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広橋 兼綱(ひろはし かねつな)は南北朝時代の公卿。従一位准大臣瑞雲院と号す。勘解由小路兼綱とも。贈左大臣。崇賢門院仲子の養父。崇賢門院を養女とした[1]ことにより、広橋家では初めて権大納言に任ぜられ、従一位准大臣に至った。父は権中納言広橋光業。母は坊門俊輔の娘。子は仲光、忠業、綱厳、崇賢門院広橋仲子。

 
広橋兼綱
時代 南北朝時代
生誕 正和4年(1315年
死没 永徳元年/弘和元年9月26日1381年10月14日
別名 瑞雲院、勘解由小路
官位 従一位准大臣権大納言按察使
主君 後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 藤原北家日野流広橋家
父母 父:広橋光業、母:坊門俊輔の娘
兄弟 兼綱、兼名、女子
仲光、忠業、綱厳、広橋仲子
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目次

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

皇室と足利将軍家の縁戚となる編集

兼綱が養女とした広橋仲子は石清水八幡宮検校法印の善法寺通清の娘であり、足利義満の母紀良子の姉妹である。仲子は後円融天皇の生母であり、後円融天皇と足利義満は同い年である。このように、兼綱は皇室と足利将軍家の両方の外戚となったわけである。よって、四辻善成の姉か妹である智泉尼聖通が仲子と良子の母であり、この縁戚関係から善成が従一位准大臣、さらに内大臣、左大臣に至ったことと同様の処遇を受けて、兼綱は従一位准大臣となったのである。

脚注編集

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  1. ^ 仲子を養女とした時期は不明。
  2. ^ 広橋家では初の権大納言である。
  3. ^ 同年10月10日、薨奏。廃朝3日という。

参考文献編集

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※文和3年/正平9年(1354年)に兼綱が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「広橋兼綱」の項。
  • 今谷明『室町の王権―足利義満の王権簒奪計画』、中公新書
  • 横井清『室町時代の一皇族の生涯―『看聞御記』の世界』、講談社学術文庫