平島館
日本の城
平島館(ひらしまやかた)は、阿波国平島庄古津村(現徳島県阿南市那賀川町古津字居)にあった日本の城(館)。別名は阿波公方館。
平島館 (徳島県) | |
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城郭構造 | 居館 |
築城主 | 足利義維 |
築城年 | 天文3年(1534年) |
主な城主 | 足利氏 |
遺構 | 移築門、移築書院 |
位置 | 北緯33度57分7.32秒 東経134度39分18.53秒 / 北緯33.9520333度 東経134.6551472度座標: 北緯33度57分7.32秒 東経134度39分18.53秒 / 北緯33.9520333度 東経134.6551472度 |
地図 |
歴史
編集天文3年(1534年)に足利義維(義冬)が阿波守護・細川持隆に招かれ3000貫の所領を得て西光寺に入った。その後永禄年間に平島塁を修築して平島館に移った[1]。9代平島公方・足利義根が文化2年(1805年)に京都へ移るまでの270年間、歴代平島公方が居住した。
江戸時代に入り、蜂須賀家政が阿波国に入国すると、蜂須賀氏は平島公方を軽視し、3000貫の所領から100石にまで削減され(しかも名目上は茶料で「領地」としては認められていない)、4代義次を平島又八郎と名乗らせるなど、旧将軍家の権威を認めなかった。足利義根の阿波立ち退き後、その遺構のいくつかは、阿波各地に移築されるなどした。
館跡は、館付近の農民が農地などにしたが、地名だけはそのままにするなど大事に保ってきたので、その地の地名だけでもかつてをしのぶことが出来る。
現在は、主館のあたりが阿南市立阿波公方・民俗資料館となっている。またそれは、ふるさと創生事業で創設されたものである。
歴代の主な館主
編集主な移築先
編集他
脚注
編集- ^ 羽ノ浦町史編さん委員会「羽ノ浦町史 歴史編 第一巻」1998年3月30日、p.262