレンの生涯を描く。
脚注
編集- ^ なるか、三陸鉄道の脱「あまちゃん頼み」観光客は23倍だが、黒字化は…??
- ^ 台風被害のあまちゃんハウス、再開見通せず 観光に打撃
- ^ 岩手)あまちゃんハウスが本格再開 入館10万人も達成
- ^ 久慈市役所ホームページ
- ^ “久慈(旧山形村) 1991-2020年”. 気象庁 (March 2024). 2024年3月29日閲覧。
- ^ 久慈で大火、四百四十戸焼く『東京日日新聞』大正15年1月25日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p25 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「北限の海女」の拠点施設も痛手--岩手・久慈の小袖海岸毎日新聞 2011年4月1日
- ^ “議員定数4減案を可決”. 久慈市. 2019年7月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ くじぎかい
- ^ 『広報もりおか』2011年11月1日号 p.16 もりおか寸評 volume.475