平島 (北海道稚内市)

北海道稚内市にある無人島

平島(ひらしま)は、北海道宗谷湾にある無人島[2]。面積は0.002平方キロメートル[1]

平島
宗谷岬の北西に浮かぶ弁天島と平島
所在地 日本北海道
所在海域 日本海
座標 北緯45度31分22秒 東経141度55分27秒 / 北緯45.52278度 東経141.92417度 / 45.52278; 141.92417座標: 北緯45度31分22秒 東経141度55分27秒 / 北緯45.52278度 東経141.92417度 / 45.52278; 141.92417
面積 0.002[1] km²
海岸線長 0.2 km
平島 (北海道稚内市)の位置(北海道内)
平島 (北海道稚内市)
     
プロジェクト 地形
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周囲約200mほどの平坦な島。島全体が玄武岩の貫入体である[3]。北西約700メートル沖合には、日本最北端の弁天島がある[3]アイヌ語では「カモメの床」を意味するマシソと呼ばれ、多数のカモメが止まる島であることを表した地名とされる[4]。一帯はコンブ、ウニが豊富な暗礁帯であり、海鳥も多い[3]

地誌 編集

「宗谷」の由来 編集

稚内市の中心部から海岸沿いに東へ6キロメートルほどいくと珊内地区があり、その沖合に平島、弁天島がある[5]。珊内からこれらの島までは、海底に岩場が連なっており、蝦夷地交易のもっとも古い時期にはここに交易地が置かれていた。当時は一帯をアイヌ語で「ソーヤ」(so-ya)と称し、これは「磯岩の岸」「岩嶼」の意味だったと考えられている[5][注 1]

のちに交易場所は南西の「ウェントマリ」(アイヌ語で「悪い泊地」の意、現在の宗谷漁港)に移されたが、その名を嫌って「ヒリカトマリ」(「ピリカトマリ」は「良い泊地」の意味)と呼ばれたこともあったが、「ソーヤ」の名称をあてるようになった[5]

近世の史料 編集

文政4年(1821年)の『大日本沿海輿地全図』では、弁天島にあたる「シヨーヤ」の南に岩礁群を描いている[6]嘉永7年(1854年)刊行の『蝦夷地全図』では、「宗谷」の沖に2つの島が描かれている[7]安政3年(1856年)に松浦武四郎が行った調査の記録である「手控」では、弁天島にあたる「ホンモシリ」の南に平坦な島を描いている[8]。ただしいずれの史料においても、島の名称は記載されていない。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「ソーヤ(so-ya)」という地名は北海道の海岸地帯にはよくある地名で、襟裳岬の東にある「庶野」も同じ語源とされている[5]

出典 編集

  1. ^ a b 『日本の島事典』p214
  2. ^ 『日本地名大辞典 1 北海道 上巻(角川日本地名大辞典)』,p629「珊内」
  3. ^ a b c 『日本の島ガイド SHIMADAS』p22
  4. ^ 更科源蔵・更科光『コタン生物記3 野鳥・水鳥・昆虫篇』法政大学出版局、1977年、690頁。
  5. ^ a b c d 『北海道の地名』p163-165
  6. ^ 第十二号蝦夷之部北見之内宗谷郡 海上保安庁海洋情報部
  7. ^ 高倉新一郎 編著『北海道古地図集成』北海道出版企画センター、1987年、111頁。
  8. ^ 秋葉実 翻刻編『松浦武四郎選集 三』北海道出版企画センター、2001年、300頁。

参考文献 編集