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峯木 十一郎(みねき といちろう、1894年明治27年)6月11日[1][2] - 1980年昭和55年)10月21日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

目次

経歴編集

新潟県出身[1][2][3]。峯木矩陽の六男として生まれる[1]。村上中学校(現新潟県立村上高等学校)卒業を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第2連隊付となる[1][4]1920年(大正9年)8月から1921年(大正10年)7月までシベリア出兵に従軍した[1]。1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を卒業し歩兵第26連隊中隊長に発令された[1][2][3]

以後、陸軍省軍務局付勤務、同局課員、第5師団参謀歩兵第14連隊大隊長、第11師団参謀、陸大研究部主事兼参謀本部付、陸大教官などを務め、1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進した[1][3]。同年9月、第21軍参謀として日中戦争に出征[1][2][3]歩兵第27連隊留守隊長、歩兵第221連隊長、第54師団参謀長などを歴任し、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級[1][3]

1942年(昭和17年)10月、北海守備隊司令官として太平洋戦争に出征[1][2][3]。1943年 (昭和18年)駐屯していたキスカ島からキスカ島撤退作戦により撤退した。同年8月、北方軍司令部付となり、第7歩兵団長、海上機動第4旅団長、樺太混成旅団長を歴任し、 1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、新設の第88師団長に就任した[1][2][3]。同年8月、樺太の戦い自衛戦争を遂行した[2]。その後、シベリア抑留となり、1956年(昭和31年)12月に復員した[1]

親族編集

  • 兄 峯木茂(海軍少佐)[1]

伝記編集

  • 新潟県偕行会編『北海に捧げて : 陸軍中将峯木十一郎追悼録』新潟県偕行会、1981年。

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、154頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』699頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』392頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』388、392頁。

参考文献編集

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。