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広橋家廣橋家、ひろはしけ)は、名家家格を有する公家藤原北家日野流鎌倉時代初期に日野資実の弟の頼資によって創立された[1]。名家は大納言極官とするのが原則だが、歴代のうち兼綱兼宣綱光守光兼賢勝胤伊光光成の8人が准大臣に昇っている。また、室町時代から江戸時代にかけては幕府との折衝役を務める者が多く、特に江戸時代には武家伝奏役を多数輩出した。江戸時代の家禄は850

広橋家
家紋
むかいつる
対い鶴
本姓 藤原北家日野流庶流
家祖 広橋頼資
種別 公家名家
華族伯爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京府
著名な人物 広橋兼勝
広橋局
広橋真光
支流、分家 竹屋家名家
日野西家(名家)
南家奈良華族
凡例 / Category:日本の氏族

家業は文学。同家に伝来した中世写本は数多く、東洋文庫にまとまって所蔵される。当初は勘解由小路とも号し(江戸時代に日野流烏丸家から分かれた勘解由小路家とは別)、初代頼資の孫兼仲の日記は『勘仲記』と呼ばれている。

明治17年(1884年7月8日賢光伯爵に叙せられる。賢光は内務省に入省し、内閣記録局長を経て、帝室制度調査局御用掛を務めた。

賢光の嫡男真光近衛文麿首相の元で内閣総理大臣秘書官を務め、昭和22年(1947年)には38日間千葉県知事を務めた。夫人は梨本宮守正王の第2王女規子女王。李方子は義姉に当たる。真光の二男儀光は一時期梨本家を継いでいる[2]

目次

系図編集

幕末の領地編集

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の広橋家領は以下の通り。(11村・858石2合8勺)

  • 山城国愛宕郡千本廻りのうち - 31石1升9合
  • 山城国愛宕郡花園村のうち - 18石8斗5升5合
  • 山城国葛野郡西院領のうち - 6石4斗7升6合
  • 山城国葛野郡西京村のうち - 2石3斗4升5合
  • 山城国葛野郡下津林村のうち - 149石6斗2升
  • 山城国葛野郡東梅津村のうち - 190石4斗
  • 山城国葛野郡西梅津村のうち - 88石1斗5升
  • 山城国葛野郡原村のうち - 64石3升1合
  • 山城国葛野郡聚楽廻りのうち - 42石3斗6合8勺
  • 山城国乙訓郡大原野村のうち - 200石
  • 山城国紀伊郡吉祥院村のうち - 64石8斗

脚注編集

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  1. ^ 公卿類別譜(公家の歴史)広橋 (日本語)
  2. ^ 広橋家(名家) (日本語)
  3. ^ 竹屋兼俊の1男。
  4. ^ 町広光の子。
  5. ^ 町広光の2男。
  6. ^ 母は広橋綱光の娘。
  7. ^ 冷泉為和の子。
  8. ^ 豊岡和資の子。
  9. ^ 竹屋光昭の2男。

参考文献編集

外部リンク編集