成田修造

日本の起業家 (1989-)

成田 修造(なりた しゅうぞう、1989年7月3日 - )は、起業家エンジェル投資家、『リンクウェル』『ビビッドガーデン』社外取締役、『デジタルレシピ』顧問、『Leaner』『Chompy』共同創業、元クラウドワークス取締役副社長兼COO(最高執行責任者)。東京都北区出身、慶應義塾大学経済学部卒業、二児の父。

なりた しゅうぞう

成田 修造
生誕 (1989-07-03) 1989年7月3日(34歳)
日本の旗 日本東京都北区
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業
職業 起業家
エンジェル投資家
活動期間 1998年 - 現在
団体リンクウェル』(社外取締役)
ビビッドガーデン』(社外取締役)
『デジタルレシピ』(顧問)
Leaner』(共同創業)
Chompy』(共同創業)
クラウドワークス取締役副社長兼COO(最高執行責任者)
著名な実績 著書『逆張り思考 戦わずに圧倒的に勝つ人生戦略』
影響を受けたもの 出雲充
松本恭攝
柴田陽
藤森義明
米倉誠一郎
藤野英人
親戚 成田悠輔(実兄)
公式サイト 成田修造 (@shuzonarita) - X(旧Twitter)
成田修造 (nshuzo) - Facebook
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経歴 編集

東京都北区生まれ。4歳年上の兄に成田悠輔がおり4人家族。城北中学校・高等学校慶應義塾大学経済学部を卒業[1]

14歳で父親が失踪し、その後、母親が脳出血で倒れ、家が破産。そうした中で大学在学中に2年間、アスタミューゼという発明・特許情報を扱うベンチャー企業で正社員として従事した後、大学3年時に中川綾太郎石田健と共同で(株)アトコレを設立し、代表取締役社長に就任。オープンイノベーション支援サービス「astamuse」を手掛ける他、大手人材紹介会社との提携事業を立ち上げ、サイトディレクションやWebマーケティングを担当。アート作品の解説まとめサイト「atokore」の立ち上げや、iPhoneアプリ開発などを行う[1]

2012年(平成26年)6月に(株)クラウドワークスにインターンで参画し、大学4年生に正社員化し、同時に執行役員に就任[2]。「働き方革命」をビジョンにクラウドソーシングサービスをはじめ様々な事業を展開[1]

2022年(令和4年)には取締役執行役員兼CINOとして新規事業開発や投資に携わる[1]

2023年(令和5年)同社を卒業後、複数の社外取締役などに就きながら起業等新たな挑戦を開始[1]

同年1月、AIコピーライティングサービス「Catchy」を運営するデジタルレシピのアドバイザーに就任[3]。4月、一般社団法人ジェネレーティブAI協会GAIAを設立、代表理事に就任[4]。6月、食べチョクを運営する(株)『ビビッドガーデン』社外取締役に就任[5]

人物 編集

  • 幼少期は喧嘩をよくしていた[1]バスケットボール剣道卓球に打ち込んでいた[1]
  • 中学2年のときに父親が失踪。共働きだったので突然、半分以上の収入がなくなり、片親になったことで人生が大きく変わった。離婚、自己破産、自宅の売却。さらに母親がノイローゼに。その後、高校2年のときに母がストレスからくも膜下出血でたおれ、障害者となった。両親がともにいない状態になり、その後は兄と二人で生活し、家事をはじめとするあらゆることを自分でやるようになった[1]
  • 大学時代にアメリカで学者になった兄の成田悠輔がそばにいたこともあり、模倣しても敵わないという思いからビジネスの道に進んだ[1]
  • 慶應大学ではビジネスコンテストを行うサークルに所属。サークルの先輩にはユーグレナ出雲充ラクスルの松本恭攝、当時マッキンゼーにいたシリアルアントレプレナーの柴田陽がいた。その他にも在学中に、GEやLIXILの社長であった藤森義明や経営学者の米倉誠一郎レオス・キャピタルワークス藤野英人など刺激的な人たちと出会えたことが、その後の人生に大きな影響を与えた。そういった経験から大学1年の頃に「いつか起業して、世界に通用するようなベンチャーをつくりたい」と思うようになった[1]

著書 編集

単著 編集

監修 編集

  • 『AIが「答えの出ない問題」に答えてみた。』(Catchy著書、伊藤新之介と共同監修、クロスメディア・パブリッシング、2023年3月24日) ISBN 978-4295408086

出演 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

ウェブ番組 編集

雑誌 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集