小島 鉦作(こじま しょうさく、1901年明治34年)4月13日[1] - 1996年平成8年)8月29日)は、日本歴史学者成蹊大学名誉教授愛知県出身。

人物・略歴

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1901年(明治34年)、愛知県愛知郡天白村(現在の名古屋市天白区)に小島万太郎の子として生れる[1]1919年大正8年)に愛知県立第五中学校(現在の愛知県立瑞陵高等学校)卒業、1923年(大正12年)3月に神宮皇學館本科を卒業[2]と同時に神宮文庫司書兼神宮皇學館助手に任じられる[3]。同年12月、一年志願兵として名古屋歩兵第六連隊に入隊、終えて東京帝國大學史料編纂業務嘱託、その後同大学史料編纂官補。

小島家は代々、熱田神宮大宮司領の庄屋として村方役をつとめ、父も鉦作が熱田神宮の神職になることを期待していた。しかし、神宮皇學館在学中に館長上田萬年教授竹島寛等の勧めがあって、東京に出て史料編纂所につとめるに至ったという。

1941年昭和16年)からは『大日本史料』第五編部長(鎌倉時代担当)となる。1943年(昭和18年)、成蹊高等学校教授に転じ、1949年(昭和24年)成蹊大学政治経済学部教授、1969年(昭和44年)退官にあたり名誉教授。この間、1961年(昭和36年)、「神社領知制の研究」により東京大学から文学博士の学位を授与される[4]。成蹊大学を退いた後は、1970年から立正大学教授として1976年(昭和51年)まで務めた。1974年(昭和49年)、勲三等瑞宝章受章。1996年逝去。

専門は、日本中世史・神社史・社会経済史で、特に学位論文でもある「神社領知制の研究」に代表されるように、神社荘園化して荘園的機能を果たしたいわゆる「神社領知制」の研究という新しい分野を開拓した。神社史に関する史料編纂にも多く関わっており、大神宮史料蒐集嘱託をはじめ、官幣大社稲荷神社由緒調査嘱託として『稲荷神社史料』第五編、熱田神宮史編修委員(のち委員長)として『熱田神宮文書』『熱田神宮史料』、宗像神社史編纂委員長として『宗像神社史』の編纂に従事している。

著書

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  • 『小島鉦作著作集』 吉川弘文館、1985-1995
    • (1)神社領知制の研究
    • (2)伊勢神宮史の研究
    • (3)神社の社会経済史的研究
全7巻の予定であったが、事情により全3巻をもって終刊。

参考文献

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  • 桃裕行「小島鉦作先生のこと」『立正大学文学部論叢』第56号、立正大学文学部、1976年9月、3-8頁、NAID 120005421305 

脚注

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  1. ^ a b 桃裕行 1976
  2. ^ 神宮皇學館一覧 自大正13年4月至大正14年3月』神宮皇學館、1925年3月、113頁。 
  3. ^ 神宮皇學館五十年史』神宮皇學館、1932年7月、214頁。 
  4. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2020年7月2日閲覧。