メインメニューを開く
この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。

小金井 芦州(こがねい ろしゅう)は、講釈師名跡。旧字体を小金井蘆州。

目次

初代編集

本名:小林太郎兵衛、寛政11年(1799年) - 文久3年12月5日1864年1月13日)。最初は初代東流斎馬琴の門で琴荘、その後初代桃林斎東玉の門下で玉梅、北峨、北叟、鏑井芦洲、鏑井北梅から小金井派を作り小金井北梅となる。後に芦州となった。短編の創作に秀でた。また狂歌師、俳人親しみ、狂歌名では小金の馬成、俳号は玉梅遅開運人。

2代目編集

本名:岡田後の小金井亀之助、嘉永元年8月2日1848年8月30日) - 明治41年(1908年5月3日。享年61。

修羅場読みの名手。軍談物を読んだ事で知られる。武家の出で浅草観音裏の六郷邸内で生まれた。幼少より芸事が好きで講釈場で客の呼び込みやもぎり、茶番などをしているときに人気になり「亀小僧」呼ばれ人気に目を付けた席亭の勧めで講談の世界に入った、初代田辺南龍門で龍子。その後田辺北州。1857年に南龍死去に伴い初代の鏑井北梅の門下で小金井北州。北梅死後、初代宝井琴凌の世話となり1867年に初代の遺言で2代目小金井芦州を襲名した。1886年より講談組合の頭取を選任され永く勤めた。

得意ネタは「川中島」「日蓮記」等をよく読んだ。修羅場読みの名人。弟子は一切受け付けなかった。

3代目編集

本名:秋元 格之助(あきもと かくのすけ)、1873年(明治6年)7月9日 - 1925年大正14年)7月11日

東京神田の生まれ、父は旧鳥羽藩士。最初は蓁々斎桃葉(元落語家3代目人情亭錦紅)に入門し蓁々亭葉生を名乗った。3代目神田伯龍門下に移り神田伯鯉を経て1903年4代目神田伯龍を襲名した。しかし、講釈界内の対立に際して松鯉らと対立する宝井馬琴らに付いたために伯龍の名を没収され、馬琴門下に移り3代目西尾麟慶を経て2代目芦州の死後、1911年に3代目小金井芦州を襲名した。面長で「間延び」「馬面」と渾名された。また大酒呑みで寄席をドタキャンするなどトラブル・ずぼらも多く「ずぼらの師団長」の渾名もあった。

「塩原多助」「鼠小僧次郎吉」等得意とした。

無名時代の5代目古今亭志ん生は、3代目小金井芦州最晩年から没後にかけての5ケ月ほどの短期間だったが小金井芦風の名で弟子であった(一説には落語家兼業。古今亭志ん生 (5代目)#改名遍歴参照。)。

4代目編集

本名:松村 伝次郎、1888年(明治21年)12月6日 - 1949年昭和24年)1月8日没、享年62歳。

東京浅草の生まれ、3代目神田伯龍の子息。将来は父の名跡を継ぐ心算で父の弟子の神田伯鯉(後の4代目神田伯龍)に1905年(明治38年)11月6日入門。神田龍子を名乗ったが師匠の伯龍が神田系の内紛で神田姓を捨て3代目西尾麟慶(後の3代目小金井芦州)となったため、西尾慶昇西尾麟生、初代宝井馬秀(一時馬秋に変えてたがすぐまた馬秀に戻した)を経て、2代目西尾小麟慶で真打披露。1911年(明治44年)に4代目西尾麟慶を経て1936年(昭和11年)に4代目小金井芦州を襲名。

世話講談を得意とした。中でも「鼠小僧次郎吉」「大岡裁き」「天保六花撰」を得意とした他に、持ちネタの多さは随一で浪曲師、落語家まで多くのネタをもらった。黄牛の道満をはじめ創作に秀で話のネタを多数残し、没後の新聞記事で多くの話ネタがあの世に持ち去られたと書かれていた。菩提寺は三河島の浄正寺。

5代目編集

本名:上野 正吉(うえの しょうきち)、1877年(明治10年)11月1日 - 1961年(昭和36年)6月14日

東京浅草の生まれ、長らく小間物屋(化粧品店)を営んでいたが30代のころは鶴葉といった、40歳という中年から大島小伯鶴の門で南船北馬、4代目芦州の門へ移り西尾慶昇、4代目宝井馬琴に預けられ宝井馬秀、小金井馬秀を経て1950年に5代目小金井芦州を襲名。1958年、4代目芦州の家族から苦情で名跡を返上し3代目小金井桜州に改名。

「半七捕物帳」「藪原検校」「塩原多助」などを得意とした。

6代目編集

本名:岩間虎雄、1926年(大正15年)12月21日 - 2003年(平成15年)6月29日、東京生まれ。

立川談志は6代目を「最後の講釈師」と称した。

参考「小金井芦州啖呵を切る」https://kodan.exblog.jp/芦州の聞き書き