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小川城 (駿河国)

静岡県焼津市の城跡

小川城(こがわじょう)は、静岡県焼津市小川5丁目付近にあった日本の城平城)。

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小川城
静岡県
別名 法永長者屋敷
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 長谷川氏
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 長谷川政宣(法永長者)・長谷川元長長谷川正長
廃城年 不明
遺構 曲輪
指定文化財 なし
登録文化財 なし
再建造物 なし、標柱、解説板あり。
位置
地図
小川城の位置(静岡県内)
小川城
小川城

概要編集

静岡県中部、瀬戸川大井川などの複数の河川により形成された志太平野沖積低地に所在する平城である。城主「法永長者(法永居士)」とは、『今川記』に「山西の有徳人(西駿河の富豪)」と書かれた長谷川次郎左衛門政宣で、城の南東・黒石川河口にある小川湊の物流を管轄し栄えていたと考えられている[1]

政宣は、1476年文明8年)、駿河国守護今川義忠が塩買坂(菊川市)で討死し、義忠の嫡男・龍王丸(後の今川氏親)と小鹿範満による家督争いが勃発した際、伊勢盛時(北条早雲)の執り成しにより龍王丸とその母・北川殿を一時的に保護し、これ以降今川氏被官となった[2]長谷川元長の代の1526年大永6年)には、連歌師宗長を城に招き連歌会を催した記録がある(『宗長日記』)[3]

道場田・小川城遺跡編集

城跡は水田地帯となっていたが、1979年昭和54年)から、当地での土地区画整理事業に伴う発掘調査が行われ、小川城の遺構が検出された[4]。城跡だけでなく、下層に古墳時代5世紀後半)の小区画水田遺構や遺物包含層を持つため、「道場田・小川城遺跡」と呼ばれる[5]。城は長辺約150メートル、短辺約90メートルの長方形をした単槨式城館で、幅15メートルのが四方を巡り、土橋状の虎口も検出された。堀の内部は少なくとも3つの区画に分かれ、その内の一区画では南向きの掘立柱建物が見つかり、主殿と見られている。周辺からは15世紀後半から16世紀前半にかけての陶器や、中国大陸からの輸入青磁など贅沢品を含む遺物が出土し、城外の集落遺構と比べて出土品の質の差が大きく、長谷川氏の繁栄を物語るものだったという[6]

脚注編集

  1. ^ 平井ほか 1979 pp.127
  2. ^ 平井ほか 1979 pp.127
  3. ^ 河合 2008 pp.99
  4. ^ 水野 2012 pp.190
  5. ^ 滝沢 2008 pp.92-93
  6. ^ 河合 2008 pp.99

参考文献編集

  • 平井聖ほか編修 1979 「小川城」『日本城郭大系第9巻 静岡・愛知・岐阜』新人物往来社 pp.126-127
  • 滝沢誠 2008 「古墳時代の小区画水田」『焼津の歴史あれこれ』焼津市史編さん委員会 pp.92-93
  • 河合修 2008 「中世の館 小川城」『焼津の歴史あれこれ』焼津市史編さん委員会 pp.98-99
  • 水野茂 2012 「小川城」『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』『静岡県の城跡』編纂委員会 pp.190