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弘文学院(改名以前は亦楽書院)は、明治期の日本にあった、清国からの留学生のための教育機関である。

概説編集

1896年(明治29年)、清朝政府は留学生派遣に際し日本政府に対しその教育を依頼した[1]。日本側は高等師範学校校長であった柔道家であり教育家でもあった嘉納治五郎にこれを一任した[1]。嘉納は民家を借りて日本語や数学・理科・体操などの教科を教えた[1]。この塾が1902年に中国留学生専門の予備校へと発展した[1]作家魯迅もこの弘文学院普通科で2年間学んでいる[1]1903年(明治36年)乾隆帝の諱の「弘暦」の「弘」を避諱して、宏文学院と名称を改めた。1909年(明治42年)閉校。

出身者編集

出典編集

  1. ^ a b c d e 藤井(2011年)52ページ

参考文献編集

  • 藤井省三『魯迅-東アジアを生きる文学』(2011年)岩波新書